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ギブアンドテイク

「僕は何も考えていない。」

嘘だ。何も考えていない人間なんてそう多くはない。例えばこうだ。

『愛犬ルドルフが昨日から元気がない。今は仕事中だが彼の事が心配だ。帰りにスーパーに寄って大好きな骨型のガムを買ってやろう。ガムといえば、デスクに置いてあったガムの数が減っている。また部下に食べられたな。あいつ黙って食べやがって。大好きなブドウ味なのに。ボトルガムも高いんだぞ。今月はもう月末までお金が無いってのに。クレジットカードの引き落とし今月結構多かったからな。一体何に使ったんだろう。新作のゲームを買ったのは3ヵ月前だし。あーそうだ、帰って風呂入ったらゲームの続きをして、、、、』

なんて具合に、放っておいたら無限に思考してしまうのが人間だ。

そもそも、何も考えないようにするにはまず頭を空っぽにするイメージをしなくてはならない。この“空っぽ”のイメージが、とにかく難しい。通っているヨガ教室でも最後の10分間、瞑想をする時間があるのだが、とにかく空っぽのイメージをしていたら、10分なんてすぐに終わってしまうのだ。他のことは考えていない為、ある意味成功してるとも言えるが、それでも難しい。

「僕は何も考えていない。」

 嘘だ。考えるのはいつも、自分のことばかりだ。正しくはこうだ。

『僕は人の気持ちを考えない。』

ある人が、人生はギブアンドテイクだ、と言った。何かをしてもらったら、何かを返さなくてはならないのだと。それが当たり前であると。正直僕にはピンとこなかった。理屈はわかるが、そこには気持ちがあるのか、見返りを求めてしまっていないかと疑問に思った。

例えば、本当に要らないからとプレゼントを断り続けてきたのに、相手の自己満の末に受け取ってしまった時、僕は相手に何かを返さなくてはならないのだろうか。『ギブアンドテイク論』でいくと、僕は「ありがとう。今度お返しをするね。」と雑貨やお菓子を相手に与えなくてはならないのだ。おい、まじかよ。馬鹿げた話である。親しい仲だからこそ、その気遣いを丁重にお断りしているというのに。愛情があるからこそ、何も返せないのが辛いというのに。

 つまり相手の気持ちとは裏腹に行動し、その見返りを求めてしまう人間は一定数いて、それが正義で真実だと疑わない人種が存在する以上、こちらの愛情や気遣いとの食い違いは必ず起こってしまうのだ。これから出会う何人もの人に対してきちんとした気遣いなんてやってられない。人より自分の気を遣う方が、結果的に相手を慮ったようになったりするのだ。

 

 思いやりも気遣いも優しさもない、全ては自分のハッピーの為に。


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