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ADHDをオープンにした時に同僚から飛んできた“悪意のない言葉の矢“〜子ひつじとのADHD育児を振り返る③〜

担任の先生からの勧めで発達支援センターに通い、ADHDの診断を受けた子ひつじ年長の頃。
子ひつじの多動はひと目見れば分かるだろうし、隠す必要もないので、当時付き合いのあったママ友や仲のいい同僚にはADHDのことをオープンにしておりました。

そんなある日、子持ちの同僚からこんなことを言われました。

「ははひつじさん偉いよね。子どもの障害のことオープンにするって。私だったら無理(笑)」

前半の言葉を聞く限り、多分、ホメてくれたのでしょう。
そして、後半の言葉を聞くと「障害はオープンにできない」という本心がとてもストレートに表されており、その言葉の矢は、ははひつじの心にドスっと刺さりました。

そうか。「無理」か。

子ひつじのADHDをオープンにしているのは、ADHDってこんなんですよ、というのを周囲に知っておいてもらうため、そして子ひつじ自身にADHDであることを自覚してもらうためでもある。

もちろん、周囲に知ってもらうのは、便宜を図ってもらうためではない。

子ひつじのADHDについて、悪意を向けられても仕方ないと思っている。
差別的な態度を取られるのも覚悟していた。
いじめ上等。いじめっこのパターンは読めるので全力で守ってやる。
「子どもの障害を受け入れる」ってのは多分、そんな感じで腹を括らなければならないことだと考えていたので、オープンにすることは自分にとって「恥」とか「無理‘ではなかった。

ただ、現実は「無理」が多いのだろうな。

刺さった矢を引っこ抜きつつ「理解の壁」というものがあるんだな、という現実を知った次第であります。

インクル羊(シープ)として、インクルーシブな世の中になったらいいな、的な活動を始めているわけですが、差別的な矢を受けるだけでなく、きっとこちら側も知らずに何か無理解の矢を放っているのかも、という考えも常に頭の隅に置きつつ、なんとか折り合いのつく世の中になればいいな、と日々考えております。

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