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インド民の代表的言い訳とその対応 ③


(以下は、以前投稿したこちらのコラム①の続きです。前段の議論はそちらをご覧ください。)

四つ目に紹介するインド民の代表的な言い訳論法は、④因果改謬:Elaborate wrong route course である。

これは、因果関係のないことを、さも原因・理由かのように使って説明を行い、責任や追及を回避する方法であり、前出の三つと比べて、「偽り」の要素を含むという意味で悪意がある論法だ。彼らも、元々の問題の責任に加えて、自分が嘘をついた責任まで取らされないように、分かりにくい形で因果関係を捻じ曲げて言い訳をしてくるが、もちろん言い訳をするほうにもリスクがあるので、意図的にこの論法を使用してくる割合は肌感では少ない印象だ。
早速例を見てみよう。

 
<< オフィスのネットワークがいきなりダウンしたので、社内のIT管理部門に問い合わせたところ、「この地域のネットワーク全体がダウンしていることが原因だと思います。」と説明を受けた。しかし隣のビルの駐在員仲間に連絡してみると、あちらは正常に稼働していた。IT管理部門はコソコソと自社サーバーの復旧作業をしており、翌日何の詳細説明もなく、復旧連絡のみが社内に展開された。>>
 

この例では、実際は自らのサーバー管理のミスでネットワークに問題を起こしてしまったにも関わらず、それらしい理由を考え出して、うまく偽りの因果関係をひねり出し、その場を取り繕う説明に使っている。IT関係の話は実際にネットワークにアクセスできるIT部門しか真実を知る術がない、という情報の非対称性と防御壁を考慮して、因果関係の改謬を行っているケースである。彼らがこの論法を使う時には彼らなりの注意を払っている点が見受けられ、因果関係を説明するときは、may be—やwould be などの遊びを残した表現を使って説明し、後で自分が嘘をついたことにならないように気を付けている。メールで原因を尋ねても、わざわざ電話をかけてきたり、時にはオフィス来てミーティングを設けてまで口頭でのコミュニケーションに徹したりすることで、記録が残らないよう配慮をするときもある。

本当に不思議なことだが、このような自己防衛や自己保身の時には、インド民は先を予測する力や、相手の気持ちを汲み取る力を素晴らしく発揮し、どのようにすれば自分に降りかかるリスクを減らせるか、頭をひねったうえで行動してくる。我々からしてみれば、なぜその力を日頃の仕事に発揮してくれないのかと思うが、彼らにとっても自分個人の責任と損得が掛かっているので、ここぞといわんばかりの力を発揮するのだろう。

因果改謬の論法には、他の三つと異なり、意図的な嘘や曖昧さという悪意が潜んでいるので、対話の中のフレーズで妥結点に誘導していくことが難しい。そのため、アプローチ自体を工夫していくことになる。
相手が因果関係を口頭で説明をしてきた場合には、メールで関係者をCCに入れて返信して情報を共有したり、彼らが説明に使ってくる第三者との実際のコレポンなどを共有させたり、物的証拠と言質を押さえにいく。
その際には、
 
As we discussed verbally among us, I understand your explanation that the issue was caused by XXX. If my understanding is wrong, please correct me.

Please share the screen shot of the error with me by e-mail.
 
というようなフレーズで誘導していく。
 このようなアプローチをとっていくと、相手も段々と逃げ切れなくなるのを察して、実際の原因を説明するようになる。彼らの心中にも、そのまま嘘をつき続けて最終的に自分が真の悪者になってしまうよりも、正直ベースのコミュニケーションモードに戻ったほうが、身のためであるという計算が走る。この計算をインド民に走らせることがこのアプローチの目的である。もちろん、更にそこから、①~③の言い訳を展開し始める場合もあり、④から抜け出たとしても道のりは平坦ではない。

元来、インドに住む人々は、古代から現代に至るまで、文書で記録を残したり、発生した事象や情報を時系列で整理・管理したりする習慣や能力が東アジア諸国と比較すると希薄で、口頭でのコミュニケーションを好む傾向があるため、明確に依頼をしなければ、文書に残る形で自分の発言やその証拠を記録するような行動を自然体で取らない者が多い。実際、「議事録を書く」という新入社員が初めに習得するような基本スキルも、何回指導してもなかなか定着しないと嘆く駐在員も多い。これは知性や専門性が高く、勤勉なインド民にも共通する苦手分野である。

國學院大學名誉教授の山崎元一著 「古代インドの文明と社会」でも、古代インド人が自らの歴史や地理書を後世に多く残さなかったことを、それに情熱を注いだ中国人と比較して、『史書なきインド』いう興味深い言葉で表現されている。現代においても、ヒンドゥー教のバラモンが弟子に教えを授けるやり方は、口授⇒復唱⇒記憶の方式がその伝統で、日本仏教の修行僧が大量の仏典の写経と読み込みを経て仏教を学んでいく方法と比べて興味深い対比がある。古来よりインド民は口伝や音楽で、東アジア人は紙や文でコミュニケーションをとってきた何千年の歴史の違いが現代のコミュニケーションスタイルにも反映されている。
 

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最後に紹介するのは、⑤解決消去:Solve and Escapeである。

スピード違反をしたからといって、必ず事故が起こるわけではない。それと同様に、問題を起こしても、その進行を食い止めて解決した結果、実害に結び付かない問題もある。しかし、スピード違反そのものは実害の有無に関わらず違反である。
問題を起こしてしまった人間が、その実害を自身で食い止めることによって、問題自体が起きていなかった体で言い訳を構築する論法と行動の組み合わせが、⑤解決消去である。もちろん自分で被害を食い止めたことは素晴らしいことであるが、それは問題が起きていなかったことを意味していない。山火事を起こし、住宅地に火が来る前に食い止めることに成功しても、山火事を起こして大騒ぎを引き起こしたことに対する責任は消去されない。
ここでも実例を見ていく。
 

<< 「注文していた部材を予定日までに届けられない」との連絡が急にインドサプライヤーから入った。荷物を載せた船が港で順番待ちしており、入港できず、在庫も手元にないことが理由らしい。あなたが必死に他からの調達を試みていた矢先、「船の入港順序を変更してもらった、無事予定日に部材を届けられる、大丈夫だ。」と、にこやかな連絡がサプライヤーから入ってきた。>>

 
結局、予定通りに部材が届くことになったので、生産ラインのストップという被害は避けられた。自慢げに対応結果を報告してくるインドサプライヤーとの会話の後、あなたは胸をなでおろすと同時に、そもそもあのサプライヤーはどんなオペレーションをやっているのだろう?という不安と不満が残る。しばらくして、「お騒がせして申し明けありません。」というような殊勝な連絡が相手から来ることは期待しないほうがよい。なぜなら、彼らの中では「問題は起こらなかった。俺たちの仕事はちゃんと回っている」と、思い込んでいる場合が多いからだ。そんな彼らをあなたは次のように追求しきらなければならない。

Although, the actual damage didn’t happen, there is a problem in the process. Please share the idea for countermeasure to avoid the same issue. 

Prevention before the trouble is more important than solving the trouble after happening.
 

このように、 とにかく問題が発生していたことを再起させるような言葉が必要である。この言葉がないと問題は問題として認識されず、あなたは再度同様の問題に直面する。今度は危機一髪で実害を回避できないかもしれない。そんな時、必ず本社から日本クオリティーのヒアリングが実施され、同様のヒヤリハットが過去にも発生していたことが自然と明らかになるだろう。そして、その問題の種を放置していた管理職のあなたが責任追及される可能性もある。悲しいかな、我々はインド民ではなく、日本人であり、日本やグローバルの常識で判定されうる存在なので、問題の根本を放置していた責任を厳しく糾弾されるであろう。

この、「問題があっても、なんとかなれば、OK」という精神は、インド民のメンタリティを説明する際によく使われる、『ジュガール』という言葉に結び付くエッセンスであり、この思考が彼らの根底に流れていることを理解すると、⑤解決消去を行うことで何も問題がなかったと見做し、責任から逃れたいという彼らの心の動きはとてもよく理解できる。
ジュガールに関して小難しい説明が色々展開されているが、非常に端的な表現で解釈すれば、「動けば良し。」という考え方である。「エアコンが壊れて修理した結果、前より涼しくならない気がするが、とりあえず風が出始めたので、これで良し」、「穴の開いた壁を修理しろと頼まれたが、穴の上から絵を飾れば傷は見えないので、これで良し」、「マニュアルに沿った安全対策を怠っているが、これまで5年間も事故が起きていないので、スキップしても、これで良し!」。その精神はこういった日常の行動に反映されている。

インド社会には、個人の力では解決困難な深刻な問題がいくつもある。これらすべてを完璧に修正していたら、彼らは前に進むことなどできない。カースト問題も、西洋諸国の人々から見ると人種差別や民族差別と糾弾されるかもしれないが、それとともにインド社会は、「とりあえず動いており」、動いているものをわざわざ止めて、死人出て生活が壊れるような大混乱と大停滞を巻き起こすよりも、まずは当面の問題を解決すれば満足、という精神性を持って普段やりくりしているのだ。実際、インドが英国から独立する際に、ヒンドゥー教を主体とする現在のインドとイスラム教を主体とするパキスタンに分離独立したが、その時の暴動や略奪で100万人以上の人間が亡くなったとされる。英国との「独立戦争による死者」ではなく、インド亜大陸を東と西に整理する内輪揉めでの死者数であることを考えれば、この地域で何かをきっちりと整理しようとする時、そのコストが計り知れないことが分かるだろう。こういった歴史的経験も彼らのジュガール精神に正のフィードバックを加えてきた。
 
ここまで、インド民の代表的な言い訳を、それが多用される背景やそのような論法が生き残る背景とともに説明してきた。ここで紹介した代表的な言い訳や対処法は、駐在員をはじめとしたこの国で仕事や生活する邦人が自分なりのフレーズや対処法やフレーズとして日々行っていることだが、私自身、実用的な形で構造化されたものに出会えていなかった。
何事も初めが肝心だ。商売も最初に契約書があり、それに基づいて事業が始まる。インドと初めてあなたが接する時、あなたはインド民と最も重要な取り決めをするかもしれない。その時あなたは彼らのやり方に対して最も脆弱である。だからこそ、あなたの身を守るために、代表的な言い訳や彼らの取り扱い方について早期に認識しておくことが必要だ。今後は、日本人がインド民と接する機会が格段に増えていく。あなたが望むか望まないか関係なく、あなたの会社はインドに進出するかもしれない。インドに進出せずとも、インドの会社と取引するかもしれない。インドからの旅行者も増えてくるだろう。
インドはこの地域が抱える多様性と、曲がりなりにも民主主義で運営されている政府であるがゆえ、共産党一党独裁の中国と比べて、経済成長や社会の統一的発展のスピードは緩やかである。すなわち、今回紹介したノウハウや文化背景や社会の成熟度は、この先10年でガラッと変わることはないだろう。だからこそ、ここで考えとノウハウを纏めたことには意味があると信じている。

以上で、「インド民の代表的言い訳とその対応」のシリーズは終わりです。お付き合いいただきありがとうございました。
 

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