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音楽と僕


 あれは中学二年生の時だった。林間学校のキャンプファイヤーで出し物が出来るらしい。誰かが何処からか聞きつけた。目立ちたがり屋で音楽が大好きな僕たちがバンドを組むことは自然な事の様な気がする。
 僕はメンバーの中で唯一楽器の経験が無かった。余っているから、という理由だけで僕はベースとかいう弦が4本だけの地味でへんてこりんな楽器を弾くことになる。当時中古屋で初めて買った激安(八千円!)のベースはバラバラに分解されて今は実家で静かに眠っている。
 林間学校でのライブは大盛況だった。終わった後、あまりの緊張にゲロを吐いた。それが僕の初ステージとなり、心配してくれた担任は「俺も学生の頃は良く吐いてたよ」と声をかけてくれた。中学生時分のガキに言うセリフじゃないその言葉は、あまりにも今後の人生で役に立っていない。
 高校まで続いたそのバンドはそれぞれの進路の都合で呆気なく活動休止となる。僕は浜松の大学へ進学し、そこから音楽にのめり込む事になる。絵に描いたようなゴミクズ軽音楽部員の爆誕である。

 この時期の僕は音楽に救われていた。

 最近までは狂わされたと思っていた。だらしない生活、未熟な精神、臆病者。自分の性質はとても暗く、後ろ向きである。音楽が無かったら、僕は確実に引き篭もってそのまま腐敗して死んでいた。ベースを弾いたり、曲を作ったり、バンドを組んだりする事によって他者との繋がりを保っている。結局大学は中退してしまったのだが、バンドの先輩の誘いで就職出来た。この縁は音楽が無かったらあり得ない事だ。
 2年そこそこで仕事を辞めて地元に帰った。中高のメンバーでバンドを再開したが、思うように動けない。そのバンドは結局活動を止めて、新たに直也を迎えたバンドがinariというバンドだ。全員幼馴染で、仲が良いだけの下手くそバンドだった。それでも良かった。仲が良ければバンドは続く。音楽は止まない。技術は後で追いついてくる。
 幼馴染が僕の大学の先輩や後輩、かつてツアーを回って仲間やよく対バンした友人達と話をしているのは不思議な感覚だった。これも音楽の縁だ。
 僕たちは持ち前の人当たりの良さとコミュニケーション能力で、たくさんの人たちと仲良くさせてもらっている。今受けているオーディションの本選まで残ったのはその結果だと思っている。音楽が僕と幼馴染を繋げてくれて、大勢の方の応援に繋がっている。
 僕が音楽を辞めてしまっていたら、きっと今頃死んでいる事だろう。メンバーやファンへの感謝は勿論だが、僕はやっぱり音楽に救われているのだな。

ありがとう、音楽。
お前を殺すまで僕は死ねない。


せんしろう

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