死は利他か
フェリーで本を読もうと思ったら、仕事が舞い込んできた、残念。フェリーで本を開いて15分くらいでうとうとするっていうのがいつものパターンなんだけどな。
船を降りて車に乗ってたくさん走り、群馬県の水上に着いた。小さめのうねうね道に安心する。
暗い山道で安心するのは、佐渡暮らしのおかげ。
佐渡の本屋「ニカラ」
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センス・オブ・ワンダー(レイチェル・カーソン)
佐渡の家の近くに「nicala」という小さな本屋さんがある。島を出る前に、一冊佐渡で調達しておいた。
かわいくて素敵な本がたくさんある。佐渡だなぁ、佐渡が好きな人がつくってるんだなあという感じがする。
宮本常一とか星野道夫とか、良さそ〜って本はたくさんあったけど、これから関東に向かうのに島や北海道の話はちょっとちがうと思って、土地に関連のない本を選んだ。
体裁もすごくかわいくて、持ち歩くにもちょうど良さそうな本。nicalaの空気感がそう思わせてるのかもしれないけど、本そのものが芸術品て思える。
この本屋さんが旅のスタート地点だとしたら、とても幸先が良い。嬉しくなった。
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車中泊の場所は水上の道の駅。他には誰もいなくて、静かで、川の流れる音だけが聞こえる最高の場所。
ごはんが炊けるのを待ってる間に佐渡で買った本を読む。この時間がとても愛おしい。
「沈黙の春」とは全然違い、センスオブワンダーは著者の生活感を感じることができる。
海や自然に対して日常的にどんな思いで関わっているのかありありと感じ取られて、レイチェルカーソンの感性が沁みてくるのが嬉しい。
死は利他か
あと、印象的なあとがきがあった。(本編であれ…)
人間を生物に重ね合わせたうえでの話なので、人間においても死が利他的行為になるかは、この文からは判断がつかない。
だけど、仮に人間であってもセンス・オブ・ワンダーがあればその有機物の循環に入れるとすれば、感性の心を養おうとするのに大きなモチベーションになる。
というよりは、単に死を近くに感じると、虫などの人間よりも死が身近な生き物に自分を重ねたくなる、そして重ねた結果、虫たちは死を利他的に使っているから、死って怖いとか悲しいとかじゃないよねって言いたかったのかな。
なににせよ、死に対する前向きなメッセージとして受け取れた。
産み育てるための大人になり、競争が生まれて効率性や合理性を重視する一方で、子どもがセンス・オブ・ワンダーを持っていることで、人間としての「遊び」が人類のイノベーションにつながった、みたいなことが書いてあった。(言葉覚えなくてニュアンス)
産み育てる役割は自分には降ってこなさそうだから、大人として世に貢献する方向性じゃなくて、失われたセンスオブワンダーを自分の中に取り戻して、遊びの中にしか生まれないものを生み出していければいいのかな。
佐渡の暮らしもこの旅も合理性からはかけ離れた「無駄」にあふれた生活をしている。佐渡にはセンス・オブ・ワンダーな大人たちがたくさんいるのかもしれないし、その影響を多分に受けている気がした。
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