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大人になれば 36『徒然なる・賭け・レンガ』

夏らしくなってきましたね。
今は正確には五月二十七日水曜日午後九時半。
締切をとっくに過ぎて、ネオンホールのカウンターでこの文章を書いています。ナウです。

大人のリゾート鉄道・田原さんがとなりに座ってパソコンをのぞきこみ、「あのう、ほら。読んでいるうちにあたかもBGMが聴こえてくるような。そんな文を書けないのかね」と尋ねられました。なんだか宮澤賢治のセロ弾きになった気分。

「むずかしいのはこれをたくさん続けたのがあるんです」
「つまりこうだろう」セロ弾きはまたセロをとって、かっこうかっこうかっこうかっこうかっこうとつづけてひきました。
(セロ弾きのゴーシュ)

文章でBGMは鳴らせないけれど(村上春樹ならできそうだ)、今は田原さんが持ってきたSTAN GETSのアルバム『GIBEROT』からPra Machucar Meu Coracaoがホールに流れています。知らない曲だけど、なんとも夜な感じ。

後ろでは金工作家・角居さんの『夜の美術部』が開かれていて。みんなで絵を描いているはずなんだけど、「悪魔教だ!悪魔がやってくる!」「めえー」「めえー」と言い合っている。いったい何をやってるんだろう。

おれだ!おおきいやぎのがらがらどんだ!
(三びきのやぎのがらがらどん)

いい感じのやぎの絵があったので一枚もらう。しかし悪魔教とは何だったのか。

美術部に参加していた夏海さんから「大人になればのイラスト描けたー」と声が上がったので見にいくと、煙草と角居さんとかき氷の絵が。いつもは文章先行なので、初めてのイラスト先行。どんな風になるんだろう。楽しみ。

煙草の絵にはわけがあって。
ジンジャエールを飲みながらカウンターでぼんやりしていたら、哲郎さんと禁煙勝負をすることになったのです。なぜか。
きっかけはいつもの哲郎さんの軽口だったと思うけれど。

賭けというものは不思議なもので、一方的な押しつけでは成立しない。互いがそれを強く望み、この世に生み出そうという意志があって初めて賭けは成立する。賭けは無から生まれる。ぼくは賭けがもつ無から有への転換とその純粋性が好きだ。

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ」。こうして、光があった。
(旧約聖書 創世記)

ぼくが負けたら(吸ってしまったら)、TC ELECTRONICの『Flashback X4』を哲郎さんに進呈する。
哲郎さんが負けたら、オール新曲でソロライブを開催する(八曲を予定)。おお、聴きたい。しかし、Flashback X4ってなんだろう。
「エフェクターです。ループとかもできて。空間系の。欲しかったんです。やった」。説明をきいてもよく分からない。勝てばいいのだ。今年の夏は皆でビールを飲みながら新曲ライブを観れますように。

哲郎さんといえば、一緒に『わが星』を観に行った。
再々演となるこの演劇はDVDで何度も観ていて、その度に胸を打たれていた。

刹那と永遠。宇宙と家族。言葉と音楽。ミクロとマクロが伸びて縮んで渦を描く。熱量が集約されて集約されてゼロになる。ずっと画面の向こうにあった何かを今回の再々演で体験することができて嬉しかった。

『わが星』ではアフタートークも印象的で。
ぼくが観た回では天文学者の方がゲストだったのだけど、彼が言った言葉はとても印象に残った。正確ではないかもしれないけれど、ぼくはこんな風に覚えている。

「自分は宇宙について研究しているのですが、研究者たちの成果が人類全体の財産となるのは、それを受け止めて何か別の物、たとえば劇や音楽にアウトプットされたときだと思います。そうなって初めてレンガを一つ置くことができたと思えるんです」
天文学者・平松正顕さん

ぼくはとても納得した。
幾層にも積み上げられた長いレンガが見えた気がした。
古い苔むしたレンガから新しいレンガまで。

たとえば地球が丸いこと。
たとえば染色体が螺旋を描いていること。
たとえば胎児は進化の過程を辿ること。
たとえば縄文人が生命力あふれる土器を作っていたこと。
たとえば宇宙は広がり続けていること。
たとえばぼくらは星の欠片だったこと。

ぼくは思い描く。

死ぬことや生きることやここにいることやいずれいなくなることや伝わることや言い表せないことや終わることや終わらないことや夏が来ることや夏が終わることを。

稚拙でも何かを書く。こんな文章や短い小説や戯曲を。
それは誰かのレンガの上なのだ。
いつかの誰かが置いてくれた幾層もの。

執筆:2015年5月28日

『大人になれば』について

このコラムは長野市ライブハウス『ネオンホール』のWebサイトで連載された『大人になれば』を再掲載しています。


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