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下着と自尊心


かなり前に亡くなった、バブルの頃にヘタウマイラストで一世を風靡していたイラストレーターの渡辺和博さんが、男性の下着についてこんなことを書いていたのを覚えている。
うろ覚えだけど、「女の子と遊びたいと思っている既婚男性は、そういうチャンスがあるときに妻の買ってきたパンツを履いていてはいけない。妻の選んだパンツには”他の女とセックスなんてさせるものか”という念の呪いがかかっている。妻はそういう思いで選んでいるから妻以外の女性から見てダサく見えるパンツをチョイスしている。そんなパンツを履いていたらデキるものもデキない」みたいな内容だったと思う。
(思い出してみると、バブルの頃は既婚男性が婚外で遊ぶことが今ほど罪悪視されていなかったなぁ、とも思います。なんかデキる男のたしなみ的な感覚だったような感じがします。もちろん男性同士の間で)

まあ、妻なりお母さんなり他の女が買ってきたパンツを履いている男、っていうのは女にとってどうなんでしょうね。
近年の若い世代の方たちは、お父さんお母さんと仲が良くなったと聞きますから、やっぱり彼女ができるような歳になってもお母さんの選んだパンツを履いているのでしょうか。そういうことを彼女になる女の子は気にしないのでしょうか。


とかとか、そんなほんとにどうでもいいことを思い出したのは自分のパンツというかショーツについてここ一カ月ほどほんとうに悩んでいたからなのです。
もうね、夫を含めて男性に見せる前提なんて全く無いのですが、かといってあまりにもオバサンのパンツ的なものだとやっぱり気分までどんよりとしてしまうというか…。


パンツについては、本当になんか人権と直結してるんじゃないか、と感じたことがあります。
私は、過去にちょっとした事件を起こして精神病院に強制入院させられたことがあるのですが、その精神病院というのがまあ前時代的な疑似監獄のようなところでした。
いろいろと、「人間扱いされないってこういうことなんだ…」と実感したことは多々ありますが、その中でもショッキングだったのがパンツでした。
その閉鎖病棟では個人の衣服持ち込みが一切禁止されていて、病院内で着る服はすべて皆と共用だったのです。一般の衣類に関してはそこまで思わなかったのですが、パンツが共用、というのはかなり精神的にぐっとくるものがありました。そういうプライベートなものを共有するってことってなかなか機会無いですよね。洗濯済みとはいえ他人の履いたパンツですよ。それを履くっていうことは、なんか基本的な人権を失ってしまったような感じさえしたような気がします。
まあ、またピンクベージュの大きなズロースみたいなパンツだったところがまた…、なのでした。

まあ、そんな精神病院にいたのも3カ月足らずくらいで、その後は娑婆(閉鎖病棟を思えばそんな言葉がしっくりします)で安穏と生活できているのですから、そのことは本当にありがたいのですが…。


そんな閉鎖病棟のパンツを思い出したのは、このひと月くらい私がショーツ難民になっていたせいなのですが。
今まで履いていたショーツが急に苦しくなるようになって、大きいサイズを試してみても駄目(原因はよくわからないけど加齢ですかねぇ)で、根本的に楽なショーツを探していたらふんどしショーツに行きついてしまったのですが。
そういうショーツって、わりとその辺の下着売り場でも売っていなくて通販で見つけたのですが。取り寄せてみたらものすごい大きなサイズのピンクベージュのものが届いたのです。
ピンクベージュのデカパンを履いて一日過ごしてみたのですが…。まあ、「おばあちゃんの下着」感はんぱなくて。なんかものすごーく、嫌ぁな気持ちになってしまったのです。トイレでパンツを上げ下ろしするたびに気分が滅入る、といった感じです。それで、ずっと忘れていた閉鎖病棟の共用パンツまで思い出して落ち込んでみたりもしました。

その後、とにかく「機能的に問題が無くてもあまりにも見た目がアレなパンツを履いていることは自分のQOLに良くない」と思い、いろいろショーツを探しては試行錯誤を続けているうちに、どうでもいい昔のいらんことを思い出したりしてみています。

本当に、歳をとるってめんどくさいなぁ、と思いつつ。

思い返せば、昔は下着と言えば勝負下着、ということでこんな記事も書いていたりしましたねぇ。2年も経ってないのに、あれから遠くに来てしまった気がします。


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