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大学受験について語るときに僕の語ること

明け方まで起きてるやつが有意義なことを考え付いたことは歴史上ないらしいよ。

最近、ひとつの節目に際して、人生を振り返ることが多い。夜更かしをしていると人間ろくなことを考えない。深夜にぐるぐると20年を省みていると、やはり、というか大きなウエイトを占めるのは大学受験のことだ。多くの大学生にとって、今までの人生で一番大きなイベント、転機と言えば大学受験だろう。

第一志望が叶わなかったものにとっては、なおさら、呪縛として。

そう、私は第一志望の大学に落ちて、いまのマーチといわれる難度の私立大学に入った。恥を捨てて言うが、こんな輩が大学受験について考えることと言えば、学歴コンプレックスについてだ。

新入生が大学受験について話しているのを聞くと、お互いに相手が「どのレベル」なのか、けん制しあったり、虚勢を張ったりしているのが分かって微笑ましいが、それを今やる。

今回の投稿は、いまだどこか残る私の学歴コンプに折り合いをつけるためのものだ。

ちなみにタイトルは村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』より。

前提として

繰り返すがこれは自分のための振り返りであって、情報は私の受験当時のものだし検証もしないし客観性や中立性など考えずに、完全な主観を綴る。あっちが上だあそこは下だのということも、あまり配慮しないで書いていく。「偏差値じゃなくて大学でなにをしたかでしょ」なんて当たり前のことは言うまでもないのだ。(言った)

第一志望:国公立

私はいわゆる旧帝大の国公立大学を文系受験で目指していた。

決して勝算のない勝負ではなかったのだ。模試では何度かB判定を取っていたし、過去問もそこそこ解けていて「まあちょっと怖いけど、きっと大丈夫。」だと思っていた。落ちた。

実のところ、この第一志望についてはあまり悔いはない。勝算を持って正面からチャレンジした結果なのだから、納得している。

ところで旧帝大の難度は以下のように私はイメージしている。(一橋だの神戸だのは置いておく。)

東大≒京大>阪大>名大≒東北大>北大≒九大

大口をたたかせてもらうと、北大と九大は、正直受ければ合格できたと思う。旧帝の過去問は一通りやったが、簡単でかなり解けていた覚えがある。だからこの二校にはもやもやは感じない。

これは…と思うのが阪大からだ。阪大から上は当時もっと勉強していたとしても、厳しいものがあっただろう。と書くと、上ではぼかしたが、第一志望は名大か東北大であったことがうかがえてしまうな。

僕の国公立大学に対するコンプは、阪大から上には黒、名東北大にはグレー、北九大には白といった心持ちだ。これはコンプというか、尊敬の方が近いかもしれない。「よりがんばった人たち」への畏敬と、「がんばらなかった」自分への後悔だ。

私立受験

国公立対策に手いっぱいで私立対策は全然していなかった。実は今いる学部の過去問は1度もやったことがない。

僕の学歴コンプの主部分は、私立受験、いや言ってしまおう早稲田大学に対してだ。慶応は過去問もやったことがないのでコンプもクソもない。

結論から言うと、僕の早稲田に対するモヤモヤの正体は、「もうちょっと対策したら行けただろうし、私文三教科に絞っていたら絶対に行けただろうな」という自信を、証明できないことだ。

早稲田は3学部を受験した。人間科学部、教育学部、文学部だ。

文学部にはもっと対策していれば…と思う。教育学部は補欠だった。当日の体調不良が無ければいけたのではと思う。防衛機制的な言い訳ではないぞ(顔真っ赤)。試験中、たしか国語のときにどうしようもなくぼーっとしてしまったのだ。体調管理も実力のうちと言われるかもしれない。

そして実は、ほぼ誰にも言ったことはないが、人間科学部には合格していた。なぜそこにしなかったのかについては機会があれば書こう。

上に挙げた3学部は、早稲田のなかでは言ってしまえばスポ科を除いて「下から3つ」の学部だろう。他の商、社学、政経、法については片手間では無理だ、と思い受けなかった。

ifはない

文、教育についてはもっと対策していれば…と思うし、他についても、私立文系3科目に絞って1年間勉強していれば、十分に芽はあっただろうと思っている。去勢ではなく、模試の結果など思い出しても、そう思う。教育はA、文商はBを取ったことがある。(気がする。)

しかし僕はこの自信を、どうあがいても証明することが出来ない。人生にifはない。

強い言葉を使おう。もし、自分の中では合理的かつ客観的な、上記の話を僕よりバカそうな早稲田生にしたときに、「言い訳乙w」と言われそうなのが嫌だ。それが恐らく、僕の学歴コンプレックスの正体だ。

僕と同じように国公立に落ちながらも、早稲田に合格した人については、彼らもまた尊敬する。僕にはできなかったことだから。

おわり

より根本的には、納得を求めていて、挑戦できなかったことと、十分に勉強をしなかったことを後悔しているのかもしれない。

そもそも挑戦してもいない慶応には何も思わないし、第一志望国公立に対するグレーな気持ちは、真っ向から挑戦して討ち死にできた納得感だ。

まあなんとなく思った深夜の回想を膨らませただけで、いまだ燻っていることは否定しないが、もはやそこまで気にしちゃいない。

実のところ、noteを書くネタが無かっただけなのだ。

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