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必要なのはただ、知的蛮勇なのだ。『哲学の鍵』野矢茂樹

言い訳をするならば、今は夜で、まるで中学生がお気に入りのミュージシャンの歌詞をノートに書き写してしまうかのようなあの気分も言うまでもなく。
気に入ったのです。非常に気に入った。リズム、言葉づかい、態度、広げ方、捉え方、醸すもの、示すもの。
小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』ライナーノーツでのあの名文を思い出した。何かしら通低している。気分。


『哲学の謎』野矢茂樹

必要なのはただ、知的蛮勇なのだ。

世に哲学の専門家は少なくない。しかし、根本的に問題に捕われ続けて言葉少なになるよりも、そこを手際よく擦り抜け、枝葉の剪定で植木の枝振りを競うという、より仕事の多いところに身を置くものもまた、少なくない。それはまた、哲学を職業として成り立たせるために無理からぬことでもある。そして数多くの論文が生産される。だが、根本的な問題であればあるほど、もとの粗野な姿のまま残されている。もし、学問や職業と無縁の素人たちが、成熟も洗練も無視して無邪気で強靭な思索をそこに投げ掛けたなら、哲学の専門家たちも立往生するしかないだろう。必要なのはただ、知的蛮勇なのだ。

私自身はもう素人ではない。蛮勇もいささか失せかけ、そろそろくたびれ始めた専門家のなりそこねというにすぎない。しかし、それでも、どうにかしてなけなしの知的闊達さを鼓舞し、哲学の鍵たちに立ち向かい、右往左往している自分自身の姿を描き出してみたかった。明確な答えがあるわけではなく、それゆえうまく論文にのせることができないでいる、しかし、だからこそ大事な問題を、へぼな答えで謎としての生命力を失わせないよう、謎のまま取り出してみたかったのである。(中略)それゆえ読者は、屈託ない笑みを浮かべながら、徒手空拳で思考と想像の力を可能なかぎりはばかせていただきたい。それでもし、見ていたはずなのに見えていなかった不思議な光景が現れてきたならば、本書はその望みを最大限に果たしたことになる。

『哲学の謎』野矢茂樹

「必要なのはただ、知的蛮勇なのだ」も魅かれますが、下記の一文にもグッときます。

「だからこそ大事な問題を、へぼな答えで謎としての生命力を失わせないよう、謎のまま取り出してみたかったのである」

謎は問いにも置き換えられますよね。「問いとしての生命力」は仕事においてすごく大切。いじくりまくって「問いの生命力」を損なわないこと。


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