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僕の描いた絵を君は買ってくれるだろうか


 オモコロというWEBメディアのインターネットラジオを好きでよく聞く。シャワー中に月曜日放送の『ありっちゃありスパーク・梵』(オモコロ編集長の原宿さんとイラストレーターの室木おすしさんの小気味の良い会話と下らなくもサブカルのトレンドを押さえた内容のバランス感覚が大好きだ)を流すのが日課となっている。

 『ありスパ』の過去のアーカイブを聞いていると、おすしさんが沼田光太郎さん・オオノマサフミさんの3名のイラストレーターからなる展示ユニット『ネジフセルズ』として額装作家の中守生和(JOE)さんを展示サポートとして迎え、去年の5月に展覧会を開いたようだった。
 描き下ろしの四コマZINEやイラスト原画を購入出来るので、各人それぞれ作品に値段をつけることになる。おすしさんはそれが初めての事だった様で、とても緊張したそうだ。
 会期中1人の女性がおすしさんの絵を食い入る様に見ていて、それでいて何か悩んでいる様だった。彼女はどこか決意を固めた様に頷き真っ直ぐおすしさんの方へ向かう。
 「あれ買います」
 彼女はさっきまで見ていた絵を指差しそう伝え、配送の手続きを終え嬉しそうに帰った。おすしさんは自分の描いた絵が自分の下を離れて他人の所有物になった事に、えも言われぬ感情になったという。売れて嬉しいが少し寂しい様な。とても感動的な体験だったと熱をあげて語っていた。

 これは音楽には無い、物質を生み出す芸術の尊さだ。音楽だけをやっている限り僕には一生得られない感覚だ、と平伏してしまった。僕らがいかに実体、実態の無いものを生み出して届けようとしているのか、その漠然とした掴みどころの無いものを扱っているのかと、その大きさを改めて目の当たりにしてしまった。芸術作品の価値(値段)は作者じゃなく買い手によってあがっていく。5万円の絵を10万円で買いたい人がいればその絵の価値は10万円になる。さらに100万円でも欲しければ100万円になる。僕の至極作品的な曲にお金を払ってくれる人はいるだろう。


 だが、僕の描いた絵を君は買ってくれるだろうか。

 僕自身の価値が高まればきっと売れてしまうんだろうな。そうしたら純粋な芸術としての評価は無視されてしまうんだろうな。良いものは良い。悪いものは悪い。全ての芸術に正当な評価をした上で好みのモノの価値を高めていきたい。みんなもそうしようね。


 僕は僕の価値を高めて、自分にしか得られない感動をみんなに共有したい。


 楽しみにしていてね。
 



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