院進か、就職か 〜教授のせいでまた悩むことになった〜

就職するつもりだった。
しかし、ここにきて迷いが出てきている。教授の話がきっかけなのは、間違いなかった。

就活はシーズンはもう目前である。就職するならするで、気がかりなことを心に残したまま就活に勤しむべきではない。

さっさと決断しなければ。

心境に浮かぶのはそんな焦りである。
大学三年生の大多数は院進するか、就職するかをすでに決定し、それぞれの道に向かって邁進しているに違いないのだ。もたもたしている場合ではない。

焦りが身を焦がしている。
それをストレスフルに感じていると、恨み事が心に浮かんだ。

教授、あなたはなんてことをいうんですか。あなたがその話さえしなければ悩む必要なんてなかったというのに……。

自身の人間性ができていないことを、多少残念に思った。

実際、教授は悪くない。恨み音を吐くのはとんだお門違いだ。彼の話は非常に興味深かったし、参考になった。悩む必要性が生じたのは、彼の話が鋭く、納得できるものであった証左である。

「高卒と、大卒の多くの人が応募してきていると。この中で会社の役に立つ人を選ばないといけないってときに、どこを重点的に見る?」
「……大卒です」
「それじゃ、大卒と院卒の人が雑多に混じり合う中で、会社の役に立つ光るものを持っている人を選ばないといけないってときはどこを重点的に見る?」
「……院卒っすね」

だいたいこんな内容のやり取りをした。

ピンからキリまで、大勢の人が会社に応募してくる中で、その中から人事は会社の役に立つ人を見極めなければならない。採用コストはバカにならない。大勢が応募してくるのだ。真っ向から一人一人と向き合う余裕は、はっきり言ってない。

だからこそ、学歴が足切りに使われたり、注目すべき人を選び取るのに利用されると、そう話された。

理解できる話だった。

もちろん、高卒でも学部卒でも、光るものを持ち、それを面接やエントリーシートで十分にアピールできる人はいる。そういう人は問題ないだろう。

それじゃあ、あなたもそうすればいいんじゃないの?

そんな声が聞こえる。

だが、僕は違うのだ。優れたコミュニケーション能力など、持ち合わせてはいない。
自分で自覚している上に、教授からも指摘されたので、多分、意思疎通が下手くそであることは間違いない。悲しいが、これはおそらく事実である。

「院進すれば箔がついて、多少のコミュニケーション能力不足が補われるし、院進後の2年間で多少なりともコミュニケーション能力が養われる可能性もある」

その言葉に、僕は頭を悩ませている真っ最中である。

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