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タミル映画『カーラ 黒い砦の闘い』作品トリヴィア/ インディアンムービーウィーク2022

ムンバイのスラム、ダラヴィで、王と称されるタミル人カーラ。大家族の長として平穏に暮らすこの男が、再開発計画をきっかけにその背後にいる宿敵のヒンドゥー原理主義・マラーティー至上主義政治家と対峙する。開発に名をかりた社会的弱者の排除に対抗し、「土地は我らの権利」をスローガンとしたカーラの戦いが始まる。スラムに湧きおこるタミル・ラップ。

インディアンムービーウィーク2019上映時にTwitterでご紹介した『カーラ 黒い砦の闘い』トリヴィアを編集し、再掲載します。

ラジニカーント × パー・ランジット監督のコラボ第2弾

ダリト(不可触民)解放というテーマを1作ごとに鮮明にする、気鋭のパー・ランジット監督。本作は、『帝王カバーリ』(原題:Kabali/ 2016年)でラジニカーントと初めて組んだパー・ランジット監督とのコラボ第2弾。

『帝王カバーリ』(原題:Kabali)ポスター

舞台はムンバイのスラム、ダラヴィ

前作『帝王カバーリ』ではマレーシアのタミル人社会が舞台でしたが、本作のそれはムンバイにある世界的に有名なスラム、ダラヴィ(ダーラーヴィー)です。インディアンムービーウィークでの上映前の2019年8月に、政府による再開発計画が発表され、さまざまな波紋を巻き起こしていることが報道されました。

2019年10月18日に公開された『ガリーボーイ』。『カーラ』を同作の鑑賞の前に/後に見て絶対に後悔しません。ダラヴィを舞台にしながら対照的な2本ですが、どちらも真実のダラヴィ。劇中の台詞にある通り「ダラヴィはインドの縮図」なのです。

左:『カーラ 黒い砦の闘い』 右:『ガリーボーイ』ポスター

『ガリーボーイ』では、主人公が実在のダラヴィのラッパーであるNaezyをモデルにしているのに対し、『カーラ』では、Dopeadeliczという同じくダラヴィ・ベースの南インド系ユニットがフィーチャーされます。両作のヒップポップ聴き比べも面白いでしょう。

ダラヴィの推定総人口約75万人のうち、最大の36%強がタミル人、続くのが地元のマラーター人約33%という統計も。ですので、マラーティー至上主義者の政治家であっても、ダラヴィを地盤にするなら多少はタミル語も話すというのも、あながち荒唐無稽とは言えません。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

ダラヴィの特色は、スラムでありながらも各種の家内制手工業のハブでもあるという点。コツコツとした労働によって蓄積を重ね、子弟を高等教育機関に送り出し、中産階級の末尾に手が届くほどの生活をしている人も一定数いるのです。

ですので、『カーラ』で綺麗な晴れ着を着た人々が歌い踊るシーンも、必ずしも絵空事とは言えないのです。ただし、仮にホワイトカラー職でゆとりある生活をしていても、ダラヴィに住む限り、トイレは共同のものしか使えないということも、作中で繰り返し語られます。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

主人公カーラ

ラジニが演じるカーラ(カーラー)は、父の代にタミルナードゥ州南部のティルネルヴェーリからやって来たという設定。イーシュワリ・ラーオが演じる妻のセルヴィも同じです。フマー・クレーシーが演じるザリナーは、同地方のパッタマダイにルーツがあります。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

パッタマダイのイスラーム教徒女性が作る特産品である、しなやかでカラフルなラグは、ヒンドゥー教徒の婚礼の必需品でもあり、ヒンドゥー&ムスリム融和のシンボル的なアイテム。ザリナーのキャラクターはそんなイメージを背負っているのかもしれません。

ラジニ演じる主人公、カーラの本名はカリカーラン。チョーラ朝初期の半ば伝説の王の名前です。この王は、3世紀ごろに成立したというタミル古典文学『歌舞人の案内記』に謳われ、賢明で気前の良い王様として讃えられています。『歌舞人の案内記』は日本語訳で読むことができます。

タミル古典学習帳 —『パットウパーットウ(十の長詩)』訳注研究—
高橋孝信 (著) 山喜房佛書林(刊)  (2017年6月発売)

カーラはヒンディー語で「黒」の意味。また彼が孫たちに、「カーラサーミ」という神様の名前から貰ったと説明するところもあります。おそらくカーラサーミは大寺院の本尊ではなく、路傍に佇む土俗神。カーラサーミと生身のカーラが同時に崇拝される面白いショットもあります。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

色のシンボリズム

カーラでの色のシンボリズムは目を惹きます。白は本作中では潔癖で純血主義的な不寛容の色、青はアンベードカル・ブルーと言われるダリト運動の色、赤/橙はヒンドゥー教原理主義の象徴から、最後に何か別のものに変わります。そして最も重要な黒は、重層的な意味を持つようです。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

インドの初代法務大臣として憲法の制定に尽力したビームラーオ・アンベードカル博士(1891-1956)は、不可触民「マハール」コミュニティの出自で、不可触民の差別撤廃に挺身した人物。最晩年に数十万人のマハールの人々とともに仏教に改宗し、新仏教の祖としても知られています。

作品中の「黒」はドラヴィダ民族主義や無政府主義運動の旗印、労働者階級あるいは社会の低層にいる人々の肌の色など、様々な概念を内包しています。ドラヴィダ民族主義は、北インドのアーリヤ文化に対抗し、またカースト制の頂点にいるバラモン階級に対して異議を申し立てる考え方です。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

ドラヴィダ民族主義と『ラーマーヤナ』

ドラヴィダ民族主義は本作の中で、裏返された『ラーマーヤナ』として現れます。カーラの居室にある本の題名が『Ravana Kaviyam』。1946年に出版されたこのタミル語小説は、『ラーマーヤナ』の悪役であるラーヴァナを正直で公正な王として描いたものだそうです。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

『ラーマーヤナ』で十頭の魔王として登場し最後に成敗されるラーヴァナを、正義の側のヒーローとして持ち上げた文学や映画の作品は南インドでは数多く、マニ・ラトナム監督の『ラーヴァン』(2010)などもその一例です。

マニ・ラトナム監督作品『ラーヴァン』(2010)

また文学の世界でも、例えば『バーフバリ』の前日譚『The Rise of Sivagami』で有名なケーララ人英語作家アーナンド・ニーラカンダンのデビュー作である『Asura』などもその系譜に連なるもので、この小説はベストセラーになりました。

『ラーマーヤナ』はヴィシュヌ神の化身であるラーマ王子が、羅刹であり熱心なシヴァ信徒でもあるラーヴァナを滅ぼす物語。ヴィシュヌ派の世界観が濃厚です。本作では、カーラと対立するキャラクターにはハリデーヴ、ヴィシュヌバーイなど、ヴィシュヌ系の名前が目立ちます。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

本作には、さらにもっとストレートに『ラーマーヤナ』の朗誦会のシーンも現れます。クライマックスのひとつである第6巻(戦争の巻)107-108章のあたりです。邦訳は『新訳 ラーマーヤナ 6』などで。

ダリト解放運動

本作においてドラヴィダ民族主義以上に重要なファクターが、ダリト解放運動です。ダリトとは歴史的に不可触民と呼ばれてきた人々の自称。13億超のインドの総人口のなかで2億人以上いると言われる、カーストの枠外に置かれ最下層を占める人々です。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

統計はないものの、スラムであるダラヴィの住人の多くがダリトであると言われています。本アカウントはダリトについて詳説する能力はないので、『現代インドのカーストと不可触民 都市下層民のエスノグラフィー』(鈴木真弥著)のP.19からの引用を以下に紹介します。

〈経済的弱者という点では、低カースト(シュードラ・ヴァルナに属するカースト)と類似した状況に置かれながらも、「蔑視され、スティグマを負った、不浄のコミュニティ」とラベリングされている点で、低カーストとは社会的位置づけが質的に異なる〉

『現代インドのカーストと不可触民 都市下層民のエスノグラフィー』
(鈴木真弥著/ 慶應義塾大学出版会刊)

2億超の人口がありながら、地域・言語・宗教などで分断され数のパワーとなれないダリトの現状を訴える文芸は「ダリト文学」と称され現代インド文学の重要なジャンルとなっています。自らがダリトである『カーラ』のパー・ランジット監督は、この先「ダリト映画」の旗手となるかも。

「インディア・グリッツ」によると、ラジニカーント本人は『帝王カバーリ』(16)続編を考えていた中、パー・ランジット監督はダラヴィをリサーチし、新たなストーリーを執筆。娘婿(当時)のダヌシュがそれを気に入り、プロデュースを引き受けたとのこと。

音楽

『カーラ』の音楽を予習するなら、ジュークボックスがオススメです。ソングビデオにはエンディングシーンが含まれるものがあるのでご注意を。音楽監督は、『帝王カバーリ』(16)に続き、サントーシュ・ナーラーヤナンが担当しています。

作中に散りばめられた記号

本作が4作目であるランジット監督は、一貫してダリトの生活誌、コミュニティが抱える問題などをテーマとしてきました。本作にも、仏教寺院、アンベードカル博士の肖像、牛肉専門店、洗濯場、公共空間の清掃人など、さまざまな記号やイメージが散りばめられています。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

ジープのナンバー(詳細はリンク参照)、シヴァージー・ラーオ・ゲークワード(ラジニカーントの本名)というキャラ、スラム再開発勢力と手を組むマヌという建設会社(カーストの4種姓を定めたマヌ法典から)など、カーラに埋め込まれた意味ありげな記号を挙げるとキリがありません。

アンベードカル博士

ダリト解放運動の指導者にして理論的支柱でもあったアンベードカル博士の言葉を引用し、ストレートにメッセージを打ち出すシーンもあります。素晴らしいタイミングでインド国立映画アーカイブがアップしてくれた、別の映画での博士の有名な演説をご覧ください。

上記作品は『Dr. Babasaheb Ambedkar』 (2000/監督: Jabbar Patel)。インド国家映画賞で作品賞、主演のマンムーティーは演技賞(この年はアジャイ・デーヴガンも同時受賞)を受賞しました。キャスト一覧には、デビューまもない頃のナワーズッディーン・シッディーキーの名も。

『Dr. Babasaheb Ambedkar』 (2000/監督: Jabbar Patel)

パワフルな女性像

「迫り来る虎に篩(ふるい)を手に立ち向かい追い払った女」。劇中で言及されるタミルの諺です。パー・ランジット監督は、被抑圧階層であるダリトの中でもさらに内なる抑圧に晒されているという女性に対しても鼓舞を忘れません。本作に登場するパワフルな女性像にも注目です。

『カーラ 黒い砦の闘い』に登場するパワフルな女性キャラクターたち

政治家やセレブの「お面」

撮影監督ムラリG.と美術監督ラーマリンガムについても。リンク先記事に掲載の写真にある政治家やセレブのお面を見たことがある方も多いでしょう。普通は不気味だったり滑稽だったりもするこのお面で、2人が作り出したまさかの胸熱シーンををお見逃しなく。

タミルナードゥの太鼓パライ

話は変わり、劇中に登場する楽器について紹介します。ダラヴィにコミューンのようなものができあがるシーンで画面に映る片面太鼓は、タミルナードゥのダリトの文化的シンボルともいえる太鼓、パライ(別名:ダップ、タップとも呼ばれる)です。

『カーラ 黒い砦の闘い』より

また、劇中インターミッション前の楽曲♪Nikkal Nikkal(出て行け、の意)では、画面に映りこそしないものの、この楽器が演奏されています。本作の音楽CDお披露目では音楽監督サントーシュ・ナーラーヤナン+Dopeadeliczらが、この太鼓の演奏とともに曲を披露。

タミルナードゥの太鼓パライ(別名:ダップ、タップ)は、古代においては戦さ太鼓だったともいわれます。それがいつの頃からか葬儀にあたって葬列を先導するダリトが奏するお囃子の楽器となり、死の穢れと結びついて忌まわしいものと見なされるようになったとされています。

ダリトにとっては生活の全てを彩る身近な楽器であるタミルナードゥの太鼓パライ(別名:ダップ、タップ)ですが、演奏は、ダリト・コミュニティー内でも演奏は男性に限られています。それ以外のカーストにとっては、葬式でしか接点がない不吉で忌まわしい楽器としてとらえられています。

映画の中に登場する、パライ演奏の場面
パー・ランジット監督のデビュー作『Attakathi 』(2012)より

2018年の東京国際映画祭で上映された『世界はリズムで満ちている(原題:Sarvam Thaala Mayam)』にも、パライを演奏する場面が出てきます。この作品の主人公はキリスト教徒ですが、劇中で差別を受ける場面がありました。

ただし、タミル語映画においては、ダリトへの言及とは関係なく、田舎風の野性味や都市の庶民のたくましさを演出するため、パライ(ダップ)などのダリト楽器が登場することがしばしばあります。その一例として、『Bogan』(2017)の挿入歌を紹介します。

パー・ランジット

パー・ランジット監督はデビュー 以来、作品にダリトの生活描写を意図的に画面に取り入れ、作曲・作詞家等、主要な裏方もダリト出身者の「ランジット組」のような人々で固めています。Twitter(https://twitter.com/beemji)ではダリトによる表現活動の現在を反映する音楽や映画を紹介。

パー・ランジット監督作品であっても、劇中に「ダリト」の名称が出てくることはありません。タミル映画の中でカースト名が直接言及されることは少なく、あからさまに連呼すれば、そのカースト・コミュニティーに対して作られたものと見なされ、興収に響く可能性もあるためです。直接の言及を避ける代わりに、ダリトの太鼓パライ(ダップ)が「記号」として使われ、明確な言及がなくてもダリト映画であることが示されている、というわけです。

パー・ランジット監督も活動に関わる音楽グループ'The Casteless Collective'のインタビューをご紹介します。監督をはじめ、墓地で太鼓を叩く青年や詩を書くうちラップを始めた青年たちの声。音楽を通じ、現状を変えていこうと活動しています。(英語字幕)。

【作品情報】

監督:パー・ランジット(『帝王カバーリ』『マドラス 我らが街』)
出演: ラジニカーント(『ムトゥ 踊るマハラジャ』『ロボット2.0』『ペーッタ』)、ナーナー・パーテーカル、フマー・クレーシー(『英国総督 最後の家』)、イーシュワリ・ラーオ(『K.G.F Chapter 2』)、サムドラカニ(『無職の大卒』)
音楽:サントーシュ・ナーラーヤナン(『僕の名はパリエルム・ペルマール』)
ジャンル:ドラマ、アクション
区分:G
2018年 / タミル語 / 161分

『カーラ 黒い砦の闘い』上映情報はこちら


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