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『至高の奉仕』作品トリヴィア/ インディアンムービーウィーク2022

『至高の奉仕』(原題:Aramm)は2017年のタミル語映画。僻地の原野で狭隘な穴に落ちた女児の救出作業が、インドの誇るロケットの打ち上げと対比されてドラマチックに語られる。

ゴーピ・ナイナール監督とナヤンターラ

本作がデビューとなった監督のゴーピ・ナイナールは、1974年にマハーラーシュトラ州ムンバイでタミル人の両親のもとに生まれ、10歳のころにタミルナードゥ州の州都チェンナイの北郊カートゥールに移り住んだ。

参考:カートゥールの位置

本作のモデルにもなったカートゥールは、チェンナイ市内とはいっても都市文化とは無縁で、当時は住民1000人に対して1台の共同テレビがあるだけだったという。アーンドラ・プラデーシュ州との州境までは9km。そしてアーンドラ・プラデーシュ州シュリーハリコータにあるインド宇宙開発機構(ISRO)のロケット打ち上げ施設までは40kmほどの距離。彼はダリト(かつて不可触民と呼ばれた被差別階級)の出身で、幼時に父を亡くしたこともあり、貧困の中にあったが、親戚には共産主義者がいて、幼いゴーピに社会正義を説き、ロシア文学の世界にいざなったという。文学とともに彼が夢中になったのは映画で、成人前から映像作家になることを志していたという。その彼が、なぜ40を過ぎるまでデビューできなかったのかについては、以下のThe News Minutesのインタビューで詳しく述べられている。

ゴーピは、監督デビューの前に、ヴィジャイ主演の『Kaththi(刃物)』(2014年、未)に絡んで名前が知られていた。A・R・ムルガダース監督が手掛けた同作は、農民を脅かす世界的清涼飲料メーカーに戦いを挑む男の物語で、大ヒットした。ゴーピはこの作品の封切り前に、自分が温めていたストーリーが無断で使われていると告発したのだ。この訴えはまともに取り合われず、ゴーピは「封切り直前の大作映画に難癖をつけて目立とうとするエキセントリックな人物」として有名になってしまった。しかし彼は諦めることなく、底辺の人々と水をめぐるオリジナルな物語の脚本を『至高の奉仕』として完成させた。この物語を何人かのプロデューサーやスター男優たちに語ってみせたが、前向きな反応は一切得られなかった。プロジェクトが座礁しかけていた時、知り合いからナヤンターラに話をしてみることを勧められ、実際に会ってストーリーの説明を始めたところ、彼女は5分で出演を承諾したという。主人公の性別は変わったが、脚本にはごく僅かな変更が加えられただけで撮影がスタートした。したがって、完成した本作には、ナヤンターラがまるでヒーロー男優のように決め台詞を口にして傲然と歩み去る、マス映画的シーンも含まれる。

『至高の奉仕』より

タミル語映画と水問題

本作の舞台は厳密に言えば現実のカートゥールの町ではなく、より海に近い荒地。本作に登場する住民はダリト・カーストに属する。タミルナードゥの地方の地域共同体にあっては、ダリトの集落は、中心地から外れた「やせ地」(wasteland /kāṭu)と呼ばれる耕作に適さない土地に決められていることが多い。そうしたエリアは地域共同体の中では魔物や幽霊が棲む不吉な場所と見なされ、また行政のサービスが行き届かず、公共交通の便も悪い(ダヌシュ主演の『カルナン』でも、公共交通へのアクセスの困難が重要なモチーフとなっていた)。主役の一家とその周辺の人々はかつては農業を営んでいたが、水不足のため農作業が行えなくなり、現在は各種の日雇い的仕事をしている。そしてその渇水は、どこか離れた場所で行われている清涼飲料製造のための地下水汲み上げが原因であるらしいことが示される。水不足はとりわけ社会の低層の人々を直撃する問題として、タミル語映画では古くから取り上げられてきた。『お水よお水』(原題:Thaneer Thaneer、1981年)も、そうした作品の一つ。また近年の『マドラス 我らが街』(2014年)の中でも、都市のダリト集住団地での生活用水の確保のための重労働が描かれていた。

「土地の最高権力者」である県行政長官

『Madhurey(マドゥラ)』(2004年、未)というアクション映画で、主演のヴィジャイはマドゥライ県の行政長官(コレクター)を演じている。この作品中で、とある登場人物が「この国では3段階の人間に全権が委ねられている、首相(PM=prime minister)、州首相(CM=chief minister)、県行政長官(DM=district magistrate)。DMとはすなわちコレクターのことだ」と言う。コレクターとは、英国植民地時代の統治機構の中にあった、県にあたる地域の徴税長官(tax collector)の地位を独立後も引き継いだもの。徴税長官といっても、日本でいう税務署長にあたるものではない。税を掌握するものが全ての権力の頂点に立つという意味で、その土地の最高権力者だったのだ。植民地インドに英国が敷いた官僚制度は「鉄の枠組み」と呼ばれた強固なもので、これは独立後のインドにも「インド行政職(IAS=Indian Administrative Service)」という名の高級官僚システムとして引き継がれた。このIASは、全国で実施される超難関の試験に合格すれば、言語、カースト、宗教、性別などは一切問われずに就任することができ、またこの選別は不正を行う余地がほぼない公正な試験であることが知られている。上記の台詞にあるCMとPMが選挙で選ばれる政治家であるのに対し、県レベルでのトップの権力者が官僚であるというのはユニークなものだ。しかし、行政長官であっても土地の政治家たちとのつばぜり合いは避けられないようで、本作中でもそうした政治と行政のせめぎ合いが救助作業の緊張感を増幅させている。

参考:インド行政職については、以下の文書に詳しい。
インドの公務員制度  ~インド行政職(IAS)を中心に~ 
(財)自治体国際化協会 CLAIR REPORT NUMBER 323 (Apr. 25, 2008)  

http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/323.pdf

演じ手たちについて

『至高の奉仕』のポスター

IASマディヴァダニを演じたナヤンターラは、フィルムフェア・サウスやSIIMA(南インド国際映画賞)などで最優秀主演女優賞を獲得した。台詞の吹き替えを担当したディーパ・ヴェンカトにも惜しみない賞賛が寄せられた。

女児の父親プレンドラを演じたラーマチャンドラン・ドゥライラージは、普段はギャングの手下のような脇役を演じることの多い俳優。『ジガルタンダ』ではギャングのセードゥ(ボビー・シンハ)の右腕の男を印象的に演じていた。

穴に落ちたダンシカの兄であるムトゥ、そしてムトゥの歳の近い叔父であるサラヴァナン、この2人の男児を演じたのは、それぞれヴィグネーシュとラメーシュ。日本では配信やDVDで紹介された児童映画『ピザ!』(原題:Kaakka Muttai、2014年)で主役の兄弟を演じた2人だ。

【作品紹介】

監督:ゴーピ・ナイナール
出演:ナヤンターラ、ラーマチャンドラン・ドゥライラージ、スヌ・ラクシュミ、マハーラクシュミ、ヴィグネーシュ、ラメーシュ、キッティ、ヴェーラ・ラーマムールティ、E・ラーマダース、ジーヴァー・ラヴィほか
音楽:ジブラーン
ジャンル:ドラマ
映倫区分:G相当
2017年/タミル語/120分(※ インド公開時のランタイム)
©KJR Studios

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