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子ひつじが中学の卒業文集で結構正直に自分のことをぶっちゃけていました〜「普通」であることを目指したADHDの中学生活〜

第一志望の高校に合格し、先日無事に中学校を卒業した子ひつじ。
ははひつじは、普段の授業のノートや落書きなどはこまめにチェックするのに、卒アルや文集などはほぼほぼスルーするという、多分、情緒の一部が盛大に欠けている人間なので、当日にママ友から「子ひつじちゃんの文集よかったよ」とLINEをもらうまで、子ひつじの文集に全く気づいていませんでした。ファイブスターの新刊とか読んでる場合じゃない、と思い、あわてて文集をめくったら、意外とぶっちゃけて、そして、自分の置かれている状況にとても冷静な我が子の文が綴られていました。
本人の許可をとったので、まずは全文ご紹介します。

みんなと少しちがう

「普通の人と同じになりたい」こう願うようになったのは、小学校6年の終盤あたりだろうか。僕はADHDで簡単に言えば、心や気持ちのコントロールができなくなる病気だ。それゆえ、他人には少し冷たい目で見られたり、だんだんと僕を避けるようになっていく人もいた。他人のように上手くコミュニケーショをとりたい、頑張ってみんなと同じになりたい、こんな思いを抱えながら小学校を卒業した。
中学に入学した後は、特別支援学級に入って少しづつ学校に慣れ、普通の人と同じになれるよう一生懸命努力した。しかし、だからといってADHDの症状がなくなるわけでもなく、気持ちのコントロールは上手くできていなかった。
進級後も特別支援学級に入り、少しづつクラスに馴染んでいった、
一年の時とは違い、コミュニケーションも上手く取れるようになっていった。
三年になってからは特別支援級から卒業し交流級で生活できるようになり、当初の願いを達成できたのだ。
それでもまだ少しコントロールできない部分もあるが、小学校の頃よりもっと普通の人に近づけたのではないかと思う。
ADHDは根治することは現代の医療技術では不可能だ。ADHDがあってもより暮らしやすく、また日常生活のスキルを習得しやすいように後ろ支えすることが大切だと思う。僕は高校に入っても、中学校生活で身につけたコミュニケーショの能力や、心、気持ちのコントロールをできるようにしていきたいと思う。


読んだ直後。

子ひつじが自分のことを客観視していることにも驚きましたが、ここまで正直にぶっちゃけちゃっていいの?我が子よ、とも思いました。

幼少期から、友達づきあいがうまくいかず、クラスでも浮いてしまい、トラブルメーカーでもあった子ひつじ。でも、どんなにバカにされても、仲間に入れてもらえなくても、どのクラスに所属しても「クラスのみんな」を追い求めていた子ひつじ。
その原因は「普通じゃないことだ」ということを誰よりも痛感していた子ひつじ。

「クラスのみんな」と一緒にいるためには「みんなと同じになること」が突破口と気づいた子ひつじ。小学校時代の通級でソーシャルスキルを学び、部活入って集団生活を学び、中学でもひたすら気持ちのコントロールを続けた。

文集を読み進めて気づいたことは、子ひつじなりにADHDとは?と自身の特性について学び、考え、向き合っていたんだなということ。
幼少期より、ADHDは根治はしないということは説明をしていましたが、それがちゃんと子ひつじなりに理解していたことがわかったのも発見でした。

悩みに悩んで、中学の「自閉症・情緒障害支援教室」を選択し、俯き加減の入学式を迎えた日から「普通級」で卒業できるまで、本人のがんばりはもちろん、ADHDが発覚した保育園時代、治療前から学校で伝説を作りまくった小学校低学年時代、普通の皮をちょっとだけ被れるようになってきた小学校3年〜6年まで時代、スタートダッシュで盛大にコケた中1時代、鉄友だらけの交流級となり、クラスに受け入れられた中2時代、晴れて「普通」っぽくなれた中3時代、一緒に見守ってくださった先生方、そして主治医や市の支援があって得た「普通」です
無事卒業できました。
本当にありがとうございました。

引き続き、noteでは振り返り育児日記を綴ってまいります。

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