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inagena vol.1 「音」

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「音」をテーマにした、ジャンル横断アンソロジー『inagena vol.1』(2024/5/19開催〈文学フリマ東京38〉にて発売)、全収録作品の冒頭が試読できます。
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記事一覧

不知火黄泉彦「武器ではなく、楽器を」

 ライフルの音が響いた。  タカタカタン。タカタカ、タカタカ、タカタカタン。  五連符と十三連符だからファイヴストロークとサーティーンストローク、いや、遅めのアレグロだからシングルストロークのほうがクリアに鳴らせる、と反射的に考えてしまった自分が自分で嫌になる。  見ると、迷彩服姿の人々が重なって倒れている。二〇人まではいないだろうか。微塵も動かない。ゴムのようだ。アスファルトに散った血痕のシルエットのほうが、よほど生命感がある。 「またかよ」つまらなさそうに弟が言うと、 「

小山智弘「空へ」

 飛行機に乗る。通路を挟んだ隣に若い男女がいて、赤子を抱いていた。  それから時が何年も過ぎた。  長期休暇を申請し、ハワースに訪れた。 「おじさん、日本人?」  日本語が聞こえる。  だいたい14歳ぐらいの青年がいた。 「そうだけど」 「うあー久しぶりやな。俺も日本人なんだ。生まれてすぐにイギリスに来て、それから日本なんて行ったこともないんだけどね」 「そのわりに日本語が上手いじゃないか」 「ボイチャばっかりしてるからね。アニメも見てるし。おじさんはどこにいくん」 「

恣意セシル「産声のカノン」

 遠くから、ゆっくりと何かの音――いや、声が近付いてくる。  おぎゃあ、おぎゃあ、……ああ、これは産声だ。私がこの世に転び出て、初めて出した声だ。不思議なことに、見えないはずの目でも、周りの人々の笑顔が見える。  私は祝福されて生まれて来たのだ。少なくとも、あの瞬間だけは。  びゅおおおおおおおおと、両耳を大気の切り裂かれる音に支配される。高度何万メートルから私は落下しているのだろう? わからない。わからない。まま、私は生身でただただ落下し続けている。  わからないことより

Sonnie「心臓」

 奏でられる鐘の音。まばゆい白い壁がそびえ立ち、教会内を光り輝かせている。空気には神聖な雰囲気が満ち溢れ、慈愛に満ちた思いが包み込まれていた。この美しい教会では、今日一組の新郎新婦を迎え入れる準備が整っていた。  これから新郎新婦が登場する聖堂の入口には、白い花が豪華に飾られ、光に反射してキラキラと輝いている。祭壇の前には、カラフルな装飾が施されたキャンドルが並び、その明かりが優しく会場を照らしている。  客席に座る人々は、様々なドレスやスーツを着ており、祝福の空気を一層引き

増田邯鄲「パンド・羅・生の鐘」

 夕暮れどきのことである。女が、塔に吸い寄せられるように、街道のはずれを歩いていた。脂ぎった髪を垂れ下げ、土埃にまみれた履物を引きずっている。小刻みに吐き出される無声の呼気が、整えられていない前髪をふわりと跳ね上げる。 「ぁ……」  女が地面に足をとられた。躓きかけた女の発した、僅かな有声の音が空気を震わせる。周囲に波紋が広がる。虫、小動物、鳥。音を感知するあらゆる種々が彼女の側を遠ざかっていく。 「うぅ!」  女は苛立ちに足を踏み鳴らし、右手にある木々に向かって獣のような声

古川慎二「心神を痛ましむること莫れこの故に」

 晴れた日の昼休み。 「慎吾くん。私のために歌って」  亜香里は面白いやつだ。誰に対してもこんな調子のお調子者で、素敵な人だ。  どうしてと尋ねたら、 「だって歌、得意って言ってたじゃん。確かめさせて」 「いいよ」  俺は最近流行っている歌を歌ってみた。 「笑える」  笑われた。 「どうせなら、『空の彼方』歌ってよ」 「タイトルしか知らない」 「やば。おもろ」  彼女は携帯で曲をかけた。  どこにでもいそうな男の、どこかで聞いたような歌声のありふれたヒットソングが流れる。  

あらみきょうや「かばね」

 正体は茸である。蒲根、と表記するがこれは近代以降に成立した当て字であり、蒲の繫累に名を連ねるものではない。むろん根菜でもない。山中の水辺に群生し、じっさい蒲の根元などにも見られることから名づけられたとする説もあるが、これは些か信憑性に欠ける。蒲はなくとも茸は生える。  従来カワネ、あるいはカワノネと呼ばれていたものが時を経て転訛したのであろう、とは教授の弁だ。真偽のほどは不明である。唯一の論拠は神社の蔵で見つけた江戸時代の書翰だという。何しろ生息域が狭く、採集や栽培を生業と