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バス停でバスを待つ

 先日、海外に住むある日本人留学生の体験談を読みました。その方はいつも公共バスを使って通学しているそうなのですが、時々こんなことがあると書いてありました。

 家の近くのバス停で早めにバスを待っていると、やがて周りに人が増えていき、到着したバスに彼らが次々に乗り込んでいく。自分が乗ろうとすると運転手から、もう満員だから次のバスにしれくれ!と言われたことが何度かあるとのこと。そうそう!これこれ!あるある~~~!!!海外で(→実は日本国内でも)、私も何度か経験したことがあります。

 この話を聞いて、皆さんはどう思うでしょうか。着いた順にきちんと並べ!とか、後から来た人は(見て分かるんだから)遠慮しろ!とか、そう思いませんでしたか?ナ~ンとなくですが、私も似たようなことを思っていました。

 もやもやした感じが気持ち悪く、日本に住んでいる外国人数人(=全員《欧米人》)にこの話をしてみました。日本在住ですから、日本人がバス停で順番を守ったり遠慮し合ったりする文化は皆よく理解している方々です。ただし、あくまでも「日本にはそういう人が多い」というだけの話です。

 面白いことに、全員の意見がほぼ一致していました。それは、「その女性が悪い」ということ。しかもその理由まで、大体似たようなものでした。

 1)絶対にバスに乗りたければ、乗り場のすぐ前で待つべきだ。そして私が一番先だ!とアピールすべきだ。2)人生はそもそも不公平、大人なら自分のことに責任を持つべきだ。大体、この様にまとめられる気がします。

 1)乗り場のすぐ前で待つのは当然ですよね。ただし、私自身の経験でもあり、恐らくその留学生もきっと気付いているでしょうが、そんなことをする人は海外ではめったにいません。それと一般的に、これは私のモノだ(順番)だ!と主張する国々や文化圏が、世界には本当に多い印象があります。配慮や遠慮や譲歩を、あまりしないということです。

 2)この世は常に公平(フェア)ではない、と私はよく耳にします。責任を持つとは、リスクを回避したり、別の手段を使ったり、例えば雨の日は1時間早く家を出たり、色々あるでしょう。そして、乗れなかったことを他人や会社や社会のシステムのせいにしたりはしないのかも知れません。

 そもそも日本では、キレイに並ぶ人がとても多いですよね。いえいえ、お先にどうぞ~!とよく譲られますよね。それは本当に素晴らしいことです。しかし、その常識が海外で通じないと怒ってはいけないのでしょう。あまり並ばない、元々社会は公平ではない、だからこそ主張していくのでしょうか。そこから強い独立心が芽生え、個人主義が生まれ、それでも社会はうまく機能し、人々もとてもハッピーに生活しています(→私にはそう見えます)。

  あと、私見ですが、実際にバスに乗れなかった場合、そもそも周りの対応や意識が日本と外国では大きく違う気がします。つまり、組織や仲間たちが取る対応、本人が考える重大さや申し訳なさ、などが全然違うのです。「遅れ」への意識の違いと言えるのかも知れません。遅延証明書って、知らない人にどう説明しますか?きっと、驚かれますよ~。

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