自由というぼくの旅

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以下は、某イタリア雑誌の記事を訳したものです。イタリアの大人気歌手ジョヴァノッティJovanottiことロレンツォ・ケルビーニLorenzo Cherubiniが本年1月から40日間ひとり自転車で南米ツーリングをしたときのことを中心にインタビューに答えています。訳者がこの歌手の大ファンであるのと自転車ロードレースも好きなため、自身が楽しむために読み、訳してみました。

雑誌発売日は、新型コロナウイルスの影響がなければ、三大自転車レースのひとつ「ジロ・ディ・イタリア」が始まる日だったのもあって、もうひとつのジロ、という扱い。本誌はそのイベントを主催しているスポーツ新聞社が発行している週刊誌。
編集長による本記事についてのコラムはこちらから。

*章分けおよび章タイトルは便宜上、訳者がつけたもの。(*)は訳注を示します。


1 編集部より

10月に延期となってしまったジロ・ディ・イタリア。ほんとうならば今日5月9日に始まるはずだったが、私たちは、もうひとつのジロの話をしようと思う。1月から2月にかけて、サンチャゴ・デ・チレの北にあるラ・セレーナから、アンデスを越えてブエノスアイレスまで走ったジョヴァノッティのジロだ。ロレンツォが出発したのは、マルコ・パンターニが50歳になるはずだった1月13日。チリからアルゼンチンまで40日間ペダルを漕いで、4,400キロを走り抜けた。ひそかに大それたことをやってのけたのだ。自転車を整備してくれたフォルリの友達アウグスト“ガス”ボルドーニが一週間だけ伴走した。運が良ければ小さなホテルに泊まれたが、一人でテントを都度ひろげて眠ることもあった。食事はおもにバナナ。その旅はいま「Non voglio cambiare pianeta 星を変えたくはない」という16話のドキュメンタリー番組となって一年間Raiplayで配信されている。「星を変えたくはない」は、ジョヴァノッティが自転車を漕ぎながら撮影も自身で行なった。この企てを語ってもらうにあたって、私たちはファビオ・ジェノヴェージの筆力と感性に委ねることにした。彼はトスカーナ出身の作家で、ロレンツォとはサイクリングへの情熱はもちろん、分かち合えるものがたくさんあるはずだ。どうぞお楽しみに。

ファビオ・ジェノヴェージ作家。脚本家。1974年、ルッカ県マルミ・デイ・フォルテ生まれ。2019のジロ・ディ・イタリアではRai放送局コメンテーター担当。著作「Morte dei Marmi マルミの死」「Esche vive 生き餌」「Chi manda le onde 波をおくる者」のほか「Cadrò sognando di volare 飛ぶ夢をみながら落ちる」を今年発表。すべてMondadori社より。

2 まずはじめに

このところずっと個人の選択なんて余裕もないままに、家の壁に押しつぶされそうな停滞の日々を過ごしている。そうしたなか、ロレンツォと話ができるなんてこんな楽しみがあるだろうか。なにしろ彼が語ってくれる話はケタ違いで、自由と夢があふれる選択は私たちの魂を遠くへ、地平線にひろがる冒険が約束された場所へと誘ってくれるのだから。Jova Beach Partyという夏のツアー(イタリア各地の海岸で開催され、彼は観客の海のなかにいた)のあと、ひととき休暇をとるでもなく、自転車にひらりとまたがるや、彼はたった一人で40日間4,400キロというラテン・アメリカの道へ飛び込んで行ったのだ。

自転車への情熱というのは、いわば、世界のだれもがそれだけは勘弁してほしいというような状況にエクスタシーを見出すことだ。私たちは潜水夫であり、深い海の底に感動や幸せといった思いがけない鉱床を見出すために、わざわざ深海へ潜っていく。だからこそのボリビア、チリ、アルゼンチンなのだ。太陽と雨。雪と日焼け。出会うのは人間よりもリャマばかりの、誰もいない塩が広がる場所へ5000メートルのアンデスを越えていく。道案内をするナビゲーターはいない、どう行くかよりも大切なのはなにに出会うか。きっちり段取りを決めようだなんて、どんちゃん騒ぎのなか髪を整え、暴れまわっている子どもにネクタイをしめつけるようなものだ。ロレンツォはいく先々で得た素晴らしい出来事に驚きそして感激しながら、自身で小さなビデオカメラを回し続けた。それが16章のショートフィルムとなって、今日かつてないほどに私たちを魅了するこうした自由に溢れた世界を、私たちに見せてくれる。そして、映画館ですごく気に入った作品をみたときに隣の人に話しかけたくなってしまうように、私はそのことをロレンツォに話したい。彼のところに行って話しかけたいのだ。しかしいまの時期にそれが叶うはずもなく、だからパソコンモニターを通して、ハグする代わりにニッコリ挨拶してくれる彼に会うこととなった。彼が元気なのは見てすぐわかったので「元気ですか?」なんて聞くまでもない。そうではなくて、マルコ・パンターニの話から始めることにした。なにしろロレンツォの旅は「海賊(*パンターニの愛称)」に捧げる言葉から始まっているのだ。

3 マルコ・パンターニの思い出

Jovanotti(以下、J):旅の1日目はマルコの誕生日だったからね。50歳になるはずだった。ぼくは彼の大ファンで、もうパンターニに夢中だった、ぼくにとって彼はあとにも先にも最強のサイクリスト。マイケル・ジョーダン、ヴァレンティーノ・ロッシ、モハメド・アリ、ぼくにとって彼はそうした人たちのひとりなんだ。自転車界のヒーローでありレジェンドだよ。ぼくたちはお互いをよく知っていて、2回ぐらい一緒にサイクリングにでかけたことがある。彼はサイクルパンツにパッドなんて使いやしないんだ。馬に乗るように直に自転車を感じたいからって。ひとりで200キロのトレーニングをしているとき、補給食を忘れててエネルギー切れを感じたら、そのへんの家の前で止まってこう言うんだ。「私はパンターニ。お願いがあるんだけど、なにか食べ物もらえないかな?」って。ぼくが初めて自転車で旅に出た時のこと、1ヶ月間パタゴニアを旅したんだけど、彼に話したら夢中になってくれたな。一緒に行きたいって。限界に挑む旅ではあるけれど、競争ではない、その手のストレスとは無縁の冒険の旅をしたいと。レース中、彼の逃げの走りは、ほかのレーサーたちに向けたものじゃない、詩的なものなんだよ、彼は走らなきゃいけないから走るんだ。テレビでパンターニをみていて、逃げに入ったとわかった瞬間、思い返しだけでもゾクゾクするよ。走り去りながらほんとにこう言うんだ。「失礼するよ、クソったれ」。彼はこれを望んでいたんだ。進んでいくこと、そしてレースの緊張や他人の期待から遠ざかることをね。

4 表現者として

Fabio Genovesi(以下、F):「緊張」といえば、ロレンツォこそ、若いときからずっと、みんなの目に晒されているよね。どう対処しているの?

J:ぼくはうまくいっているよ。さいわいなことに妻と娘がいて、ごくふつうの家庭的な次元があるから。そこでの生活は、大勢のひとたちとの関わりから切り離されているんだ。ステージに上がれば、そこはぼくの世界、だけどステージを降りたら、ふつうの一人だよ。家に帰って、犬を獣医さんに連れて行って。それでリアリティの認識を失わずにすんでいるんだ。それに、スポーツとちがって音楽をやっているからね。スポーツ選手なら活躍期間はかなり限られているし、現役引退がそう遠くないことわかっているはず。30歳のクライマーなら、あと5、6年は活躍できるだろうけど、だからもし一回でもジロに出られなければ大ごとだよ。でもぼくには、目の前にまだまだ長い道がひらけている。90歳になっても──そのときまだ生きていればね──自分の世界を続けられるんだ。とはいえ、どっちにも重要なのは、自分のまわりに情熱的でパワフルなチームがあること。ぼくの友達でもあるヴァレンティーノ・ロッシも、彼を愛するひとたちに囲まれている、出場機会がないときでもね。それどころか、こうしたときに彼らのところへ行って、気持ちを支えているのがヴァレンティーノなんだ。その点、マルコは違っていた。ある時期から信頼してたひとたちを遠ざけるようになってしまった。だってそのひとたちはマルコに取り入るとかじゃない、隙あらば騙してたんだ。マルコは彼らの助けが必要だったのに。

F:スポーツ選手にしろミュージシャンにしろ、一般的に、消えるリスクってあるよね。向上できないとか、そのクオリティの維持さえできないケースもある。音楽の世界では、ロレンツォみたいにキャリアの早いうちに成功しても何曲かヒット出したあと、多くがいなくなってしまう。そうならないまでも、懐かしのステージよろしく過去の自分をカバーするだけとか。でもロレンツォは正反対の道のりを歩んでいる、どんどん精力的に、新しい世界を開拓していってるね。

J:それはたぶん、ぼくの素質にもよるんじゃないかな。ぼくの才能はいわば乏しい土地から生まれたものだから。もしフランク・シナトラの歌声を持っていたなら、きっとそれに頼り切ってしまったと思う。そうじゃないから、自分の表現力にはっきり限界があるっていつだって自覚しているんだ。あんなに音程しっかりしてないって。歌ってるときの(ジャンニ・)モランディなんて信じられないよね、ピアノとぴったり音があってる。ぼくはそうじゃない、だからこそ、ぼくが頼りとすべきなにか他のものを探すことに繋がったんだ。恵まれてるとすればそこだよ。

F:僕からすれば、小説の世界でもそれは同じことが言えるな。小説を書くためにインテリすぎるのも困りものだってよくあるから。ページを文字や飾りで埋め尽くすことに終始してしまうと、主題を見失ってしまう。メリットになりうる制約とは違ってね。ロレンツォはアメリカ大陸をながく旅するあいだ、すごく言っていたよね。「ぼくはギターが下手くそ。でもぼくが弾く下手なギターを弾けるのは、ぼくだけ」って。

J:よくよく思うんだ。『X-Factor(*タレントオーディション番組)には絶対でられなかったろうな』って。でも、それでよかったんだ!調子はずれにしか歌えないけどそのおかげで、唯一無比の世界、つまり、ぼくの世界へと入っていくことが許されたんだ。自分だけのやり方で、自分自身となかよくうまくやることを学ぶんだよ。

5 番組サウンドトラックについて

F:でもとにかく、この旅のサウンドトラックは貴重だよ。あのギターを弾いて歌えるのはロレンツォだけだ。ミニマムで、ダーティで激しく、でも温もりがあって昔からあるフォルクローレというか、いやむしろ時代を感じさせなかった。

J:そう、そこなんだよ、その意見には賛成だね。最近は、ほかの誰かと演奏することもできなくて。だからポータブルのマイク使って全部ひとりでやったんだ。ぼくもこのサウンドトランクはすごく気に入ってるよ!(*件の自転車旅は全16話のストリーミング限定番組として公開されているものの、日本から視聴不可なので、なんの話か今ひとつわからない。番組のサウンドトラックとして自宅で録音したらしい曲のうちカバー曲の権利問題が、国外視聴不可のおもな原因らしい)

F:言葉もだよ。イタリアの音楽では、サンレモの曲にしろトラップやってる曲にしろ、どれだけ自分ができるか見せつけるために学生ががんばってクラスで提出する宿題みたいな歌詞なんだよね。だから、堅苦しいし使い古されたフレーズになってしまう。だけど、ロレンツォのは本物のパワフルな言葉なんだよ。心の底からでてきている。

J:それにはかなり苦労したからね、音楽において言葉がすべてなんだよ。自分の声をみつけなくちゃいけないんだ。学歴なんてなんの役にも立たない。主題として世界一美しい歌といえば、デルタ・ブルースだよ。作曲者のなかには文盲のひとも多くて、それが結果として卓越したものになっている。自分の内にあるものを見るんだ、そしてなにかを見つけて、それを外に引っ張りださなくちゃいけないんだよ。

6 自宅隔離でおもうこと

F:きっとそのために、自分のなかを見つめるために、南米のだれもいない道をさまよいひた走りたかったんじゃない? 去年の夏のたくさん人を集めて大成功したツアーのあと。だけど、イタリアでも、孤独な状態を続けていくしかなかったよ、みんな自分の家に閉じこもって。最近はどう過ごしていたの?

J:この自宅隔離の最初から、自分の考えは決して同じままではなかった。だけど、ぼくにとって、こうしたことはすべて出し抜けにやってきたのではないみたいに思えた。まさになにかが起こってしかるべしとして、今回のことが起きたと。最新のリアリティだよ。コミュニケーション時代におけるパンデミックはまったく違うんだ。それがやってきたとき、ぼくは思った、オーケー、これが歴史なんだって。ふたつの世界大戦があって、今はこのパンデミック。これはぼくたちの出来事なんだと。ぼくたちの世代は、本質的には、なにも起きてなかったんだ。もちろん9.11のテロはあったよ。だけど遠い世界の話で、ニュースのなかの出来事だった。ほんとうに歴史と呼ぶにはまだ足りなかったんだ。だけど、ぼくたちはまさに今ここで歴史に生きている。家のなかに閉じこもって、信じられないぐらいに、なにもかもが変わってしまった。だけど、ぼくたちは学ぶ機会を逃すことはできないと思うんだ、このことからね。事実、また起こるかもしれない、だったら根本的なことを教わらなきゃいけない。まずはじめに市民の意識だよ。税金で公衆衛生にちゃんとお金を使えるようにする。公衆衛生が機能しないのは、じゅうぶんなお金がない、公金がちゃんと運用されてないってことだから。大切なのはそれを僕たちが若者に言って聞かせるんだ。金食い虫の汚職するやつがいるから税金が使われてしまう、じゃない。たしかに汚職するやつはいるだろうけどね、でも税金は集中治療やすべてのものに使われる。ぼくたちは国家意識を取り戻さないといけないんだよ。こういうことを歌手が言うもんじゃないっていうのもわかってる、だけど他に言う人がいないんだから。政治家もそんなことしない、皆さん税金を払わなくちゃいけませんよ、なんて言おうものならだれも投票してくれない、そりゃ黙ってるさ。もうひとつ、学んだ大切なことといえば、かつてない人間としてのリソースを見出したことだよ、想像だにしなかった緊急事態を前に結束できたんだ。多くのひとたちが立ち上がり、他者のために与え、そして与えられた。ぼくたちが得意なのは言い争ったり、よく考えもせずにでまかせ言ってばかりなんて嘘なんだよ、だからぼくにとって、このことは本当に根本的なスタート地点だとおもうんだ。明日になればまた政治や憂鬱な話で言い争いになったりするかもしれない、だけどぼくたちがこうして行動できたことを絶対にわすれちゃいけないんだ。ウイルスは、ほかの予期せぬ来訪者みんなと同じく、やってきて均衡を崩してしまう、そして社会的力学をあらわにしてしまうんだ。なかにはすごくいいものもある。重要で大事なことだよ。ファビオ、きみは小説を書いているから、いま起きているこうしたことについて、深く考えていると思うけど。

F:ものすごく考えているよ。だけど正直いうと、まだなにもわからないんだ。理解するには、あまりにも巨大で、あまりにも手強いから。

J:たしかに。だけど無意識下では、すくなからず理解が進んでいると思うよ。たとえば、「自然」と本当に向き合うことについて。それがより良いことなんだと思えてきてるよね。すべては「自然」なんだと。遊園地なんかじゃない。ぼくたち自身もまた「自然」なんだ。そしてそこに本気で入って行くと、たとえばアマゾンの密林とか砂漠でもいいけど、自分自身がいいも悪いもないってわかるんだ。「自然」は「自然」。ぼくたちはそのなかにいて、なぜならぼくたちはその一部だから。このところ停滞している街だって、この病気が終着点ではないと示してくれている。あたらしい産業の発展、よりよい政治を立ち上げていけば、自然は回復する。川はきれいになってくる、状況は回復不可能なんかじゃないんだよ。まだまだ介入の余地があるけど、ただし自然は理想化されるものでもなければ、イデオロギー化されるものでもない。ほんとうに知ることが大事なんだ。

7 リアルな生活にもどって

F:ロレンツォの旅は、おそらくそういうことでもあったんだね。ロレンツォが自分の目で見たこと、リアクションやあの見渡す限りのパノラマにあってどれほど感動したかみてれば、わかるもの。見たこともない驚異的な景観のなかの発見の旅だったって。でもそれと同時に、家に帰り着いての熱い想いっていうのはあるよね。リアルな生活に戻ってきたぞって。ぼくたちみんなそこからきている。新しいけれど、ずっと前から知ってること。

J:うん。でもリアルな生活を生きるために、実際、ぼくはすこしだけ無意識的にいくこともあるんだ。ちゃんと準備はしておかなくちゃいけない、でもちょっと行き当たりばったりもありかなって。ある友達はこういうんだ。「それでお前になにが起こるっていうんだ? せいぜい死ぬぐらいだろ!」ってね。ぼくはマゼランでもなきゃメスナー(*イタリアの登山家)でもない。ぼくの旅にヒロイズムは必要ないんだ、ただ楽しむためにやってるから。言いたいのは、自由な気持ちだね、ごちゃごちゃしたものからも自由になること、想像力、適応力。もしこのフィルムに価値があるとすれば、それは姿勢についての話かな、ぼくの人生のなかでそれがすごくうまいこといっている。いろんな状況で助けになっているんだ。人からなにかしてもらえるまで待たないこと、でも自分は人に与える一番手になるんだ。がっかりしないためには、なにかを待っていないほうがいい。そして、他の人をがっかりさせる一番手にならないようにする。与えること、とにかく与えるんだ。そうやって、ぼくたちそれぞれの旅をしていく、それはつまり人生そのものを生きてくってことなんだよ。

8 エピローグ

そうなんだ、人生そのもの。微笑みながら挨拶をかわすと、ロレンツォは回線を切った。モニター画面は黒くなり、そしてぼくは家のなかでまたひとりぼっちになった。だけど今は、きっと前より自由を感じているし、意識もしている。実際のところ、最初のうちはわかっていなかったのだ。ロレンツォの南米の旅は、ぼくたちのこの自主隔離の日々から遠くかけ離れた、キラキラした選択だとばかり思って惹かれていた。ところが、そうではなかった、まるで違ったのだ。この歴史的な瞬間、ぼくたちは家に閉じこり、制約や命令だらけの日々を送り、だれもが自由の身になったらすぐさま外の世界に戻ろうと待ち構えていた。そうしたなかロレンツォが語ってくれたのは、あるひとつのものすごく大きくて、とても、とても重要な選択だった。ぼくたち自身にとって、みんなにとって、すべてにとっての。道は途方もなくつづき、曲がりくねって、山もあれば谷もある。地平線はぼくたちを呼び、リャマは歩きながら挨拶してくれる。その道を、ほんのすこしの無意識と、調和、そしてびっくりしたりさせたりしながら行くのだ。彼自身が、そう歌っている(*)。ペダルを漕ぎながら、まっすぐ前を見据えて。

気づいてようがなかろうが
もうそこまでする気力もないだろ
思ったとおりになろうなんて
もう信じてもいないのに

でもわかってたんだろ
他人からお利口さんにみられても
なんの役にも立たないってね
それに終わってしまうことも
リスタートには必要だって
(*ブルノリ・サス「ヴェリタ」より)


訳注

*ラインホルト・メスナー
イタリアの登山家。1986年に人類史上初の8000メートル峰全14座完全登頂を成し遂げた。

*歌っていたのは自身の曲ではなく、イタリアのシンガーソングライター、ブルノリ・サスBrunori Sasの「ヴェリタ(真実)」という曲。2017年に発表した4枚目のアルバム「A Casa Tutto Bene(家にいればうまくいく)」の先行シングルとして2016年末にリリース。自分のなかにある恐怖やネガティブな思いに向き合い、安全な場所を手放して、思い込みから抜け出すことを歌っている。
ビデオクリップ https://www.youtube.com/watch?v=AUPIKaT7pI0