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一歩間違っていれば自分もそうなっていた。という恐怖。

「自分を特別だと信じて疑わず、いつか何者かになれると漠然と夢想しながら何の努力もしてこなかった金も仕事も何も無いアラサーメンヘラ男」

ネットで散見する人物像で実際にいたらもちろん近寄らないのだけど、一歩間違っていれば自分もそうなっていた。という恐怖心が強いので他人事になれない。

以前ツイートした「いつかぼくは人生で致命的な失敗をするに違いない。今がたまたまで、一歩踏み外したら奈落の底に落ちるのだ」もその恐怖心と地下水脈で繋がっている。異論反論あるでしょうが仕方がないんです。そういう性格なんです。

共感されないだろうしあまり言いたくないけれど、社会から取り残されたが故の悲惨な事件が起きてTVが恍惚な正義を振りかざして世間が沸いているのを見る度に「彼/彼女は自分だったかもしれないのだ」と思ってしまいます。それは義憤的な感情ではなく、ただただ恐怖心です。この感情はなくならない。

悲惨な事件を起こしてしまった人に対して、「彼/彼女は自分だったかもしれないのだ」という感覚は樹木希林も同じようなことをどこかで言っていて。彼女がどんな媒体でそれを語ったのかもう思い出せないのだけど、「そう思うのは自分だけじゃないんだ」とずいぶん救われたのを覚えている。

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