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『小学生に全国大会は必要か?』から受け取ったメッセージ

《全柔連が小学生の全国大会を廃止しました》

 行き過ぎた勝利至上主義、そして体罰など理由はさまざまあると思いますが、僕はこの決断には賛成で、応援しつつ今後の動向をチェックしていこうと思っています。

 まず何より、あれだけ大きな組織がかじを切ったということがすごいですし、オリンピックのたびに金メダルを何個も取っている競技が動いたことは称賛に値すると思います。根底には小学生の競技人口の低下があることは予想できます。なんとかしてネガティブなイメージを払拭したいという裏読みはできますが、競技人口が減っているのは、野球だってサッカーだってテニスだって同じこと。でもなかなか話題になるような大きな変革はできていません。それだけに全柔連の判断は、価値がある決断だと感じています。

 ただし全国大会目指して、日々目をキラキラ輝かせて努力している小学生をたくさん見ている身としては、他に方法はないのか? という思いもあります。ですがこの決断は、キラキラする瞳を曇らせるためではなく、輝きを持続させるためであると考えたいです。

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《テニスに当てはめて考えてみる》

 今回の発表を受け、自分の戦場であるテニスに当てはめて考えてみました。

 そもそも柔道のことは、保護者の態度や指導者の問題点などの記事で読んでも、現場を見ていないのでなんとも言えません。ただテニスであれば、具体的なところまでイメージが行き届いて考えられます。

 僕は今回のこの決断を見て、今こそ「低年齢のうちにやっておくべき育成」を、見直す時期だと考えました。スポーツトレーナーなど、身体についての知識のある人や、児童心理学など心についての知識がある人はおそらくわかっているはずです。12歳以下には12歳以下の指導があると。

 しかし現状は加熱する競争に(保護者も指導者も頭ではわかっていても)、ついつい勝つことを第一に考えて指導してしまいがちです。結果が出ている選手に対しては、特にそうしてしまいがちなのではないでしょうか。なかなか勝てない選手には、少しのんびりと指導ができる。でも勝ち続けている選手は負けられないから、なかなかそうはいきません。そもそも勝つことを第一に考えて指導することは良くないことなのか? そこには良い部分と悪い部分があると思います。それを考えていく前に、全柔連の全国大会廃止から、考えの軸となる重要なポイントを2つ挙げます。

ポイントは、

・小学校の部のみを廃止する
・1番を決めることを廃止する

この2つ。僕はこの2つの要素に関しては賛成です。

 中学生以降(テニスでいえばU14の部)で、全国大会の1番を決めることは問題ないと考えます。1番を決めないのであれば、小学生でも全国から強者が集まる試合があってもいいと思いますし、むしろあってほしいと思います。

《これはメッセージ》

 今回廃止が決まった小学生の全国大会は、テニスではU12のカテゴリーに当たる年齢です。柔道の世界のことは詳しく知りませんが、おそらく全柔連がこのような決定をしても、その年代に当たる子どもたちの、何かしらの全国大会は行われるのではないでしょうか。

 テニスでいえば、全国小学生がなくなっても、全日本ジュニアが行われたり、どこかの民間団体が日本一の称号を与える大会が行われたりするでしょう。それでもこのような存在感のある団体が動いたのは、この決断自体にメッセージが込められているからだと思います。

全国大会を廃止することによって発するメッセージ

 今回の決定で最も強く感じたのは、選抜→育成へ変えていこうというメッセージです。選抜は大切です。競争原理が働くからこそ、人は向上を目指します。

 しかし人間は仕組みには勝てません。1番を決める仕組みが出来上がれば、人はその仕組みによって支配されます。1番じゃなくてもいいという発想も、1番を決めるからこそ生まれるのです。だからこそ、育成がキーワードになります。U12での重要度は、育成>選抜だと考えます。

 子どもは一人一人が競争に飲み込まれずに、それぞれの能力を最大化できるような指導を受けられるようにすべきです。この決断には「選抜偏重になっている低年齢の環境に待ったをかけて、育成の要素を増やしていこう」または、「低年齢では育成要素が強いほうがいいのではないか」という問題定義を感じました。

ヨーロッパでは以前から同じメッセージが発せられている

 ヨーロッパにはテニスヨーロッパという大会があり、毎週のようにヨーロッパの各地で大会が開催されています。U12・U14・U16と3つの年齢別で区切られているこの大会は、一番上のカテゴリー1から一番下のカテゴリー3まで、テニスのレベルに応じた3つのカテゴリーがあります。ランキングが高く強い選手はカテゴリー1の試合にエントリーし、まだランキングが高くない選手はカテゴリー3から挑戦します。

 特筆すべきは、この大会のU12には、2018年までカテゴリー3(一番下のレベル)の大会しかありませんでした。U14やU16にはあるカテゴリー1と2が存在しないのです。その年代での競争を過激にしないための仕組みづくりだといえます。

 しかし2019年以降は、カテゴリー1と2を設けてカテゴリー3を廃止しました。そのようにした詳しい意図まではわかりません。ですが、カテゴリー3のみで運営してきた歴史があったのは事実。子どもたちの競争を激化させないような下地ができて、次の段階に入ったといえると思います。

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《理想の小学生年代の育成システムについて考えてみる》

 さてこのメッセージを受けて、小学生年代の理想の育成とはどのようなものなのか考えていきましょう。

 現状でも有識者の知見を集めれば、かなり高度な育成システムを構築することができると考えます。一人一人の発育・発達速度に合わせた指導。各年齢で最も効果的に能力を高められる指導。一つの競技に最適化された動きを覚える(テニスの技術ばかりを磨く)前に、まずは人間力や運動能力を育むほうが良いという考えには異論がないのではないでしょうか。

プレイ+ステイは素晴らしいが限界も感じる

 プレイ+ステイで戦術指導からテニスをアプローチしようという動きは画期的で素晴らしいのですが、そもそもの運動体験が少ない子どもは、すぐに頭打ちがやってきます。下地として、運動能力やコーディネーション能力があるかないかで、プレイ+ステイを使いこなす能力に差が出てしまうのです。

 たとえば、左右の打ち分けを行うとします。サッカーのインサイドキックを習得している子どもは、ラケットを持っても器用に当てるだけ(インサイドキックのように)で打ち分けることができます。でもテニスしかやっていない子は、当てるだけという感覚が備わっていないため、簡単にはできないということがままあります。

 よって、テニスの練習でコーディネーション能力を学ぶことになりので、週1テニスではものすごく時間がかかってしまう。指導者は無理やり短期間で上達させようとして、型にはめ込んで打ち分けを指導する必要が出てきてます。その結果、教えたくもないフォームを押し付けることになってしまうのです。ですので、プレイ+ステイはツールであって、仕組みにはなり得ていないのではないでしょうか。

もっと発育や心の発育などに興味を持つ

 U12の指導経験があるコーチとないコーチとでは、意見が分かれるかもしれません。世の中の指導情報は、あまりにも高校生以上の情報に偏っています。テニスであれば、U12の選手はよほど早熟でないかぎり、大人のようなフォームで打つことはできません。

 大人のような考え方はできず、身体も心も成長過程にあるのです。それは見方を変えれば、身体機能も心もものすごく伸びる時期です。その時期に特定の競技への最適化(テニスで勝つための練習ばかり)ではよくありません。

 身体→勝つためにフォームを固める
 心→勝つために我慢を覚える

ということばかり取り組むことになってしまいます。

選抜するのではなく、多くの可能性をつくり出すことが大切

 U12では、子どもたちの根本的な能力を高めることに特化した教育がいいと考えます。そうしないと年齢を重ねるうちに頭打ちが来ることが目に見えているからです。

 ここで問題となるのは、根本的な能力を高めるための練習をしているU12ジュニアは、テニス競技に最適化された選手には勝てないことが多々あるということ。そうなると、本当に意味のある育成ができなくなります。テニスだけではなく、トーナメントで1番を決める競技は、勝てないと次のチャンスがもらえない仕組みです。そうなると、全体の流れは最適化の方向に進んでしまいます。

平均点を保ちながら、トップも伸ばすには選抜ではなく育成

 日本のジュニア選手は、世界中どこへ行っても上手いといわれます。特に低年齢の時期の技術レベルは本当に高いです。ですがトップオブトップ同士(各国の上位選手)になると、他の国にはもっと強い選手がたくさんいることも事実です。ただし平均点が高いのが、日本のジュニアの特徴です。海外からコーチを招いてクリニックをしてもらっても、上手い子しかいない(下手な子がいない)と驚かれます。これは日本人の勤勉な資質と、落ちこぼれをつくらず、熱心に指導する教育環境のたまもので、これ自体は誇れる事実でしょう。

 ただ現状は、選抜システムが機能してしまい、勤勉に学ぶ子どもと熱心に教える指導が、早期の技術詰め込みの方向に向かざるを得ない状況に陥っているのではないでしょうか。この努力のベクトルが、将来の競技力を見据えた刺激を与えることに向けば、最終的な到達点はもっと高くなるのではないかと思います。それが実現すれば、高い平均点を保ちながら、トップオブトップの選手をさらに強くすることが可能だと思えるのです。

子どもたちが本気になった時に、すでに備わっている状態をつくるのがU12

 小学生の未熟な認知能力では、自分がテニスに対して本当に本気なのかなんてわかりません。精神的に早熟なタイプで、すでに本気とは何かを理解して、自分で考えられる子どももいるかもしれません。しかし大半は、まだそこまで考えていないでしょう。ですので、子どもたちが本気になった時、すでにたくさんの武器が備わっている、そのようにしてあげるのが低年齢の時期なのです。

国内環境だけでも世界と比較できる指標をつくる

 現状では、海外で世界中の選手と戦うことでしか、自分が世界でどれくらい通用するのかを知ることはできません。テニスもオープンスキルのスポーツである以上、ある程度は避けられないことですが、スペインやカリフォルニア地域のように、自国でトップになれば世界で戦えるような指標が日本にはありません。理想は、国内での努力が、世界につながって見えるようになることです。

 野球のように、甲子園で活躍すればNLBに進んで、メジャーリーグへの道筋が見えれば、国内で世界を目指して地道に努力しやすくなります。もしテニス競技においても、世界への道筋が見える仕組みが整えば、クローズな環境でも世界と比べることができる、反射速度、筋肉の強さ、身体の大きさなどの指標をつくり、発育・発達に目を配って成長を見守ることができるようになるのが理想です。

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《問題点考察(仕組み視点)》

 ではなぜ理想どおり進めるために、

・小学校の部のみを廃止する
・1番を決めることを廃止する

ことが必要なのか? 今起こっている問題点を考えてみます。


全国大会では世界への階段を感じられない

 これは納得してもらえると思うのですが、全国大会への憧れはあるものの、「全国大会に出てもテレビで見ているグランドスラムの世界とどうつながっているのか?」「自分は今、世界のどのくらいの位置にいるのか?」わかりませんよね? 日本のような島国から世界を目指すには、システムが必要です。

 低年齢では低年齢で身につけるべき能力を、きちんと身につけておくことが世界を目指す上で重要だということを共有し、それをコツコツ積み重ね世界への階段を実感できるようにすることが大切です。それが選抜ではなく育成ということではないでしょうか。

勝ちかたを知っている大人に最適化される

 全国優勝するためには、超天才でない限り大人の知恵が必要になります。勝ち方を知っている大人が教え込む必要があるのです。
 しかし大人が知っているのは、あくまで今のテニスの最適解であって、未来のテニスではありません。それはU12でのみ通用する最適解であり、日本人同士の戦いのみで通用する最適解の可能性もあります。

やったらやっただけ強くなる時期だけど、それだとみんな努力過多になって苦しくなる

 トーナメント方式で競い、全国優勝を目指すと、目の前の戦いに勝つことが求められ、努力過多になります。

 日本のジュニアは上手いですが、同時に練習し過ぎだと思います。身体を動かすことは大切ですが、テニスの技術練習ばかりに特化する必要はありません。低年齢のうちから技術練習ばかりに特化するのは、その場の勝利にこそ強く影響しますが、将来を見据えれば他にも取り組むべきことがあるように思えます。

早熟タイプだけが幸せになる?

 テニスにおいては早熟タイプが有利です。世界トップ10に入るには、10代のうちにある程度の成果を出すことが必要だというデータがあります。しかし早熟タイプでなくても、ツアーで活躍する選手はたくさんいます。

 今の選抜システムでは、選手が早熟タイプか晩熟タイプかを判断することすらしていません。結果でのみ判断されます。晩熟タイプにも可能性を見いだせるだけの科学の力がすでにあるのですから、ぜひ活用すべきです。

U6だったら? U8だったら? U10だったら? U12での全国大会廃止というと、「なぜ?」と思う方は多いと思います。ではU10、U8ではどうでしょうか? U6だったら? U4では? どこから行き過ぎだと違和感がありますか? おそらくどこかの段階で「そんない低年齢のうちから全国1位を決める必要はない」と思うのではないでしょうか。なんとなくの感情論でもいいんです。その感情がなぜ起こるのか? それを科学的にひもとくと、低年齢で全国一を決める必要を感じなくなると思います。

《問題点考察(子ども視点)》

 続いて子どもたちの視点で、小学生で1番を決めるトーナメント戦を行うことが、どう影響するのか考えてみたいと思います。

選手はベスト8だとベスト8の選手になる

 本当の実力を測らずに、勝ち負けだけで順位をつけてしまうと、子どもたちはレッテルを張られてしまいます。ベスト8で終わってしまった選手でも、能力的には高いかもしれません。ベスト8に入れなくても可能性のある選手はたくさんいるでしょう。でも順位をつけることで、ベスト8の選手はベスト8の選手になってしまう。何も欠けているものなどないのに、優勝するには何かが欠けているということになってしまう。特に減点主義の日本では、この考えが長所を伸ばすことの妨げになってしまっていると感じます。

小学生はまだ自分たちだけでは行動できない

 小学生年代の問題は、子どもたちは「自分が何をやっているのか」「やらされているか」の理解度が低いことです。ですからついついわかりやすい方向に努力が傾いてしまうのです。正しいフォームで打つことは大切なことですが、小学生だと他に身につけないといけない身体動作がたくさんあります。そしてそれは小学生でしか身につきません。

 ですが身体の出力を高めたり、身体操作を覚えたり、コーディネーション能力を身につけることは、自分自身では上達がわかりにくい。そして試合の勝ち負けには現れにくい。勝つためには、ラケットを使ってボールを相手コートにミスなく入れ、少しでも速いボールをコーナーに打つことが求められます。そういうわかりやすいことに子どもたちの意識は集中します。

 小学生は練習方法を自分で選択できません。保護者や指導者の言うことを聞くしかなく、周りの理念に流されてしまいます。お金の面でも、送迎の面でも、またテニスを理解する頭脳の面でも、自分たちだけで行動することはできません。
 低年齢から全国一を決めると、周りの目標が近視眼的になってしまい、さらに低年齢で勝つための技術偏重が進むことになります。

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《対策》

コンテスト
 テニスの試合はコンテストではありませんが、発育速度やテニスの完成度を考慮して、コンテストの要素を入れてみると面白いと思います。野球では、甲子園に行けなくてもプロから指名される選手がいますよね? その反面、甲子園で優勝してもプロにスカウトされない選手もいます。まだ小学生の子どもたちを勝ち負けだけで評価せずに、個々の能力の部分を考慮することで、子どもも大人も理想的な育成に興味を持ち、その育成を進められる雰囲気が出来上がるかもしれません。

カテゴリー制にすべし。それは無駄な試合をなくすため。負けられない試合ばっかりの日本

 カテゴリー制とは、選手をレベルによって複数のカテゴリーに分け、同じカテゴリー同士で競い合わせる仕組みです。各都道府県のトップ5はカテゴリー1、トップ15まではカテゴリー2などとして、日本中の同じカテゴリーの選手同士で大会を行います。
 毎回すべてのレベルを混ぜて、1から始めるトーナメントではなく、カテゴリー制、リーグ戦制にすることで、競争レベルが高い試合を数多くこなすことができます

 カテゴリー制のないトーナメントでは、強い選手はそれぞれの地域で負けられない戦いばかり行うことになります。低年齢の時は、プレッシャーなく、数多くの試合を経験することが大切だと考えます。負けられない戦いばかりでは、思い切ったプレイを学ぶことができなくなってしまいます。

やったら勝てる<やらないから試合は弱いが理想

 技術を詰め込めば強くはなります。でもそれは日本ランキングが上がるだけで、世界から見ればどうなのでしょう。

 世界に視野を広げると、すごい選手だけれども試合ではまだ弱い、良いものを持っているけど試合には勝てないという選手が一気に大成するシーンをよくみる気がします。技術を詰め込んでしまえば勝てるけど、あえてそうせずに勝たせない、という選択肢を大切にすれば大成する選手も生まれるし、詰め込みによって疲れる選手も出ないのではないでしょうか。

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《根本的な問題》


人間は仕組みには勝てない

 結局、行き着くのは「人は仕組みには勝てない」ということです。仕組みの中で仕組みに負けないように抗うことはできますが、それでも少なからず影響は受けます。だからこそ、こういう仕組みを変える決断は応援したくなります。

テニスは個人競技で順番がつく、野球やサッカーとは違う

 テニスは個人競技です。野球やサッカーも個人に対して評価がつくという点では個人競技だと思いますが、テニスは試合自体が個人で行われます。団体競技であれば、全国ベスト32のチームにいても、個人としてはトップ選手だと見つけてもらえます。ですがテニスは、内容で精査されることがあまりにもなく、すべて戦績で評価されてしまいます。

育成システムを確立したくてもできない

 身体の発育発達に合わせた理想の育成システムを行いたくても、目の前に大会があり、選手も保護者もそして他のテニスクラブの選手もそこに照準を合わせると、やはり自分一人だけ違う動きは取れないものです。人は仕組みには勝てません。逆にいうと、仕組みは人を変えられます。たとえば、ポイントシステムが足し算ではなく、年間の一番大きいポイントだけを判定するとなれば、もっと出る試合を減らす選手も現れるでしょう。

世界は幸せになるためのテニス(スポーツ)を求めている

 大坂なおみ選手のインタビュー問題や、選手がラケットを投げることに、少数ですが選手の気持ちもわかってあげてほしいと擁護する意見が出るのは、世界が幸せになるためのスポーツを求めているからだと思います。スポーツは幸せになるために行うもので、早期に結果を求めるあまりに、子どもたちを苦しめるためにあってはならないのです。


《最後に》

 僕は現場の人間です。ですからこれを読んで現場の人間が責められていると感じるのは本意ではありません。現場の人間が変われば済むことではないから、仕組みを変えようとしているわけです。人間は仕組みには勝てない。だからこそ仕組みに興味を持つことは大切だと考えます。プレイ+ステイというツールを導入するだけでも、現場の指導はかなり良いものに変わりました。仕組みが変わればさらに良い方向に進むと感じているだけです。

 そもそも私は、低年齢から勝っておくべきという考え方です。テニスは特異性の高いスポーツなので、低年齢から技術習得をしっかりと行うべきです。でもそれとトーナメント方式で1番を決めるということは別問題だと考えています。低年齢から勝ち方を学び、技術を習得しつつも、さらなる高みを目指すためにやっておくべきことがある。それはトーナメント戦で一番になることではなく、低年齢で身につける、低年齢でないと身につきにくい能力を習得することであると思います。

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