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無駄を排除しすぎるのはちょっと怖くなったこと


夏あたりから、SNSに投稿する意欲が薄れてきていました。

それでも日々は過ぎるしいろんなことが起きるのです。


去年の9月にnoteを始めたときは本当に先が見えず、手探りで自分を探しているような状態でした。

そして、noteを始めいろんなSNSに投稿を続けているうちに、だんだん自分が見えてきたところがあります。


5月にダイエットを始めました。

順調に体重は減り、肥満だった体重がだんだん落ちてきて鏡の中の自分が変わってくると共に、見た目的にも自分が受け入れられるようになってきました。

その他いろいろな面でも
「もう自分はこれでいいや。これで行こう」
という気分になってきたのです。

しかし不思議なもので、「もう自分はこれでいいや」と思い始めるようになると、いろんなことへの興味も薄れてくるようになりました。


今晩とか、急にnoteに久しぶりに投稿をしてみようと思い立ったのも、
「なんかいろんな物事について、こんなに無関心ではマズいのでは?」
急に不安を感じたからなのです。


ここ数ヶ月、ダイエットのためにカロリー計算・運動量計算のアプリである「あすけん」を利用して、特に食事に関しては計算外のものは食べないを徹底していたのですが。

「いくら食べたくても我慢する」という習慣を続けると、なんかうっすらとした諦念のようなものにいつも支配されているような感覚もあり。

そんなかんじで全ての欲望に関して最初から諦めているような感じに陥ってきたような気がして。


実は昨日でダイエットは、当初の目標だったマイナス11kgを達成しているのですが。

当初の目標設定が甘く、一般的に肥満の目安であるBMI値25にはまだ達しておらず、さらなる目標を再設定をしました。

しかし、今日ふと思ったのですが毎日毎日の厳密なカロリー計算によって、ここまで欲望を抑える習慣は逆に精神的によろしくないのではなかろうかと。

ダイエットを習慣づけていると、例えば「何かを食べたい」という欲望は、実際に何かを食べることよりも「食べたい」と思っている間のほうが欲する力は強いんじゃないかな、という気づきもありました。
「食べたい」と渇望していたときに比べて、実際に食べてみると思ったほどの快感ではなかったりすることも多々有ったりもしました

じゃあ、無駄なカロリーは摂らないほうがいいんじゃね?
という考えに全て直結してしまっていたところが、ここ数ヶ月あったのです。

そういう考えをつきつめていくと、
「無駄なことは一切しないほうがいいんじゃね?」
という感覚に陥りがちなところが私の性格上あったりもするので。

無駄のまったくない生活を続ける、ってよく考えると怖いことじゃないですか。
私は今、無駄を省きすぎて無気力に陥ってるんじゃないか?
という気がして。

「いや、人生、無駄に見えることもしないといかんよ?」
と急に思ったのです。

そうして、こうやって無駄な文章を書いてみたりしたのです。


まあ、遊びのない毎日のカロリー計算のせいで余力がなくなっているのかもしれず。

今日はもう寝ます。おやすみなさい。







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