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大人になれば 18『夏の終わり・忘れること・ハムレット?』

夏が終わります。
さみしいです。
もうこれは辞書に載せていいのではないだろうか。
【さみしい】夏が終わること。

ぼくは別にアクティブに野外で遊ぶタイプではないし、皆で夏を謳歌するような人間でもない。BBQだってきらい。というか苦手。というか居場所ない。というか星人。河原にテントを張って二、三人で焚火する方がいい。したいなー焚火。

そんなぼくでもやっぱりさみしい。
なんでだろう。
考えてみる。

スイカ、縁側、短パン、サンダル。
ビール、昼寝、図書館、プール。
花火、木陰、アイス、入道雲。

大好きだ。
書いてみて、好きなものが小学生時代からほとんど変わらないことに気付いた。もしかしたら、この「好ましさの継続」が大人になっても夏を好きでいる秘密なのかもしれない。
大発見だよ、かえるくん。

元から物覚えが悪かったぼくは最近何でも忘れる。よかったことも、わるかったことも、悲しかったことも、切なかったことも、好きだっだことも。そのうちに自分は空っぽになるんじゃないかと思うくらい。

でも、夏について思い浮かぶ幾つかのものたちと、その鮮明さはきっと忘れない。それくらい夏って鮮明だ。さみしいです。

そんなぼくにとって八月二十三、二十四日にネオンホールで上演された『ハムレット?』はこの夏の終わりを象徴するものでした。

演出家・西村和宏さんと香川県四国学院大学演劇コースの学生六人、長野の若者十人が十日間の稽古で作り上げた『ハムレット?』。
友人や知人が多数参加していたいうこともあって、稽古が始まってからも何だか身近な存在として感じていたのですが、甘くなかったです。演劇、あまくない。舞台を観たらやっぱりやられました。

舞台は二部構成。問題はその二部。
ハムレットとオフィーリアを煮詰めて・疑って・突き放して現代という器にぶち込んだ『Hamlet/Body』。

一言でいうと、「世界って一枚剥いだらこうでしょ?」とずーっと繰り返されている気分でした。
知ってるんです。
皆もだいたい知っています。世界ってそうだって。

友人たちと大笑いした後に家に帰って一人、自分はこの世にいる意味があるのかと思うことだってあります。
安い居酒屋で「社会なんてくそだ」と友人と罵っている自分もその社会を構成している一員だということも知っています。

知っている。
ただ、見たくないんです。ふつうは。

ベッドの底から不穏な気配を感じるとして。
もしかしたらマットレスをめくったら何かが蠢いているかもしれない。本当のことを知るためにはちゃんと見るべきかもしれない。
でも、ぼくらはそのベッド以外の選択肢がなかったとしたら。たとえば監獄の囚人みたいに。
マットレスをめくらないで、知らないふりをするのもひとつの選択肢ではある。不穏な気配を感じながら。
ぼくたちはだいたいそうして生きている。

でも、開けるんです。『Hamlet/Body』では。
否応なく。目の前で。演劇がもつ暴力的な仕組みの力で。
頼んでないのに。

舞台への登場時、「自分はどのように生きてきたか」を等身大で述べた若者たちが、観客の手が届くすぐ先で汗をぶんまわしながら狂騒と光のダンスを踊っている。まるで足を止めたらそこにはいられないかのように。
再生産を繰り返す音楽、自分など存在しない群衆、止むことのない狂騒の中、荒い息で一人抜け出しては台に登り、それぞれが抱えた闇を叫ぶ。どこにでもある、孤独な、その者だけが持つ闇。臓腑の匂いがするような。

闇を叫ぶその一瞬だけ、彼らは個人に戻る。深刻な息継ぎのように、助けを求めるかのように。
生きているのに死んでいること。諦め、怯え、焦燥。何者でもない自分、世界に拒絶される自分、自分に拒絶される自分。二十五歳の自分。沈没する船からのような叫び。

彼らは交換可能な存在であり、つまりはぼくたちなのだと知る。叫び終えた若者はまた群衆のダンスに溶けていく。沈みゆく狂騒の大型客船への絶望を抱えながら。

闇と光、群衆と個人、熱狂と孤独、狂騒と絶望。

相反するものが、矛盾するものが、舞台の上で熱量の目盛を少しずつ上げていく。どこにも行けないのに。
その目盛の精巧な上げ方が実にいやらしくて、演出家って悪い人間なんだなあと思う。

そんな現代において、ハムレットは悩むことすら保てず、世界を疑い、自分を捨てる。悲劇の恋人であるべきオフィーリアは「どうすりゃいいのよ!」と狂笑する。
世界の皮をめくられた舞台では物語であることすら奪われてしまう。ぼくたちはハムレットを観にきたはずなのに。

どれだけ眩しげな音楽が鳴っても、どれだけ若者たちが狂騒のダンスを踊っても、どれだけハッピーと叫んでも、どれだけメディアが声高に正義を叫んでも、声を上げれば上げるだけ、目盛が上がれば上がるだけ、比例して違和感が高まっていく。熱いはずなのに氷が見えているような。
観客たちは「何かがおかしい。何かが変だ」と肌で感じる。心が悲鳴を上げ始める。

ぼくは「知ってる!開けなくていいってば!」と胸で叫びながら、目の前の演劇に顔を掴まれる。見ろ、と。
だってお前はベッドの底を開けなかっただろう?

知っている「つもり」で蓋を開けなかったのに、無理やり力づくで見せられるこの仕打ち。しかもそこに答えは用意されていない。あるのは日常への帰り道だけ。煉獄編か。

まったく演劇ってやつは。
すごかったです。

執筆:2014年8月28日

『ハムレット?』のリレーインタビュー

ネオンホールによるリレーインタビューに登場させていただいています。よかったらこちらもご覧ください。

『大人になれば』について

このコラムは長野市ライブハウス『ネオンホール』のWebサイトで連載された『大人になれば』を再掲載しています。


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