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ひとりでいたい

湧き水の町から尾瀬へ



人の賑わいがある沼田の中心から山をあがると、湧き水の町が現れる。

車中泊生活はどこにでもいけるから、必要なものを調達するのはたやすい。だけど、足りないと思ったところから新しい発見が生まれる楽しさがあるから極力買い物をしたくない。

なので、お水を自然からもらえるのは大変ありがたい。おいしいごはんが炊けることを想像して喜ばしい。

水の町までいくと、尾瀬が近いことをGoogle Mapは教えてくれた。旅仲間が尾瀬は良いよというので、向かってみた。

尾瀬に着いた。

ちゃんと観光地。道の駅はおしゃれで明るい。道の駅が閉まった後について開く前に出発する車中泊民にとって、街灯の多さはマイナスポイントであるが、車中泊がある場所に巡り合えただけでありがたいと思う。

道の駅には湧き水が使い放題だった。さすが尾瀬。山さいこう。

お米の入ったアルポットに水を入れ、尾瀬版のお米が炊けるのを待つ。
ちなみに、お米はアルコールで温めることができるアルポットを使っている。

作業する必要ががあったので、本を読む時間はなくPCをカタカタしたあと眠りについた。ここまで来たら明日はハイキングをしようと決めた。

尾瀬でハイキング

平野まではそこそこの登山。1時間くらいなのでちょうど良い運動になる。車旅だとどうしても歩くことが少なくなるので、大事な運動の機会。

平野の散歩道でめずらしい柄の蜘蛛を見つけたので、一緒に歩くことにした。(一人だとこういうことが出来るので良いなぁと思う。人と行く楽しさがあるのは言うまでもないけど。これについては最後にもう少し深ぼる。)

草の上を移動するのはとても大変で、まったくと言っていいほど進んでいなかったが、遊歩道の上はとても歩きやすそうだった。

人のための道を一緒に便利だと思ってる生命がいると思うとうれしくなった。

蜘蛛が一生懸命に遊歩道をあるいていたので、蜘蛛のペースに合わせてみた。一歩が小さいのでもちろん歩みは遅いけど、こちらがじっと座っているといつの間にか数メートル先にいってしまう。遅くて速い。

遊歩道でも蜘蛛は端っこを好んで歩いた。端っこは草がはみ出ているので、くぐったり飛び越えたりしなければならない(よけれないこともない)。とても面倒くさそうだった。

なんでかなと思って見ていたら、端っこを歩く理由はおそらくいざというときに草むらに逃げるためだと思う。

自分が一定の距離以上に近づくと、蜘蛛の歩き方は変わる。面倒くさそうに乗り越えたりくぐったりしていた草を上手によけて、遊歩道の上を猛スピードで前に進んでいく。逃げの体制。もっと近づくと、草むらに隠れる。

危害を感じさせない距離を保ちじっとしていると、また草をくぐったり飛び越えながらのお散歩に戻る。

残念ながら、一風変わったハエが飛んできて、柄を見ていたら、先ほどまで一緒に歩いていた蜘蛛を見失った。

決して並走はできないけど、貴重なお散歩仲間との時間を楽しむことができた。

一人旅のさみしさ



一人旅が寂しくないといえば嘘であるが、現地で新たな出会いが起きる喜びを思うとその寂しさは造作もないことに思える。特に自然に囲まれれば、自分と自然の中の対話なのでさみしいと感じることはもはやなくて。

ただ、さらに上まで登るかを迷ったときに、登らない決断をした。この時、「何があるかわからない道をもう少し先に進む」ことに関しては仲間が必要だと感じた。

「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」
(If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.)

ひとりでいたいし、誰かといたいし。どんな時?頻度?状態?場所?って、いろんな要素で自分を理解していけたらいい。

そのバランスのとり方は常に悩ましいけど、自分の場合は、自然をゆるりと享受することにおいてはひとりで大丈夫なんだなろうな。

そして、ちょっとした寂しさを補うために本があって、自然とか本と時間を過ごすために必要なひととの距離。

今回はあえて一人の空間・時間を作ったけど、もし強制的に寂しさを感じざるを得ないときは、自然と本に助けてもらおうか。

今までずっとそうしてきた気がして、あえて意識することでもないか。(あれ、不毛?まあいいや)

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