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記紀に登場する神は、元人間? 〜人神についての考察〜

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一般的に神社に祀られている神様と呼ばる存在は、大きく分けて2種類います。その2種類とは、人神(ヒトガミ)と自然神(シゼンシン)です。

ここを明確に定義し、ふまえておくと、近年パワースポットと呼ばれる神社や聖地・拝所、また記紀(古事記・日本書紀)などから見えてくるものが違ってきます。

聖地巡礼中、小耳に挟んだカミンチュさんの愚痴

まずは、あるカミンチュさんの聖地巡礼に、私がお供した時のエピソードから。本土で言う宮司さんに当たる人を、沖縄では「カミンチュ(神人)」と呼びます。

カミンチュさんは、宮司さんより高いシャーマン的能力を持っている人が多いかと思います。だからと言って、偉いわけではありませんが、そういう特殊な能力を生まれながらにして与えられた方なんですね。もちろんその能力をセルフコントロールできるようになるために、過酷なトレーニング(修行)は積んでらっしゃるのですが。
私の知っているカミンチュさんは、相手の思っている事をテレパシーのように明確に感じ取っていました。また、目に見えない存在(いわゆる神)からしょっちゅう啓示が降りてきて、どんな時でも聴かされている人でした。神とコンタクトを取りながら、目の前の人間と会話している状況を何度か見たことがあります。

聖地巡礼中、誰に対してというわけでありませんが、カミンチュさんの口からボソッとこんな愚痴が出てきました。

「最近は皆がパワースポット、パワースポットと言って、どんな神なのかも分からず参拝に行く。自分の先祖と敵対している神が祀られている神社だったら、痛い目に会うこともあるというのに…。神も神だ。自分の血統だけが繁栄するように、自分の子孫にのみ御利益を与えようとする者がいる…」と。

当時の私は、カミンチュさんの言ってる意味が全くわかりませんでした。なぜなら神社に祀られている神について、よくわかっていなかったからです。

そのカミンチュさんの愚痴は、その後数年間、私の耳に残り続けることになります。


人神(ヒトガミ)とは?

記紀の神話を時折読み進めるようになったある日、私は落雷に打たれたかのように直感します。

「これらは神話じゃなくて、実在した人間の歴史なんじゃないか?」と。

もちろん神話に登場する神全てが、実在の人物だとは断言しません。しかし、メタファーがふんだんに盛り込まれている記紀や言い伝えを、古代史・民俗学の知識や地理的情報と照らし合わせながら読み進めていくと、神として登場する存在たちが実在の人物にしか思えなくなってくるのです。

▼ 素戔嗚尊出雲の簸川(ヒノカワ)上に八岐大蛇を退治したまう図(日本略史)

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そこで、かみんちゅさんが言ってた愚痴を思い出します。

調べてみると、人神(ヒトガミ)という言葉が存在するではありませんか!そこでやっとカミンチュさんの言ってたことの意味が腑に落ち、「あの時カミンチュさんが言ってた神は、人神のことだったのか!」と気づくわけなのでした。

「人神=人間の霊魂が神化した状態。(世界大百科事典・第2版)」

人神とは、人間を神格化させたもの。
そして、全てとは言いませんが、神社は、神格化した人間を祀っている建物と言えることになります。

また、自分のルーツをずーーーーーーーーーっと遡っていけば、もしかしたら神社に自分の遠ーーーーーーいご先祖さんが祀られている可能性があるのです。

ご先祖さんとの繋がりが断絶している北海道民

人神という存在を明確に把握できたことによって、私は「私の中で血脈の断絶が起きていたんだな」と気づきます。

なぜ私は人神というものに対してリアリティを持てなかったのでしょう?そして、なぜ「自分のご先祖さんの系譜をたどると、人神につながる」と想像することができなかったのでしょうか?

それは、ご先祖さんとの繋がりがもともと希薄で、血脈をたどることが難しい北海道民だからだと自己分析。

純血アイヌを除いた、北海道民のほとんどが開拓民の血を引き継いでいる子孫です。アイヌと開拓民が結ばれて産まれ育った「アイヌ系日本人」もたくさんいます。北海道民自体、この事実を知らない人が多いのですが…。(実は、私も東北アイヌの血を引いているアイヌ系日本人の1人だと思われます。)

本土からやってきている開拓民は、先祖の故郷とのつながりが断絶してしまっていることがほとんどなので、血脈が続いているというリアリティがどういうものなのか?無意識レベルでも、身体感覚でも、実感しづらいのです。

例えば、関西圏は、歴代の天皇や古代の豪族が祀られている神社、古代史に登場する地名が生活圏内に普通に在ります。また、建築物や書物・国宝などがしっかり保護されているため、幼少の頃から意識せずとも人神という存在を肌身で感じやすい環境にあると言えるのではないでしょうか。

私の父方の先祖は、四国・徳島です。戸籍で辿れる範囲内ですが。一度は自分のルーツが気になり、戸籍を遡って徳島を訪れたことはあります。しかし、家はもちろん、家系図なんてものも残っていませんでした。よって、自分のルーツを遡るなんてできる訳がないだろうと、半ばで完全に諦めてしまったことがあります。

開拓民として入植した人々のほとんどは、「家を継げない穀潰し」と言われる次男・三男、それ以降に生まれた者たちです。「新天地でゼロから始めるんだ!」と一心発起し、北海道へ旅立った人々の集まり。言い換えると、全てを故郷に置いてきた人たちと言えるでしょう。

故に、ご先祖との繋がりが希薄になってしまうのは当然のことかと思います。

また、上にも書きましたが、昔、次男・三男以降に生まれた者は家庭内で大切にされてきませんでした。だから、故郷への想いは、単なるノスタルジーだけでは済まなかったと思います。中には、恨み・悲しみ・怒りなどの感情が複雑に絡み合った想いを抱いていた人もいたでしょう。故郷のことはできるだけ忘れるように努めた人もいたに違いありません。いや、開拓時代は生き抜くだけでも精一杯ですから、故郷を思い出す暇なんてなかったかも知れないですね。

このような背景から、北海道民はご先祖さんとの繋がりが希薄になりやすく、人神さんに対するリアリティも感じ難いのです。何代か前のご先祖さんとも繋がりが希薄なのに、1500年以上前のご先祖さんに当たる人神にフォーカスするなんて、なかなか難しいことでしょう。


人を神格化した理由(わけ)

なぜ人を神格化したのでしょうか?それは、崇めたい理由があったから。
その人物が子孫や住民にとって偉大な人物だったからでしょう。

もしくは、何かしらの罪悪感から、祀らなければ祟られると思ったか…w。または、己を崇めてもらうための自作自演の策だった可能性も考えられます。が、このトピックでは「偉大な人物だった」という事で話を進めていきます。

知恵や技術で地域住民を助け、社会に貢献した人物だったからだろうと私は推測。

沖縄・宮古島の某集落を例に挙げてみようと思います。この某集落には、平家の人々が島にやって来たという記録が残っています。祀られている祠も現存しており、学者さん達が何度も調査に来ているほどです。

▼ 平家の人神が祀られている祠の1つ(沖縄宮古島・某集落)

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平家の人々は、最先端の航海技術と井戸掘り技術を携えて南の島にやってきました。そして、水不足で悩む島民たちや漁師、他の島との戦いに備えたがっている人々に、その技術を教え、助けたのです。それは、島民からすれば「命の恩人=神のような人」になるでしょう。祠を建てて崇めてもおかしくはないと思います。

宮古島にやってきた平家の人々は、平和的&共存的思考であった事がわかります。支配的な思考を持つ民だったら、島民は有無なく強奪・略奪されてた可能性も。この平家の人々は、おそらく共存的選択が得策だとわかっていたのではないでしょうか。そうしなければ生き残れない状況だったとも考えられます。

上の例からも、神社に人神として祀られている存在は、別の地域から最先端技術を携えてやって来た民族の中心的人物であったと想像できます。日本の地理的特徴から考えると、やはり大陸からやって来た渡来人でしょう。その子孫・地域住民によって神社に祀られたのだと思います。

そして、「神社を造って人神を祀る」という宗教文化自体が、渡来系のものであろうと私は考えています。


【紹介した宮古島の某集落について】

残念ながら、数年前この某集落の聖地が心亡き者に荒らされたと伺いました。
沖縄の聖地は、基本的に建物によって守られておらず、本来の自然の姿そのままを祀っている所がほとんど。その形態自体が非常に貴重で、沖縄の沖縄たる所以なのです。

聖地はもちろんですが、その土地(=自然)や生活している方々、そして見えない存在達への畏怖の念・感謝を忘れずに参りましょう!

ネイティブアメリカンの思想のように、7世代先の子まで考えた行動をとれたらいいなと思います。



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