通奏低音のように。
2013/01/10
昨夜遅くに新聞記者の方に「原発事故以後で生活が変わったことがありますか?」と取材的に聞かれ、はたと困った。
友人と語り合ったり、デモに参加したり、講演会に足を運ぶようになったが、それはぼくにとっては結果に過ぎなくて。
おそらく記者の方が望んでいるような回答ではないかもしれないけれど、「原発が崩壊していることが暮らしの一部となったこと」がぼくにとっての最大の変化だ。
それはぼくの名前が稲田英資であるように、朝おきたらベッドから出るように、それだけ取り出すわけにもいかないし、なかったことにもできない。
さまざまなことがらの積み重ねを暮らしというのならば、東京電力原発事故以後、ぼくの、家族の、友人の、日本中の暮らしが「原発が崩壊していること」を基盤として成立するようになった。
ぼくたちが毎日寝たり起きたり、笑ったり泣いたり、人を好きになったり愛しさで胸がいっぱいになったり、音楽や映画に感動したりしている暮らしの足元をふと見ると、そこにはいつでも離れることなく「原発が崩壊していること」が横たわっている。それはどんなときでも消え去ることがない。通奏低音のように。
それがぼくにとっての東京電力原発事故の以前・以後だ。
この通奏低音はたくさんのことをぼくに思い起こさせる。
原発事故が収束していないこと、一年半もたった今も避難所生活している方たちがいること、事故現場で収束を目指している方々のこと、除染作業に関わる現場の人たちと発注側の格差のような復興システムのいかがわしさ、政治や経済・産業システムのいかがわしさ、戦後六十年かけて作り上げてきた日本人の価値観、日本人が衆議院選挙で選択した結果、まるで「もう終わったことさ」のような日本の雰囲気について、これからの・今のエネルギーについて、デモに参加することについて、友人と語り合うことについて、食べ物について、子どもについて、十代の友人たちのフラットな疑問と怒りについて、マブソン青眼さんの怒りについて。ぼくが共犯者であることについて。
これらは全て、事故以前はなかった。
あったけれど見ないふりをしていたこともあるし、まるでなかったこともある。
でも、今は毎日どんな暮らしをしていようとも低音部の旋律が流れ続けている。
ぼくは考えなくてはいけない。思い起こされることについて。見えてしまったことについて。
いつかは慣れてしまうんだろうかと恐れながら。
そしてときおり声をあげたり、デモに参加したり、友人と話したり、もういやになったり、憤ったり、悲しくなったりしている。
もしそれを生き方というのならば、生き方が変わったのだ。
たとえ具体的な変化・アクションがなかったとしても。好まざるにせよ。
「原発事故以後で生活が変わったことがありますか?」の問いから、ぼくはずっと考え続けている。
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