西荻窪には知人のお店が3つ。 夫の会社員時代の先輩で、私も仕事で大変お世話になった方がご夫婦で営むアフリカ雑貨店hapahapa。中学時代の同級生の旦那さんが営むイタリアンレストランosteria adagio。そして最近オープンした書店ロカンタン。 今日は後者2店へ。 ロカンタンの店主に会うのは、2013年の映画祭で担当作品の取材をしてもらって以来…「ですよね!夜中にホテルのロビーで待ち合わせて、随分夜中の取材でしたね(笑)」と思い出話しに花を咲かせていると、ある本を見つ
「○年前の今日」をFBが教えてくれる。 2年前も4年前も6年前も7年前も、とても楽しそうに忙しく仕事していたらしい私。投稿を読めばその日を鮮明に思い出すことができるが、今はと言うと、別人かと思うほど家庭人になってしまい、仕事への集中力はおろか映画館で映画を観ることさえできなくなってしまっていた。病んだわけではなく、理由はただ結婚したから。そんな私の変化や、変化に戸惑いながらも素直な気持ちに沿って決断した選択を受け入れ、戸惑い不安になる度に時間を惜しまず丁寧に話を聞いてくれ、些
PARCO、スクランブルスクエア、ストリーム、フクラス…渋谷はすっかり近未来的に。 15歳から通い続けた街が変わっていくことにずっと寂しさを感じていたけれど、スクランブルスクエアの展望台からの景色は感慨深かった。ギャルだったり必死な社会人だったりと20年間毎日あくせくあくせく歩いてきた渋谷を、結婚し仕事から離れてみた今、35歳になる年に上空から見下ろすという不思議な体験。天国から過去の自分を見ているような感覚。自らの素直な気持ちに従い仕事から離れてみてどうだ…どうなんだと自
名古屋めし。 昨年初めてご挨拶に伺った日が愛知県初上陸だった私のために、義母は味噌カツをつくってくれた。赤味噌で食べるカツが口に合うか心配してくれていた義父が、今回はモーニングを体験してみたいと言った私を朝から張り切って喫茶に連れて行ってくれた。 鉄板ナポリタン?卵が敷いてある?さらにソースをかける?!食文化の違いに驚きながら、土地勘が全くない中で「あそこの喫茶は〜」と義父母の若い頃の話を聞くのは楽しい。その喫茶たちが今でもしっかり残り、朝から賑わっているということが凄い
幼稚園まで暮らした国立。 街の文房具屋、本屋、洋食屋がそのまま残っていることに驚く。 多くの街がビル中のエスカレーターを乗り降りしないと文具も本も生活用品も買えなくなった昨今、道沿いからスッと入店してボールペン1本だけ買えるような商店があることの素晴らしさ。 ロージナ茶房の前には、変わらず元気にルーちゃんもいた。だいぶ歳とったね。 (2019.07.15)
一家に一冊と思い、駅の書店で予約して買った写真集。 戦中戦後、高度経済成長期の杉並区。 時代と共に変わりゆく商店街の様子や、道端で遊ぶ子どもたち、商店で買い物をする女たち、祭りを守ってきた男たち、散歩する犬猫。 どの時代も春夏秋冬、細やかながら確かな人々の暮らしが街と共にあったことが伝わり、どれもこれも愛おしい。 生涯杉並区に暮らし続けるであろう私たち夫婦は、どんな歴史の一部になっていくのか。 早くも街の風景は変わり、10年かかったという自宅裏の東八道路放射第5号線が
2001年から高校→大学→会社→現在の事務所とずっと渋谷。服を買うといえば109、お酒を飲むといえば渋谷、待ち合わせは決まって渋谷ロッカー前。学生時代が終わり、特に好きではなかった渋谷から離れられると思いきや、会社が渋谷。フリーになってもやっぱり渋谷。 いつのまにか109に足を踏み入れることもなくなり、看板も取り外され、学生時代に仲間と浴びるようにお酒を飲んでいた居酒屋たちも入れ替わり、東横線の大工事があり、ヒカリエもでき。 気持ちに余裕なく割りと必死で1日1日をそれなり