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アンビバレントな世界を描く。『ビューティフル・デイ』

長野ロキシーで『ビューティフル・デイ』。

画面構成、役者、編集、音楽、とすごいものみた…という印象。
凄惨なのに交流があって。救済すらある。

特にラジオから流れる『I've Never Been to Me』を口ずさむシーンには驚いた。驚くでしょ。

何なのかこの映画は。
たぶん監督はアンビバレンスそのものを描きたいのだ。
もしくは、この世界はアンビバレントなものだと思っている。ぼくもそう思う。

すごい映画でした。
脱帽。

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その後、友人(ずきさん)から映画の感想メールが届きました。
そのやり取りが面白かったので以下に再録します。
(ずきさんからも了承済みです)
映画を観た後にあれこれ話すのって面白いですよね。


■ずき
こんばんは。ビューティフルデイ、観ました。レディオヘッドの人なんですね。素敵でした。

実はこのところ調子が悪く、昨日まで死にたい死ねないと繰り返してなんとかやってるところでした。そんなときに稲田さんの映画の感想を見たんです。いい作品を見るとこころが燃えるし、そういういい感じにダウナーなのをぼーっと観たい気分だったので、明日はそれ観に行こーって思いながら眠りました。

そんな状態だったので、ジョーの気分にも簡単に同調しました。袋被ってみるのとか、線路覗くとかあの感じが経験あるあると思いながら、ふと、そこに「素朴さ」があることに気づきました。袋被ったまま弱々しく返事しちゃったり、バスルームのドアの外で刃物をもてあそびながら、「大事な母ちゃん居るしな〜」とか思ってるのかなあとか。水浸しの床を掃除することには怠さを感じてないようなところが、ストレスの元が分かりやすくて愛らしかったです。

街中にも同じような面持ちの人がそこら中に居たり、駅のホームで横から見つめてた人の痣だらけの視線なども、むしろ勇気をもらうような“痛み”がありました。
人を殺しまくってるエグいトラウマだらけの人間の鬱も、街中では馴染んで居たのが印象的でした。
ラストシーンになると周りの人々が明るいのも印象的(わかりやすい?)でした。

稲田さんの感想から、「アンビバレンス」という言葉を初めて調べて意味を覚えたのですが、それが全くぴったりだと感じました。なんというか、自分の生活とは全く遠い世界のお話なのに、とても近く感覚を包み込んでくる映画でした。とても綺麗で、擦れてて、かっこよくて、愛らしい映画でした。

おかげでどんぴしゃでいい映画に出逢えて元気出ました。ありがとうございます。

映画、あんまりたくさん観ないんですけど、ちょこちょこロキシーに通いたいなーって思ってたので、また行こうと思います笑。『ゲッペルスと私』も、観たいなあと思ってます。(財布と相談)

夜分に長文(しかも暗い)、すみません。おやすみなさい。

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■稲田
こんばんは。感想ありがとうございます。
とても面白かったです。

ぼくは頭でっかちな人間なので、「理解できるけど、実感はあまりない」ことが多いんですね。

だから、ずきさんの感想にあった、「ひりひりするような同調とそこから得る何かしらの気分」というのはとても新鮮でした。

何て言えばいいんだろう。こんこんと湧き出る水に手を差し込んで、その冷たさと勢いから水源の深さや水脈の長さを感じとるような。

ずきさんの感想を読んで、そういう映画だったんだなーと感じられて嬉しかったです。

いい映画ですよねー。
その良さを言葉にするのがすごーく難しいんですけど。笑

『ゲッペルスと私』もぼくはなかなかに「大した映画だ」と感心しました。
長野ロキシーはぼくの心のオアシスなので、ずきさんが足を運んでくれて嬉しかったです。

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■ずき
ありがとうございます!稲田さんの言葉に置き換えてもらうの、凄く気持ち良くて感激です〜・・!!
そうなんです、ただでさえ沢山見るわけでなしに、表現も難しいので…でも、稲田さんには送ってみたいと思って、送ってみました。ありがとうございます!

ロキシーほんと気軽に行きたい映画館です。これから意識して沢山入りたいと思いましたー。稲田さんの感想読むと、見てみたくなるので投稿楽しみにしてます。笑。

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■稲田
おお。ぼくの感想でロキシーに行ってくれる人がいるなんてとても嬉しいです。笑

長野ロキシーという心のオアシスがいつまでも存続するように、色んな人が足を運んでくれるといいなーと思います。

そうそう。この監督インタビュー面白かったです。
インタビュアーもなかなかの人みたいで読みごたえがありました。
(大寺眞輔という映画批評家の方でした)

映画原題の『You Were Never Really Here』と(いいタイトルですよね)、ラジオから流れた『I've Never Been to Me』の関係の指摘に唸ったり。
よかったら読んでみてくださいー。

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■ずき
そうそう!!!口ずさんでた曲。気になってたんです。
冒頭のタクシーの運転手が口ずさんでた言葉が文字に出て、なんとなく意味を予測して凄く重要な鍵に思えて。その言葉がエンドロールの最後に出てきたものだから、メモして調べたら、原題でした。
この指摘、凄いですね!!その場では結びつかなかったけど、確かに『I've Never Been to Me』の最後の節、「でも自分のことはわからないまま」というような歌詞、、?あの場面すっごく印象的でした。

あとお母さんとのやりとり、「素朴さ」より「ユーモア」、ですね。うん。すごいわかります!!なんか、冒頭狸寝入りしてるお母さんの眼鏡を、とりあえず外してあげるじゃないですか。亡くなった時にも、震える手で割れた眼鏡を外してあげて、机に置いてあげるんですよね。なんか、クーーってなりました。

お話の最後、少女を救い出すんじゃないし、その先どうするかも、彼女に委ねる。という視点も、なるほどと思いました。ニーナの不思議に綺麗なかんじ。
最後のシーンで、ジョーは一回、死ぬじゃないですか。あのときの気持ちも凄くわかる。あのタイミングでウワッと死んじゃう衝動とか、それでも周りが朗らかな描写とか。稲田さんが感想に書いてた「救済」を大きく感じました。

母親が死んじゃったあと部屋を出た時と、ニーナを連れ出す時に、少女がいる、とか、しきりにカウントダウンをするとか、たぶんどこかから来てる描写かもしれないけど、自分には説明されてないもので、なんかこのへんは感覚的に「わかる」感じが強かった。なんなんだろう。

すごく面白いです!映画を観たあとこういうインタビュー読むのもおもしろいですね!ありがとうございます!

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