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発達専門病院を受診する為に、かかりつけ医に紹介状を書いてもらう話



まだ午前中だというのに、あちこちから蝉の鳴き声が聞こえるようになってきた暑い日。風邪も引いていないすこぶる元気な4歳の息子と2歳の娘を連れて、私はかかりつけ医のもとを訪ねた。
目的はただ一つ。
息子が通う療育先からおすすめされた小児発達専門病院を受診する為には、かかりつけ医の紹介状が必須だったから。
事前に電話で来院の理由を伝えていたとはいえ、やっぱり気が重い。相手が誰であっても息子の凸凹について、イチから他人に話すのは労力がいる。でも仕方ない。この関門をくぐらなければ、専門医に辿り着くことさえ出来ないのだから。

息子は今、幼稚園の年中さんである。あと半年後には年長さんになり、就学相談が始まる。ぐずぐずしていたらあっという間に小学生だ。その前に、WISC等の検査結果と専門医の所見を手に入れ、学校側に出来る限りの配慮をお願いする必要がある。
福祉の狭間にかろうじてぶら下がっている息子の為に、使えるカードは多い方が良いに決まっている。とにかく動くしかない。私が。時間は待ってくれない。
気が重い、腰が重い、ここでハズレくじを引くわけにはいかないというプレッシャーで両肩も重い。しかし『予約に半年待ちは当たり前。受診や検査まではさらに時間がかかる』という、凸凹育児に奮闘する先輩ママ達の教えが、意気地の無い私の背中を押してくれた。
ありがとうツイッター、賢者の泉。

まずは希望する専門病院に、受診したい旨を電話で連絡。受付は年配のマダムだったが、とてもハキハキしていて感じが良かった。息子の凸凹についていくつか簡単な聞き取りがあったが、こちらの言う事を聞き返したり、確認することなくスムーズにメモを取っている様子が伝わってくる。つまり、発達の用語や偏りの話に慣れている。さすが専門病院。ここで私の信頼度がぐっと上がる。単純。
でも仕方ない。だって、話が通じるって、凸凹育児をしている母親たちにとっては当たり前じゃない。『はいはい、なるほど。承知しましたよ。後は任せてお母さん』と、もちろんそのマダムに言われたわけではないけれど、それくらい心強かった。

そして冒頭ーー私はそのマダムに指示されるまま、紹介状を求めてかかりつけ医のもとを訪ねたのだ。
かかりつけ医を受診する際も、受付に電話して来院理由を簡単にお話したが、マダムと違ってこちらは鈍い反応。長引く保留音を聞きながら『これが当たり前の反応だよなぁ…こんな電話は滅多にかかって来ないんだろうなぁ…そりゃ受付のお姉さんも対応に困るよね…』と、ぼんやり思った。悲しいわけでも腹立たしいわけでもない。ただ、こういう時は諦めにも似た疲労がじわじわと広がっていく感じがする。受付のお姉さんは終始困惑した様子で、とにかく本人を連れて一度来院するようにと言った。

かかりつけ医は、かつて大きな総合病院で小児科医として働いていたおじいちゃん先生だ。もうかなりお年を召していらっしゃるはずだが、まだまだ現役で、この辺りの小児科ではダントツで患者数が多い。
診察室に通された私は、息子が週一回療育に通っていること、2歳を過ぎた頃から文字が読めたこと、3歳から教えなくても時計や計算を覚えてしまったこと、しかし臨機応変なコミュニケーションや踊りなどの模倣が苦手で、間違いに対する不安感が強いことなどを説明した。そして凸凹の差があるので就学に向けて専門医を受診する為に、紹介状を書いて頂きたい旨を伝えた。


私が住むのは、まだ住宅地の間に田畑が見られるような田舎である。こういう理由で来院する患者は珍しいのだろう。いつの間にか後ろに控えている看護師さんの人数が増えていて、「え〜!すごい!!そんなことあるの〜?」「○○くん、天才だね〜〜!!」と陽気な合いの手が入る。娘を抱いてくれていた看護師さんまでもが、何事かと覗きにやって来た。震える声を抑えながらなるべく簡潔に伝えなければと緊張する私に、「これが特性ってヤツなんですよ〜〜!」と返す余裕はない。
私は、ここで紹介状を書くのを渋られたら手間が増える……何としてもお願いしなくちゃ…と考えていた。
時折メモを取りながら黙って私の話を聞いていた先生に、やや興奮気味の看護師さんが「そういう子、初めて聞いたかも。先生〜、○○くんすごいですよね?天才ですよね!?」と話しかけた。先生は少し笑って、「天才ではないと思うけど」と言った。


その時、私は嬉しかった。上手く言えないけれど、心の底から嬉しかった。
息子の一部分だけを切り取って天才だ何だと、褒めそやしてくれる看護師さんたちの無邪気な声よりもずっと、先生の落ち着いた反応が嬉しかった。それはなぜか。
改めて考えてみると、先生の態度と声色に、私たち親子に対する嘲笑も、否定も、驚きも、含まれていなかったからだ。むしろあったのは、三度の飯より数字が好きでダンスなどの模倣はかなり苦手、という息子を見つめる先生の眼差しに『僕もそうだったよ』というような、静かだけど肯定的な、あるいは共感的な空気を感じたからだ。だからこそ「天才じゃないと思うけど」と、先生は少し笑ったような気がする。

もちろん先生が自分語りを始めたわけではないので、真実は分からない。医師よりもダンサーになりたかったのかもしれない。いずれにせよ、先生は息子の凸凹を最後まで聞いた上で、ただあるがままの子どもとして受け入れてくれていた。何もおかしいことではないし、特別なことでもないと。親の私と息子に、言葉と態度でそう示してくれた。
私はそれがとても嬉しかった。それは今まさに、配慮を求める為に奔走している母親の立場とは矛盾しているかもしれないけど。


いつでもどこでもジャッジされ慣れて来た、私はたぶん知らぬ間にとても疲れていた。
息子の得意不得意を分析し、課題があれば報告相談し、関係各所と協力体制を作り、不登校にならないか、二次障害にならないか、自己肯定感は育っているか、私の育て方で息子の人生を不意にしてしまわないか、そんな心配ばかりして。私は息子の凸凹に並走出来る母親でなくてはいけない、息子にとって常にベストな母親でいなくてはいけない、と自分に圧をかけていた。私しかいないのだから。私がこの子の母親なんだから。私が望んで産んだんだから。他人に言われればクソリプと一蹴出来るような事なのに、自分の中で勝手に肥大して歯止めが効かなくなる場合もあるのだ。

先生はペンを置き、「何でも完璧な子なんていないからね」と続けた。そして息子の目を見て、「僕からすれば何ら問題のない子ですよ」と言い切った。でもお母さんがそう言うなら紹介状は書きましょうね、というニュアンスも付けて。
看護師さんたちはもう何も言わなかった。

こうして私達親子は、めでたく?紹介状を手に入れた。息子は来年、桜の咲く頃に初めて小児の発達を専門とする医師に診てもらう予定だ。そこでWISCの検査も受けさせてもらえることになった。少しでも息子が生きやすいように、色んな人の知恵や力を借りながら、子育てしていけたらと思っている。


ご存知の方も多いと思いますが、子どもの発達を専門とする医師は本当に少ない。需要に対して供給が足りていない。全然。
地方在住ならなおさら、自分から情報を集めに行かなければどこに生息しているのかすらも分からない。見つけたとしても、ググるだけでは実績や評判が分からない。図鑑にも載っていない。まさにレアポケモン。
悩めるママさんたちが、信頼出来るレアポケモン…じゃなく、医師や支援者と出会えますように。

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