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⑦その後の余談

 2009年に入った頃だったろうか、経産省OBの方と食事をしながら色々と話をしている際に、
「先日、経産省OBが集まる会合があり、そこに経産省現役幹部を招いて話を聞いたんだが、彼はこれからは電力中心の経済になるだろう。という、話だった」
私から、「ということは、原子力発電がベースになるということですか?」と質問したところ、
彼は、「まあ、そうなるね。脱炭素、環境問題を考えてのことだと思うけどね。コストも安いし...。」
私からは「原発の反対派、安全性は大丈夫なんでしょうか?」すると、
「クリアできると判断している様子だったよ。付け加えて、これからは電気自動車が普及するだろうと言ってたよ」
私は、「電気自動車への電力供給は、問題ないんですかね?ただでさえ、電力供給に四苦八苦していると言うのに...。」
彼は、「畜電池の課題はあるね。何れ、技術革新が無いと難しいかもね。」「でも当面は、そんなに困らないと見込んでいるみたいだよ。現在の電力消費は、偏っていて集中しているが、消費量の少ない時間帯に自動車に蓄電できれば、逆に安定した供給ができると」
私は、「電気自動車の技術革新が急速に起こるんですかねえ?」「私は、水素エネルギーに期待しているんですけど、ダメですか?」
彼は、「水素エネルギーの開発には、まだまだ時間がかかると考えているんだと思う。」「何せ、これからのガス産業は厳しい。この中に身内で関連企業に就職を希望する子女がいらっしゃったら、再考をお勧めする。」「経産省関係者の会合だったから、そんな軽口まで叩いて、強気だったよ。まあ、その場を盛り上げるリップサービスもあってのことだろうけどね。」「エネルギー問題はともかく、電気自動車(EV)は今後のことも考えて、情報収集して勉強しておく方が良いだろうね。」

 この時の会話の内容は間接的に聞いた話でもあり経産省現役幹部の話の真偽は定かではないが、私の脳裏に深く刻まれた。
 その頃、経済誌を中心に次のエネルギーとして『水素エネルギー』の特集が多く組まれ、私も関心を持っていた。海水を資源とするこの技術は、周囲を海に囲まれた海洋国家、日本には打ってつけの次世代産業技術ではないかと考えていた。
 青山通りに『テスラ』の電気自動車のショールームが出来、注目を集めていた。おそらく誰もが、遠い未来の車で、実用化できるなんて思ってもいなかったんではないだろうか。
 それ以降、電気自動車に関する資料、情報収集を私は積極的に行った。慶應義塾大学の清水浩教授が、電気自動車の研究者として注目されていたが、機会があれば直接話を聞いてみたいと考えてもいた。そんな折、清水研所属の学生が就職活動で訪ねてきた。聞いてみると、文系の学生だったにも拘らず、電気自動車に興味をもって大学院では清水研で学びたいと門をたたいたところ、受け入れてくれ2年間学んできたとのことだった。電気自動車の専門的な質問を幾つかしてみたが、私の興味を満足させるような回答ではなかったが、そういった分野にチャレンジしようという心意気とベースとなる能力を見込んで採用した。
 2009年夏の衆議院総選挙では、民主党政権が誕生し原子力発電については容認する雰囲気でもあった。

 2011年3月11日 14時46分頃、東日本大震災に伴う津波により福島第一原子力発電所の事故が発生。1986年のチェルノブイリ原子力発電所に匹敵する大惨事となり、地域住民の避難、廃炉に向け現在も作業が進められいる。大気中に放出された各放射性物質の量は、随時発表され広い範囲のエリア住民の不安が高まった。放射能の被災を避けるため、関東以西に一時期避難した住民も多くいたようだ。これまで原子力発電を推進していた関係者は専門知識や情報が豊富だったからなのか、家族を関東以西に避難させた人が多かったという話が漏れ伝わってきた。「やはりな」というのが私の実感だった。1992年にOSARTに関わった自分としては、他人事ではない興味関心を抱き、何か復興に寄与したいという気持ちが強くなり模索した。
 日本のエネルギー政策は、大きく舵を切った。
 当時の民主党政権は、経産省内にあった原子力保安院を廃止し、規制と推進を組織的に分離することを目的として原子力規制委員会を発足させた。安心と安全を担保出来ていないと受け取った国民感情もあり、原子力発電所を2030年代には原発稼働ゼロをめざすことを掲げたが、原子力利用を認める方向に政策を軌道修正してきた。その後の自民党に政権交代すると原発の利用がより明確に打ち出された。
 そう言えば、原発事故前のことだったが、経産省のロビーで以前仕事を一緒にしたことがあるキャリア官僚と偶然会いしばらく話をした。その際の彼の所属先が原子力保安院だった。誰もがエリートと認める最高学府学部出身で文系なのに、『原子力ですか?』と、私が聞くと、彼は「組織としては安全管理のチェック役なんですよ」と嬉々と答えていた。エリート官僚のステップを着実に踏んでいる雰囲気だった。
 以前、一緒に仕事をした案件とは産業技術をテーマに夏休み期間中にパシフィコ横浜を会場にして展示会を開催するものだった。最先端の技術展示ではなく日本が誇った産業技術を紹介しようという企画で、出展社は会場を埋めるだけの規模に官の力で何とかなったが、来場者の増進が課題だった。夏休み開催にしたのも子供達の来場促進を期待してのものだった。どう考えても無理がある。企画運営は、某大手広告代理店に委託しているが、動きが鈍いと感じた彼は、省内の同僚から聞いて私に相談するようになった。私は国立科学博物館と産業技術資料調査に関わっていたが、このイベントの受発注関係はなかった。それでもというので、子供達の来場促進に向けて一緒に活動した。おもちゃ業界にアプローチした際は、イベントに熟知している業界関係者から厳しい指摘もあった。ミニ四駆を誘致しようと動いたが、人気がありすぎて先の先までスケジュールが一杯で、実現しなかった。そういった苦楽を共にした関係だったため親近感が互いにあった。
 原子力保安院では、当時は原子力の将来を考えると、キャリアを築くステップになるだろうと思われたが、原発事故後は彼も厳しい環境下に置かれたんだろうと推察できる。
 原発事故後、代替エネルギーとして環境にやさしい太陽光発電が一気に注目されるようになった。補助金政策により積極的に屋根、屋上のみならず空き地や農地を活用して太陽光発電パネルが設置された。2020年代になって洋上風力発電が注目され積極的な設置計画が策定されてきている。
 冒頭の知人との会話でガスエネルギーの将来性について語ったが、原発事故後に新たな動きがあった。アメリカではシェールと呼ばれる種類の岩石の層に含まれている石油や天然ガスを掘削できる技術開発があり「シェール革命」があった。経済的なコストで掘削できるようになった。ガス会社、商社を中心に投資と開発が積極的に行われ輸入されるようになった。

 ところで、太陽光発電については私は深く関わった経緯がある。1985年に「太陽光発電国際会議」が開催された。1983年か1984年だったろうか、その中心的な存在だった大阪大学基礎工学部 浜川圭弘教授と接点ができた。確か、NEDOの補助金を受けて国際会議の開催を検討しているといった新聞記事を目にした後だったと思う。浜川先生との最初のきっかけについての記憶は明確ではない。浜川先生はアモルファス太陽電池の先駆者で、先生によると基礎研究から応用研究に進もうとしてしているところで、資金はあまりない。石油資源等に乏しい日本にとっては大変重要な技術開発だと思っているので、若い君が興味を持ってくれて非常にうれしい、是非協力してほしい。ただ、国からの補助金や企業からの寄付金を含めて、全体で1500万円しか予算はない。その中で、関係者で研究会で議論しながら、国際会議も準備して開催費用全てを賄わざるを得ない。難しい予算のやりくりだが何とか、会議運営の専門家のノウハウを生かして成功に導いてもらいたい。どうだろうか?
 何回か、そんなやり取りを繰り返しながら、私は受託することにして組織的にも決裁された。担当したディレクターからは、こんな総予算でどうやって我々の受託費、利益を捻出するんだと、不満や軋轢は相当なものがあった。将来性にかけたとしか、今となっては言えないが、予算捻出に四苦八苦しながら、会議は毎年のように開催され受託し運営していった。数年経って、浜川先生から相談があり太陽光発電を普及し広く皆に知ってもらうため、何かアイデアは無いだろうか?開催した会議場のロビーで、パネル展示しているだけでは普及効果が無いんだよ。例によって、その予算も捻出しないとダメなんだけどねえ。例えば、太陽光発電によるソーラーカーレースなんて、どうだろう?東京のお台場なんか、いいよね。先生は闊達に色々と話題を振ってくる。色々なアイデアが浮かぶものの、そんなプロデュース力が、当時の若い私にあろうはずがない。しばらくして、その会議も海外で開催されるようになり、オーストラリアで開催された際には、具体的にカーレースを行ったと聞いた。その後、日本で開催された時には、会議場の経団連ホールロビーに、ソーラーカー展示を行った。先生の情熱、行動力、プロデュース力には、度々感服した。2015年に文化功労者に選ばれた時には、単なる研究者というより確かに文化功労だなと感じた。
 第1回の国際会議の準備委員会終了後だったろうか、「この技術で発電出来るようになったらすごいですね」と(ある専門家の)委員に尋ねたところ、「まだまだ発電効率が悪く、鳥の糞で熱効率が下がるくらいだから、先は長いかも知れないね」と淡々と答えてくれたことが印象に残っている。それが今では、至る所で太陽光発電パネルが設置され電力供給されているんだから隔世の感を感じざるを得ない。
 昨今、太陽光発電の新技術として『プロブスカイト太陽電池』が注目されている。パネルを薄くて曲げてても大丈夫だということで画期的な技術らしい。開発した宮坂 力 氏は、ノーベル賞候補者にも名前が挙がっていて期待が持てそうだ。
 一方、技術開発が進めば進む程、現在使用されている太陽光パネルの廃棄処分問題は何も議論や対策も立てられていないというから先行きが心配になってくる。脱炭素、カーボンニュートラルが地球規模で議論され、環境問題は大きな課題となっているが、環境問題をイデオロギーとリンクさせて活動しているグループが多く、私は違和感を感じる。
 1985年に第1回太陽光発電国際会議は開催されたが、同年にディスプレイの国際会議が開催された。市場化されていない産業技術に関する国際会議で、NEDOの補助金、同じような予算で運営受託しても大きな利益が見込めることはなかったが、先々のことを考えて取り組んだ。液晶ディスプレイなど日本が世界をリードする産業技術ではあったが、短期間のうちに中国、台湾、韓国等の日本周辺国が日本企業を追い越し日本企業の衰退がこの30年の間に始まった。従って、この分野での国際会議においても日本が世界をリードする立場では徐々になくなっていった。
 日本は技術開発は世界に先駆けて行われても、市場化への推進力が乏しいと言われているが、私は幾つかの分野で垣間見てきた。産学官連携が叫ばれているが 難しい課題でもある。
 水素エネルギーへの私の以前からの期待感は変わらず持ち続けている。東京都が、東京オリンピックにおいて世界にアピールすべく水素エネルギー活用の施策を発表したが、大きな効果があったとの声はあまり聞かない。
 2017年後半だったろうか、『水素情報館 東京スイソミル』を視察した。
東京都が力を入れていると聞いたので期待して行ったが規模も小さく展示内容もパネル中心の簡素なもので拍子抜けした。平日だったこともあり閑散としていた。
 化石燃料を使って生成した水素を活用する技術が現在は主流ではあるが、今後はカーボンニュートラルを考えると再生可能エネルギーを用いて生成グリーン水素、それを貯蔵して輸送する方法が最適と思われるが、コストが大きな課題だ。水素ガスを供給する方法として、高圧ガスにして運搬する方法、ガスを運搬するのではなく実用化に近いと言われる液化して運搬する方法等が開発され模索している。現在、『持ち運べる水素』といわれる水素化マグネシウム(マグ水素)の開発が進み話題となっている。水素を吸蔵可能な結晶体個体である水素化マグネシウムを活用する技術で、安全かつ簡単に水素を運搬し生成できる方法のようだ。期待したい。

「量子科学技術研究開発機構 なぜ核融合エネルギーなの?」より

 電気自動車(EV)は、環境問題も相まって飛躍的に成長している。アメリカや中国や欧州等の政策もあり、テスラやBYDが世界をリードする立場にある。テスラの時価総額は、トヨタを抜いて自動車産業では世界一位となっている。一方、日本の自動車産業は立ち遅れていると言われている。特に、自動車生産世界第一位となったトヨタへの風当たりは強い。トヨタはカーボンニュートラルに全力で取り組むとしているが、マルチパスウェイ戦略を掲げ市場の需要と環境目標に応じて最適なソリューションを提供することを目指している戦略が、環境問題に積極的ではない中途半端であるとの市場からの批判も絶えない。豊田章氏から佐藤恒治氏への社長交代の要因となっているとも言われている。ところが、EV車の躍進にブレーキがかかってきている。欧米の政策変更、テスラの株価が暴落し、これまでの勢いがなくなっている状況から、トヨタの全方位戦略が市場から見直されつつあり、ハイブリット車の売り上げは堅調だ。また、トヨタが全個体電池の飛躍的な技術開発の発表が、その評価を高めているとも言われている。今後の技術開発競争に注目したい。 国の根幹をなすエネルギー政策については、原子力発電に関して技術的な懸念があるものの国の基準、原子力規制委員会で容認された発電所に関しては、運用開始するというのが当面の方針となっているのではないだろうか。ここにきて、『小型原子炉』開発が脚光を浴びている。とは言うものの、未だ懲りずに原子力発電かという世間の雰囲気もある。
 そんな折、『核融合』発電という言葉を目にした時、私は「またかよ!」という気分に陥った。「もういい、もういい」しばらくして落ち着いた頃に考えれば良いと思っていた。先日、youtubeで核融合発電技術について取り上げている番組を観て驚いた。
 資源のウランに中性子をぶつけ、分裂するときのエネルギー“核分裂”を使用する『原子力発電』ではなく、『核融合発電』は太陽が熱や光を放つ原理である核融合反応を人工的に起こし、発生する莫大なクリーンエネルギーを発電に利用しようとするもので、原子力発電における放射性廃棄物が発生しないという。国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構(ITER)が中心となって推進し、次世代エネルギー技術の実用化に向けた産官学の連携組織が2024年3月には発足する予定だ。約50の企業・団体が参加。技術開発や販路開拓を進める。複数の企業が既に実用化に向けて走り出している。既に、開発競争の真っただ中であり、数年後には発電が開始されるとも言われている。知らなかったとは言え、驚いた。
 私の経験知として、社会の動き、時流の流れを把握しておくことは重要なポイントと認識し、今の自分には関係ないと思っても社会の技術革新や先端技術を常に把握しておくことが、大切と考えてきた。情報のアンテナは、高く広くかざしておきたい。ビジネスチャンスも、そこから生まれてくるはずと思ってきた。今は、日本の産業力、国力の向上のためにも頑張ってほしいという気持ちが強い。

 NTTが中心となって推進する『IWON構想』というICTインフラ基盤構想。従来の電子技術(エレクトロ二クス)から光技術(フォトニクス)にシフトしようという計画だ。世界標準の争奪戦かも知れない。

 国際リニアコライダー(ILC)計画は、さらに遠大だ。電子とその反粒子である陽電子を超高エネルギーで正面衝突させ、宇宙の始まり(ビックバン)から1兆分の1秒後の状態を人為的に再現するため、約30㎞~50kmの直線形、深さ約100mの地下に設置しようとするものだ。そのため強い岩盤のある北上山地が候補に挙がっている。2030年後半の開業を目指している。 誘致に成功すれば、できると海外研究者を中心に新たに10~15万人の都市ができると言われている。日本国内では北上山地に一本化されたようだが、日本の財政的な負担は大きく対費用効果の是々非々の議論も盛んだ。日本が誘致には優位だとも噂されているが、成否は定かではない。

 JR東海が推進するリニア新幹線の計画がとん挫している。2027年の開業を断念したとの発表があった。静岡県知事の工事決裁が得られなかったことが起因しているが、世界に先駆けてのリニアモーターカーによる新幹線は、どうなっていくんだろうか?中国よりの静岡県知事が絡む工事遅延により後発である中国が追い抜くんではないかとも言われ始めた。この技術のベースとなっているのは、超電導技術で日本では東大教授の田中昭二先生が第一人者と言われている。当時私の上司であった芹田さんの一高時代の同期が田中先生で芹田さんに連れられ何回かお会いする機会があった。温厚な人柄で若い私にも優しく対応いただいたが、国際超電導産業技術研究センターで国際的なコンベンションを計画しているので相談したいとのご連絡があり、一人で訪ねて行った際のやり取りは、鋭く厳しい研究者の眼光であった。初めて先生とお会いし超電導という技術を知った際にも、それ以降も私はあまり突っ込んで学ぼうという気持ちが薄かった。1989年には「よこはま博」でリニアモーターカーのデモンストレーションが話題になったが、芹田さんから色々と資料を渡されても、他人事として傍観し喰いついていかなかった、今となっては反省している。芹田さんは、そんな私をに対して忸怩たる思いだったんではないかと思う。
 もう亡くなってしまったが、産業技術の将来展望に鋭い経済評論家の長谷川慶太郎氏は、リニア新幹線は失敗するとの著述が多くあった。電磁波障害やクレジットカードなどは磁気が壊れてしまう可能性があるとの論調だったが、そう言えば、これはどう解決したんだろうか?調べてみよう。

 三菱重工が取り組んでいた小型ジェット旅客機(MSJ)の開発中止が2023年2月に発表された。何とかならないもんだろうかと思ったのは私だけでは無いようだ。2024年3月、国産旅客機の官民連携での再挑戦が発表された。2035年以降の事業化を目指すとしている。失敗から学んだノウハウで是非とも実現したいと願っている。

 繰り返すが、何事も判断するにあたり、時流をつかみ、時流に先んじることの重要性を鑑み、問題意識を高め行動したいと私は考えている。