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主幹教諭、春に思う。令和6年度の戦いに備えて。

違和感があった。

ただ漠然と「それじゃダメだ。うまくいかない。」という感覚があるのだけど、なぜダメなのかがしっくりこない。ただ、それじゃダメなので全て自分がフォローに回っていた。

令和5年度。
管理職人事の大異動によって混乱に陥った勤務校。2年目の主幹教諭として赴任したのが私だ。ちなみに、現場外から戻った校長、新任教頭と一緒の異動だった。
異動したばかりの教頭、主幹教諭または教務主任は多忙を極める。なにしろ学校の文化や流れがわからない。私の場合は他の自治体からの異動も拍車をかけた。赴任先の市町村にはその市町村の風土がある。それすらわからない。また、教職員もほとんど面識のない人達ばかり。関係ができていない。わからない中で学校を動かすための計画、提案、指揮、さらに実務を、はじめの4日間でこなす。正直、4月の記憶はほとんどない。ただただ、目の前にやってくるものを捌くのに必死だった。
誤解を恐れず言うならば、学校体制にも多分に問題があると思う。こんな時、教務が積極的にフォローに回れる体制ならば、かなり緩和される。それはずっと思い続けている。

多忙はずっと続いた。
教室を飛び出す児童、離席を繰り返す児童。
家庭の事情や体調の問題で休む教職員の増加。
それに加えて自治体独自の調査や計画書。
それらへの対応に走り回った。
本来力を入れたかった授業づくりや働き方改革、校務DXなどは全て後回しで、ほとんど何もできなかった。
一体、自分の仕事は何なのか?

私の多忙に気づいた校長が言った。
「そんなにフォローしなくていいんだよ。少し自分で対応させなよ。無理だって断りなよ。行かなくていいよ。」
…そうだろうか?
そして思ったのが、冒頭の内容だ。私は先生方のフォローを続けた。

もちろん、校長の思いはわかる。業務の偏りがある。何でも主幹教諭に任せていては学校が回らなくなる。実際、回っていない。
しかし、先生方と関わり、関係を築くにつれて、違和感が大きくなっていった。

現状、主幹教諭は忙しい。心と体をすり減らすほどに。なぜこんなに多岐にわたる仕事を捌き続けないといけないのかと独りごちたこともある。
しかし、だからと言って担任に肩代わりさせて良いのか?困っている担任をフォローしなくていいのか?

今にして思えば、私の違和感はそこだった。

担任がサボっているならば、わかる。自分で頑張らないとダメだと納得しているならば、わかる。しかし、私が接していて感じるのは、担任の先生方は、自分の精一杯をやって、それでも困っているということだ。
「自分のクラスのことでしょ。自分でやりなよ。」
と、突っぱねてしまえば、もちろん自分は楽だ。しかし、突っぱねられた先生方はどうなる?
「そのくらいのことで周りを頼るな。」
外から見て「そのくらい」でも、当人にとっては深刻な問題である場合もある。
やはり、助けを求めているなら手を差し伸べなければならない。できないとしても、寄り添わなければならない。

その繰り返しが信頼関係になるのではないか。そうやって築いた信頼関係の上に、お互いにフォローし合える関係が生まれてくるのではないか。

現任校に足りない視点だった。
案の定、今一つ学校がまとまりきらない感覚で令和5年度を終えた。

補足しておくと、担任も(全員ではないが)やってもらえない、仕事を減らして欲しいと一方的に言っている部分もある。教務は(これも全員ではないが)自分に割り振られた仕事はしっかりやるが、その外には手を出さない。そういう雰囲気がある。管理職としてはもう少し頑張って欲しいと思うのも無理はない。
しかし、その思いも、改善のアドバイスも、改革の火も、伝わるためには信頼関係が必要だ。

現状に課題があるとしても、高いところからトップダウンするだけではうまく変わってはいかない。
まず、先生方が精一杯やっていることを知ろう。どんな思いで働いているか知ろう。その上でどこに改善点があるか探ろう。
主幹教諭の業務を減らして他の職員に割り振るならば、よく見て、減らせるところや変えられるところを見つけてからだ。

そこに、令和6年度の突破口があると思う。
また忙しい年になると思うが、その忙しさの質は令和5年度とは違うものであることを願いたい。また、そのように変えていきたい。

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