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オーストラリア・QLD州のインクルーシブ教育①

はじめに

 私の研究テーマの一つはインクルーシブ教育です。より詳しくいえば、インクルーシブ(包摂的な)学校をどうつくるかに注目して研究しています。
インクルーシブ教育という言葉に出会ったのは、私が大阪府の公立中学校の教員をしていた時でした。当時、私はある学級の担任をしていましたが、ある障がいがあるという生徒の保護者と話していた時でした。その保護者が、国のインクルーシブ教育システムに関する資料などを持ち寄られ、合理的配慮に基づいた支援や成績の評価をしてほしいとの願いを語れました。その時、初めて私は、インクルーシブ教育という言葉と出会い、日本国内での考え方にふれることになりました。このことを通して、私自身の授業や評価の方法をインクルーシブな観点で見直す機会にもなったのでした。
 その後、大学教員になってから、たまたま、インクルーシブ教育の研究会や共同研究のプロジェクトに関わることになりました。この2016年から2020年の間に、イギリスのロンドンに2回、オーストラリアのクイーンズランド州に2回、色々な学校の訪問調査の機会を得ました。今回と次回は、クイーンズランド州のたインクルーシブ教育について書かせていただきます。

クイーンズランド州のインクルーシブ教育

 クイーンズランド州は、オーストラリアの北東部にあり、人口はおよそ五百万人です。他の州と同じく人種的に多様ですが、大きな特徴は、先住民であるアボリジナルやトレス諸島住民が多く居住していることです。こうした先住民には、その伝統的なライフスタイルや価値観、また、先住民の言語を用いていることでの不利、また、差別の歴史なども重なり、経済的に不安定な層が多くいます。また、伝統的なライフスタイルや価値観において、毎日、学校に行くことを重視しない家庭も多く、慢性的な不登校傾向が大きな課題となっています。
 驚かれるかもしれませんが、クイーンズランド州の文脈でいうと、かれらの教育の保障の取り組みも、州のインクルーシブ教育の重要な一部として位置づけられています。それは、先住民の背景に関わって教育を妨げる障壁(バリア)があれば、それを取り除く取り組みをすることがインクルージョン(包摂)であると考えられるからです。この視点は、難民であったり、他の教育上のマイノリティにおいても同様です。
 われわれ日本の教育者は、インクルーシブ教育と聞くと、障がい児の教育のことを思い浮かべます。例えば、文科省の定義においても、インクルーシブ教育システムは「(中略)…障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」と書かれています。ただ、オーストラリアであったり、他の欧米の国々では、様々な背景や理由で教育から排除されがちな人々(教育上のマイノリティ)が排除されず、等しく質の高い教育のプロセスに参加できるようにすることがインクルーシブ教育であると捉えられています。つまり、インクルーシブ教育は特別な教育ではなく、教育一般の方針と定められているのです。
 クイーンズランド州は、州としてインクルーシブ教育の推進を目標に掲げる州で、2005年にはインクルーシブ教育宣言を発表、2018年にはそれをさらに改訂した宣言を発表しています。それを図示したのが、図1です。この図には、州が特に、教育上不利な立場にあると捉えている子どもの例が明示されています。それらは、①アボリジナルやトレス諸島の生徒、②文化的、言語的に多様な背景をもつ生徒、③自らを性的マイノリティ(LGBTQ+)として捉える生徒、④家庭外のケアを受けて暮らす生徒、⑤遠隔地の生徒、⑥障害のある生徒、⑦メンタルヘルス上のニーズのある生徒、⑧ギフテッドの生徒(gifted and talented)です。

豪・クイーンズランド州のインクルーシブ教育政策宣言のイメージ図

 それでは、インクルーシブ教育の目標はどのように設定されているのでしょうか。この宣言では、その目標として、地域的・社会的背景、アイデンティティや能力の異なる全ての生徒が、①地域の学校や教育センターに通学できること、②質の高い教育およびカリキュラムにアクセスし、同年齢の仲間とともに参加できること、③いじめや差別、ハラスメントのない安全で支持的な環境の中で学べること、④学習ニーズに応じた合理的調整や支援により、学業的かつ社会的に能力を高められること、の4点を挙げています。私は、この4つの目標は、インクルーシブ教育が具体的にめざすものとして、クイーンズランド州に限らず、普遍性をもつものではないかと感じました。まず、障がいに限らず、さまざまな違いのある生徒が、基本的に、地域の学校に通学し、共に学び、成長できる環境を保障することが述べられており、それを可能にするための合理的調整(合理的配慮のこと)の必要性も述べられています。また、それだけではなく、「いじめや差別、ハラスメントのない安全で支持的な」学習の環境をつくることも挙げられています。そうした、いじめ・差別のない環境をつくるためには、それを実現するために、多様性の尊重を促すような教育活動も当然必要となるでしょう。

 右のような、クイーンズランド州のインクルーシブ教育の全体像を見ると、「障がいの有無」という点に絞って考えがちな日本のインクルーシブ教育の捉え方よりも、非常に広いものであると気付かされます。それは、障がいや様々な学習上の困難を抱える子どものケアだけではなく、先住民や移民・難民、性的マイノリティの子ども、虐待を受けている子どもなど、全ての子どもを学校教育の中へ包摂し、教育を保障することをめざしたものです。
 特に、クイーンズランド州のインクルーシブ教育における、全ての教育上のマイノリティの教育上の不利に対応しようとする姿勢は、日本でこれに相当するものを考えてみると、(インクルーシブ教育というよりも)人権・同和教育がこれにあたるのではないかと感じました。人権・同和教育は、その歴史的過程において、被差別部落の子どもの教育保障や差別解消の教育からスタートしましたが、在日コリアンの子どもや障がいのある子ども、ニューカマーの子どもや性的マイノリティの子どもなど、取り組みの視点をどんどんと広げて、今にいたっています。ですので、もし、クイーンズランド州の教育関係者が、人権・同和教育の取り組みを知るとすれば、それは彼らの「インクルーシブ教育」と同じだと感じるに違いないと私は思いました。

結びに

 ただ、右のように、多様な教育上のニーズに対応し、教育を保障しようとするクイーンズランド州ですが、課題もあります。例えば、障がいのある子どもの支援に関してもそうです。歴史的には、1990年代前後には、国際的な統合教育(インテグレーション)の流れにのり、クイーンズランド州でも特別学校(日本でいう特別支援学校)を減らし、その子どもたちが地域の学校で学べる体制づくりが進みました。調査した複数の州立学校では、多種多様な障がいのある子どもが、他の生徒とともに授業を受ける姿がありました(ただ、フルインクルージョンというわけではなく、教科やその子のニーズに応じて、特別支援のユニットで一定時間学ぶ生徒もいます)。ただ、学校によっては、日本と同様、障がいのある子どもが特別学校や特別支援ユニットで学ぶ率が近年上がっており、「排除」が強まっている状況もありました。そうしたこともあり、インクルーシブ教育の意味や実践上の方向性を再確認しようとしたのが、2018年のインクルーシブ教育に関する新たな州の宣言であったと思います。次回は、実際に、現地の学校を調査して見えてきたことなどを紹介したいと思います。


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