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東京の洗礼を受けた日

僕らは晴れて東京に4月1日に進出を果たした。
その紆余曲折は前回のnote、
東京進出を阻むものをお読みください。

4月に来たはいいが何にも仕事が無かった。
しかし必然と焦りが一つも無かった。
何を隠そうスーパーミーハーなのだ。
その上1万4千円の代価を支払い人類が産んだ最速の乗り物に腰を据えて東京に辿り着いただけのボンクラ野郎。

それなのに渋谷、ハチ公前、スクランブル交差点。ブラウン管から嫌というほど聞いていた、憧れの場所に自分がいる。ただそれだけの事実でレベルが上がった、
もしくは何かを成し遂げた気でいた。
そんなボンクラ野郎です

それも束の間ボンクラ野郎が目を覚ます事実を聞いた。何やら無限大に出れるのは5月かららしい。ご、ご、、5月??
もし目ん玉が飛び出るのであればその目ん玉が飛び出て隣町に行き着いてお気に入りのカフェで目ん玉がコーヒーの香りを味わうくらいビックリしただろう。

理由については月末にオーディションがあるのでそれまでは出れないという事らしい。
てっきり4月1日に来て仕事はないけど無限大のオーディション出てそこから無限大マスターへの道を目指すはずだったのにその無限大に出れない、オーディションに。これは大吾さんだ。違う大誤算だ。

でもこんなことでメゲるようなボンクラ野郎では無い。以下ボンちゃん。
今流行りのウィンターネット!!を駆使して
無料お笑いライブ参加というのを探した。
あるにはある。
ただどれが質のいいお笑いライブか分からなかった。でも質を求めている場合じゃないというのは分かってたので片っ端からメールをした。大概は返ってこず1通だけ返って来たのでそことやりとりしライブ出演が決まった。

3日後であった。そんなにすぐライブが決まるものなのかと疑問はあったがとにかくライブが決まって良かった。その頃は一週間漫才してないこととか無かったので凄く不安だったのを覚えている。今はもう二ヶ月も漫才してないが。

この頃のボンちゃんはというとツイッターで良く寂しいという事を呟きまくっていた。
そのツイートに同じ空を見てるから大丈夫やとEXILEの41軍の方に言われたのを覚えている。色んな先輩もリプライくれて優しさに涙した日も数しれず。

家探しもしていたが中々決まらず、宮崎台というかなり遠い場所に住んでた同期の家に居候させてもらい常にデカいキャリーケースと一緒に移動してたのが懐かしく思える。
カルロスゴーンならキャリーに入りながら移動していただろう。

そんなある日。東京でインディアンスは、やっていけると確信した出来事が我々に訪れる。

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