「大人なんて信用できないぜ」という気分を捨てきれないまま気づけば大人になってしまった。
世代論は好きじゃないけど、共通体験によるハイコンテクストは世代の土台になるとは思っています。
「HPが残り1でスライムにあった気分」
「精神と時の部屋かよ」
ぼくと同世代にはこれで通じるんだから。ファミコン、漫画はおれたちの文脈だぜ!分からない奴はお呼びじゃないぜ!と心の底で思っていたのです。この40年。言わなかったけど。
それがハッと気づいてみたらゲームは全然やらないし、動画コンテンツはほぼ見ません。TikTokすら見ていない。何ならラジオを聴いている。今の10代20代と共有できるコンテクストなんてほぼない。今までずっと「こっち側」にいるつもりでしたが もう明らかに「あっち側」の人になっている。
「PS5を手に入れて、ゲームやりまくりで忙しいです ♡」とご満悦の会社後輩Kくん(30代前半)に、「これって、もうぼくはあっち側の人間ってことだよね…?」と見苦しく聞いてみると、重々しい顔で「残念ながら…」と宣告されました。
「大人なんて信用できないぜ!」という気分をずーっと捨てきれなかった48歳でしたが、いよいよもう「大人です。はい」と言わざるを得ない。くそう。
でもいいんだ。大人には大人の楽しみ方があるんだ。それは分かっているんだが、「大人なんて信用できないぜ!」の気分は中々捨てられない。困った。
世の中の大人たちはどうやっているんでしょうか。特に、「大人なんて信用できないぜ!」の気分はどのように対応されているのでしょうか。ぼくは未だに子どもの入学式や卒業式に行く度に思っています。だって噓ばっかじゃん。(地が出る)
ぜひご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。
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