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この世の大きな光 LAMP IN TERREN

最近LAMP IN TERRENについて書かれた記事を見かけることが多い気がする。僕はそれを1テレンファンとして嬉しく覗いてみたりするんだけれど。その中で彼らについて書かれていることは大きく3つ。

①Vo.松本大の声について
②繊細なメロディとメッセージ性の強い歌詞の世界観
③地味・パッとしないイメージ

彼らの代表曲“緑閃光”。

“僕の背中を押したのは確かに僕だった”

歌いだしでこの楽曲に一気に惹き込まれた。
確かに煌びやかに華々しく歌うバンドと違ってどこか影のある雰囲気だ。それを地味やパッとしないという言葉でまとめてしまうのは簡単なことだと思う。しかしそのイメージを持ったままでこのバンドを聴かないのはあまりにもったいない。

LAMP IN TERRENの「TERREN」はラテン語の「terra (星、大地)」という言葉を捩った造語でできている名前で、「この世の微かな光」という意味を込めています。

彼らのバンド公式LINEを登録した際に一番はじめに送られてきたメッセージ。

そりゃキラキラ輝いているバンドの音楽は眩しいしそういう音楽に救われることもたくさんあると思う。しかしキラキラしすぎているものはあまりに遠く感じてしまうことがあると思うの。その点、テレンの音楽は日常のほんの些細な風景やちょっとした感情を切り取って歌っていることが多い気がする。とても身近で、心に寄り添ってくれているというか。優しくて心地よい音楽。それがよく言われている地味やパッとしないというイメージなのかもしれない。でも“この世の微かな光”だから。派手ではないが必要としている人たちにはちゃんと届く想い。僕には地味でパッとしないって第一印象や先入観だけでこの音楽が、この想いが届かないということが本当に悔しい。

プラス思考に見方を変えればこのバンドに対して言われている地味・パッとしないというイメージは褒め言葉としても受け取れる。煌びやかで明るいバンドではどうしても歌えないような素朴な思いが歌えるとかなんとか。ただし地味やパッとしないという言葉が持つイメージがあまりに悪い印象を持たせてしまう。それに煌びやかな雰囲気こそないけれど僕はテレンのことを地味でパッとしないなんて思ったことは1度もない。

この曲、“BABY STEP”の最後のサビの前のフレーズ。

“意味がないとしても 今笑っていられたらいいだろう”

本来の音源では後ろでギターアルペジオが流れているのだけれど、ライブではアカペラで歌うことで歌詞のメッセージがよりクリアに伝わってくる。はじめてこの曲をライブで聴いた時にボロボロに泣いてしまったことを今でも思い出してしまう。

また、地球儀という曲ではVo.松本が指揮棒を振ったりハンドマイク片手にフロアに飛び降りたりみんなで飛び跳ねたり。multiverseやオーバーフローでは会場一体になってシンガロングしたり。決して地味でもパッとしなくもない。ちゃんと命が通った音楽をしている。その音、言葉全てに余すことなく確かに心がある。その音楽は地味なんかでもパッとしないなんてことも決してない。唯一無二の彼らだけの音楽だ。

彼らは自分たちがこの世の微かな光になれたらと願った。少しでも誰かの心に火を灯せたらと。でも僕は彼らからたくさんのものをもらってきた。微かなんかじゃない。この世の大きな光。はじめは小さなその光も近づけばもっと明るかったことに気づくと思う。僕はこの記事を読んでくれたあなたに彼らの音楽に触れてもらいたい。もっとLAMP IN TERRENというバンドを知ってもらいたい。

最後に僕が一番好きな曲を。痛みだって照らしていけるように。