曇らせないなら愛じゃない

本記事は曇らせ二次創作中毒の私が供給不足に喘いだ結果と、「曇らせ」コンテンツへの不当な弾劾を多数目にしたことによるストレスの限界として書き殴られたものです。

曇らせ最高。曇らせこそ我が糧。カオスイリュージョン。
東城綾、伊落マリーなどの本当に優しい性格のキャラクターを曇らせる二次創作作品を読んでる時が一番人生が楽しいんですが、供給が少ない上に拒否反応を示す方も多いらしく、上記タイプの作品は存在してはいけない、書いた奴はブロックするとまで言い放つ方々も観測した。
なので私、曇らせ大好き委員会から申し開きをしたいと思います。お前らこそが下痢根塊のオムハンバーグだと。
好き嫌いはあれど、作品ジャンルそのものを消し去ろうとしたり熱量持って書いてる人たちを侮辱するのはいただけませんね。私から言わせれば曇らせこそが愛。より当たり障りなく言い変えれば、曇らせは愛の形のひとつとして成立し得る。理由は多くあります。簡単なものから説明しましょう。

まず、フィクション作品には「悲劇と大喜劇」という理論があります。私が数年前考えた造語なので「ある」という言い方は不適切かもしれません。
この理論は何かというと、物語の構成要素は究極的には「喜劇」と「悲劇」のみで、このうち物語のタイムライン上で最後に来るイベントがその話の色を決めるため、最後に喜劇が来ることを前提として描かれた物語は、その過程でいかなる悲劇が起きようともそれは「ばね」の役割を果たすことになるということです。
こんなことは実際のところ説明するまでもなく物語を書く上での基本原理。ハリウッド作品の典型的な筋書きであるところの、一度どん底に叩き落とされて敵対勢力が勝ったように見せかけてフィナーレで大逆転するという例のアレです。このドン底パートは何処まで沈もうが別に良くて、むしろその沈み込みが大きければ大きいほどフィナーレの幸福感・カタルシスが増す。
例えば私の大好きな作品『聲の形』も、主要人物がとてつもなく絶望に落とされるパートがある。それはもう復帰不能なのではないかと思うほどに。しかし彼らはその試練を乗り越えてエンディングに辿り着くのです。
喜劇で終わるという約束の上では、中途の悲劇はむしろ喜劇のためのジャンプ台であり、システム的には喜劇の一部となる。悲劇はその後の「大喜劇」へのビルドアップとして使えるのです。
何が言いたいのかというと、「曇らせ」という括りはかなり広義的なもので、実際には過程としての曇らせはほとんどの作品に使われているし、最終的な救済が約束されていればそれはまるでネガティブなものではありませんよということ。
それすら受け入れられないというのならはっきり言ってナイーブすぎる。一生まんがタイムきらら読んでろ。

ちなみに私は全くの悲劇で終わるタイプの曇らせでもぜんぜんいいんですけど、これは悲劇を喰えるというよりは喜劇を補完できるからです。ENDマークが出た後で脳内で書き足せばいいだけの話。なぜこれが可能かというと、私は「二次創作」の話をしているから。一次創作より下の次元の全ての創作は原作に対するCanon性を持たないため、気に食わない部分があるなら各自脳内で補完すればいいだけの話。マリーがつらい思いをして終わるお話なら、その後先生がドッキリプレートを持ってきてよしよししてあげて終わることにしてやればいい。まぁそういう可能性すら消しとばしてくるタイプも中にはありますけど、私が見る限りでは曇らせ二次創作って曇らせたままで終わるよりはちゃんと救済があるものがほとんどだと思う。

でね?なぜ曇らせがいいのかと言われれば、「愛」が最も輝くシチュエーションだからです。試練なき愛は退屈で味気なく陳腐である。まんがタイムきららも因幡めぐるルートも反吐が出る。だから綾地寧々のグランドエンドで我々は号泣する。だから聖書で愛の伝導者キリストは受難に遭い処刑される。受難こそが愛の標。悲劇がその後の喜劇を輝かせるように、苦しみがその先の光をより美しいものにするのだ。これはさっき例に挙げたキャラの元作品であるところの『いちご100%』と『ブルーアーカイブ』の両方で十分に表現されているところだと思うが。なんで“理解”んないかねぇ……。早く私たちの次元に来てください。そしてあわよくば聲の形やエマのような受難による愛を描いた傑作を読んでください。ココロコネクトもいいよ。
曇らせをただ性格悪い奴等のゆ虐と同レベルの低俗な遊びだと思っている輩を見ると本当に腹が立つ。諫山先生を見よ。愛するキャラクターを曇らせたいという一心だけでやってきて世界をとったぞ。曇らせを受容できない者は真にそのキャラクターを愛していると言えるのか。私はむしろそう問いかけてやりたい。君たちはどう生きるか。
頭ふわふわで平和で何も起こらず女の子がイチャイチャしてるだけの空間が見たい奴もうグッバイ。傷つかぬ者に青空は見えない。迷い歩むたび命は輝く。

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