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肋骨

「歴史上最大の誤訳  -女は男の肋骨からつくられた-」|京都大学特任教授 資源・環境ジャーナリスト  谷口 正次氏 より 調べていくうちに、へブライ語で書かれた旧約聖書の内容には、紀元前3,500年頃から約1,000年続いたメソポタミアのシュメール文明時代の神話・伝説の残響がみられるということがわかりました。これは、創世記がシュメール語からヘブライ語に翻訳されてつくられている部分が多いということを意味します。 シュメール語で書かれたメソポタミアの世界最古の物語、ギルガメシュ

    • シャカイナグローリー

      自分の光を輝かせるのではない。 自分が曇りのない鏡となり 主の光を反射させる人となる

      • 神は霊であり、人は霊を持っている

        ヨハネによる福音書第4章24節 「神は霊であるから、彼を礼拝する者は、霊と真実の中で礼拝しなければならない」。 神は霊であり、人は霊を持っている。 人は五感を持っている。 しかし、聖書では、人の心の奥深くに、霊というもう一つの器官があると言っている。 (ゼカリヤ書第12章1節)。 この器官は、神に触れるために用いられる。 もし、人がこの器官を用いて真の神と接触しようとするなら、 必ず彼に触れることができます。 霊であるこの器官を用いることは、 自分の誠実な心で神に開

        • 救いの完成

          事前の選びの目的は、私たちが御子イエスに似た者になることです。これが救いの完成です。 2コリント3:18には次のようにあります。 「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。 これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」。 私たちがクリスチャンになった最終目的は、長子であるキリストに似た者となり、神の家族に加えられることです。 ハーベストタイム クレイより ***

          聖化

          人間的な努力では、聖化は不可能です。        聖化には「恵み」が必要です。            聖化は、聖霊によって可能になります。             神の恵みに依り頼み、聖霊の力によってクリスチャン生活を送ることを志しましょう。

          神の摂理の御手

          ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 「益となる」とは、 必ずしも私たち人間が考える内容とは合致がっちしないということです。 ましてや、これは物質的祝福やこの世における成功の約束ではありません。 「益となる」とは、御子の姿に似るという目標に対して、「益となる」という意味です。 そう考えると、試練というものは神のトータルプランの一部である

          神の摂理の御手

          祈りの神秘

          ここに祈りの神秘があります。 ① 私たちの祈りは、弱さや限界のゆえに、いつも不十分です。 ② 御霊が、私たちの祈りの欠点を修正し、不足を補おぎなってくださいます。 ③ その結果、私たちのうめき(23節)が、御霊のうめき(26節)となります。 ④ 御霊の執とりなしは、父なる神の御心みこころに従ったものです。 ⑤ それゆえ、私たちの祈りは神に聞かれているのです。 祈りは神秘です。祈りの限界を感じながらも、それを実行するなら、神からの祝福を受けます。 by Herve

          祈りの神秘

          救いの3つの側面

          救いには、 ① 義認(過去形) ② 聖化(現在進行形) ③ 栄化(未来形) という側面があります。 これらの側面はすべて、恵みにより、信仰によって実現するものです。

          救いの3つの側面

          苦難の意味

          苦難があるのは、神から愛されていないからではありません。 むしろ、苦難は栄光への道をたどっている証拠なのです。 共同相続人として苦難の道をたどっているという事実が、私たちを「栄化」へと導きます。 栄光の未来を待ち望む人は、苦難さえも喜ぶことができる信仰へと導かれます。

          苦難の意味

          聖書は、義認(過去形の救い)も、聖化(現在進行形の救い)も、栄化(未来形の救い)も、すべて信仰により恵みによると教えています。

          聖書は、義認(過去形の救い)も、聖化(現在進行形の救い)も、栄化(未来形の救い)も、すべて信仰により恵みによると教えています。

          聖化の速度

          聖化の速度は人によって異なる。 ① クリスチャンになっても、罪を犯すことはあり得ますが、それは必然ではありません。 ② 日々、キリストの奴隷としての選びをしている人は、聖化の速度が速くなります。 ③ 不従順な人は、神からの矯正的裁きを受けます。それは苦しいことです。 努力によって聖化の速度を速めようとすると、失敗します(7章の内容)。 聖化は、聖霊の働きによって可能となります(8章の内容)。 以上のことを覚え、きょうも恵みにより、聖霊の力によって生きることを志そうで

          聖化の速度

          聖化は聖霊によって可能になることを教えています。 今神の恵みに依り頼み、聖霊の力によってクリスチャン生活を送ることを志しましょう。神の恵みの御座への扉は、大きく開かれています。

          聖化は聖霊によって可能になることを教えています。 今神の恵みに依り頼み、聖霊の力によってクリスチャン生活を送ることを志しましょう。神の恵みの御座への扉は、大きく開かれています。

          心配で辛い時

          クリスチャンは心配するべきでないと聖書にはっきり書いてあります。 ピリピ4章6節には  「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」 という命令が書いてあります。 この箇所を通して, 私達のすべての必要や思い煩いは心配する代わりに、神様に祈りをもってゆだねる必要があると学べます。 第一ペテロ5章7節で私達は 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配

          心配で辛い時

          全的堕落

          全的堕落(ぜんてきだらく、Total Depravity)はキリスト教を理解するための基本的な概念の一つで、キリスト教神学の大きな流れである、ローマ・カトリック神学、改革派神学(カルヴァン主義)、ルーテル神学、ウエスレアン・アルミニアン神学などを問わず、各神学的立場を横断して受け入れられている教えである。 人は、アダムの創造主である神への反逆、すなわち堕罪ゆえに、その結果として「全的に堕落」したとするもので、ここに「全的」とは、二重の意味を持つ。第一に、その「堕落」が全人類

          全的堕落