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廃業!転職!受験!激動の2018年

備忘録から改題移設

3月、私は声優事務所を辞めた。
マネージャーに顔を覚えて貰い、同期ではいち早く事務所の役者ページに載ることが出来たが、
ただ載っているだけで、自分で探し出して通ったワークショップでしか仕事が手に入らない。
寧ろ「フリーのほうがしがらみがなくて使いやすい」とまで言われ、事務所ってなんなのさと思った。


4月、レッスン費やワークショップ費などの費用負担がなくなったので、バリ島に初の海外一人旅に行ってみた。
ありきたりだが、世界は広いなぁと思った。


そこから少しだけお金を貯めた。


9月末日付けで2年半所属した派遣会社を辞めることに決めた。
声優業を辞めたのでもう、時間の都合を付ける必要がなくなったからだ。
退職を願い出て、有給消化の段取りを組む。
「転職活動を最優先していいから決まるまで残ったら?」
「金銭的にも大丈夫?」
と当時の上司(同じ派遣会社のSV)は言ってくれた。
だが私は追い込まれないと本気を出せない性格なのでお断りし、10月から暫定無職の予定になった。

7月、試しに行った2件の転職エージェントでは
「派遣は職務経験にはなりません」
とばっさり言われ、現職と同じコールセンターしか勧めて貰えなかった。


8月、実家に帰ろうかな、と思い始める。
「仕事が無いと帰って来てはいけない」
と昔から両親に言われていたため、地元を拠点に出来る仕事ということで競輪学校の願書をほぼ勢いだけで出した。

9月、本格的に転職活動を開始する。
転職先の希望は、
資格を取らせてくれる正社員
将来性のある会社
ということのみで業種は特に決めていなかった。

そもそも私は、酷いコミュ障だ。
大学卒業時と専門卒業時とで通算二回、正社員としての就活に失敗している。
一度目は、自分のアピールできる部分もやりたいことも何もかもが見つからず、漫然と望んだ面接で多人数に向き合って泣き出しそうになったりグループディスカッションでまともにイニシアチブが取れなかったりすることで早々に心が折れた。
二度目は、騙されてアルバイトで使い捨てられた。
声優の勉強をして、イベントスタッフをしたり、コールセンターで知らない人と関わったりして必死でコミュ力を上げたが、当時もまだ焦るとわざと聞き取りづらいようにモゴモゴ喋る癖は抜けていなかったし、自信もない。
まともな転職先がすぐに見付かるとは思えず、失業手当を貰いながらの長期戦を覚悟していた。

だが、そんな予想を覆し若者向け転職エージェントに紹介して貰った一社目で即座に内定した。
26歳だったが10月開始の9月新卒・第二新卒向けの採用に運良く滑り込めたのだ。

説明会兼一次選考では新卒・第二新卒の20代前半の初々しい子達に囲まれ、嫌でも5年前の現役時代の就活を思い出して苦い気持ちが込み上げる。
そして数年ぶりのガチSPIに、あ、終わったわと思った。
その後やけくそ気味に受けたグループディスカッションでは皆と普通に話せ、寧ろリーダーシップすら発揮できるようになっていて自分で自分に驚いた。
二次選考でも、何とか役員との3対1の面接を涙目程度でクリアすることが出来て、私はもう面接にもグループディスカッションにも怯えなくて済むのだと自信もついた。

競輪学校の一次試験に向かって静岡に行った日、その会社の内定が出た。
一発で素晴らしい会社から内定が貰えたということで気分は最高。
競輪学校に落ちたところで何のダメージもないと思うと、非常にのびのびした気分で入学試験を受けられた。

その後、9月30日付で派遣会社を退職。


10月1日、台風の日に新しい会社に入社。
ダイヤが乱れまくり、早めに来ていた私ともう一人、そしてオンタイムで到着した計3人以外のメンバーは全員遅刻した。
新人研修のスケジュールが発表され、3ヶ月というそのあまりのボリュームに、 大企業でもないのにこんなにしっかりと勉強させてくれるのか! と驚き、自分のなかで会社の評価が爆上がったことを覚えている。
新しいことの勉強で毎日が楽しく、競輪学校を受験中だったことは半ば頭から消し飛んでいた。
受かってなければいいのにとすら思った瞬間もあった。

11月、研修を受け始めて1ヶ月半後、3ヶ月間の研修を間もなく折り返すというところで、 競輪学校一次試験合格の報が入った。

二次試験に行くか、正直とても迷った。
入社前はただの直感だったが、実際に入社してみても居心地が良い会社だったのだ。
それでも、競輪学校は20代のいま受けないと、後できっと後悔する。
受けるだけ受けて、落ちて、そして
「いやぁ実は俺新入社員の時に、研修サボって競輪学校の二次試験を受けに行ったことがあるんだよ。あの時は若かったなぁ」
なんて後のアホな武勇伝にしよう。
そんな気持ちで、受けることを決めた。

受けることを決めたは良いものの、会社を休めない状態で試験前提出書類を2週間で集め切るのにはかなり苦労した。
もし本気で集めにかかっても集まらなかったら、受けるなという啓示なんだろうなと思った。
特に大変だったのが運転記録証明書。
平日休みの友人(今の夫)に委任状を託して申請を頼み、綿密に移動時間を計算した上で、出勤前に鮫洲運転免許センターまでダッシュで受け取りに行ったのが一番大変だった。
読み通りギリギリ2分前で会社に遅刻しなかった。
勝った!と影で力の限りガッツポーズした。

無事提出してほっとしたのも束の間。
二次試験は平日2日間で、試験会場の受付時刻は始業1時間半も前。
スマホは受付で預け、試験が終わるまで一切触れない。
どうやっても会社に仮病の連絡が入れられないことに気が付く。
入ったばかりで有給なんてものはない。
その時私は真っ正面から、 個人的な用事で二日間休ませてください、と告げた。
理由の詳細を聞かれ、愚かにも競輪学校の話をした。
人事の人たちは大変に呆れていたと思うが「デビューしたら車券を買うよ」と表面上はとても面白がってくれて、救われた。
一度入社したからには、どんなにバカだろうと会社の仲間だと思ってくれている、と考えていいのだろうか。
何度も何度も頭を下げて、身勝手で申し訳ありません、ありがとうございますという他なかった。
そのあと呼び出されて注意事項として
「ただし、まだ有給がないから社内規定で始末書だからね」
という言葉を言われた時にはもう、フォーマットの場所を知っていた始末書は準備済みだった。
『二度と新人研修を疎かにしない』と誓う文章を記入していた。

始末書まで書いて受けに行った二次試験は、場違い極まりなかった。
みんなガチだった、学校を卒業したその先、賞金が欲しいと目がギラギラしていた。
実家に帰るための単なる職業として選んだ私は正直ちょっと引いていた。
だが、無理をして会社を休んで来たのだからと試験自体は全力で頑張った。
でもまぁ、流石にこれは落ちたな、と思った。

※受けた当時はまだ競輪学校だったので、競輪学校と書いてます 。
入学式に臨んだら入所式って書かれている盛大なドッキリみたいなものを喰らったのは懐かしいww

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