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「もう、そういうのはいいよ…」と思った選挙特番と、爆笑問題の太田光批判について。

昨日の夜8時から各局の選挙特番をザッピングしながら見ていたのだけど、どの番組も心が疲れる気がして、9時台にはNHKに落ち着いてしまった。NHKの「何もやらなさ」「伝えるだけ」がちょうどよかった。

何でだろうと思うに、ぼくはもう選挙をショーとして見たくないんだな…と気づきました。

そもそも選挙がショーの性質を内包していることを否定しないし、そういうものだと思っているけれど、そこに焦点をあてた番組をどうやらぼくはもう観たくないらしい。悪役もいらないし、人情話もいらない。意識の低い若者をわざわざ見つけてくるのもいらない。コメンテーターの鋭い見せ所もいらない。

テレビ番組の作り方としては正しいかもしれないけれど、何というか、心がどんどん疲れていく。ぼくは何を見せられているのだろう?と思う。

悲喜こもごもが起こる『選挙』はそれだけで充分にドラマであって、作り手たちにとっては腕の振い甲斐がある素材かもしれないが、ぼくは見ていて辛かった。うまく言えないけれど、「もう、そういうのはいいよ…」と思った。40代後半で年を取ったからそう思うのか、世代関係なくそう思うのかは分からない。

でも、久しぶりの選挙特番を見て思ったのは各局共通して「もう、そういうのはいいよ…」という気分でした。ぼくだけなのかしら。

爆笑問題の太田光の批判について

爆笑問題の太田光が出ている選挙特番も観たが、確かに辛くてすぐチャンネルを変えてしまった。何度かトライしたがダメだった。

でも、無礼だから云々は筋違いだと思う。ぼくはショーとしての選挙をもう見たくなかったのでチャンネルを変えたけど、太田光はプレイヤーとして与えられた役割を懸命にやっていたように見えた。それが好きかどうかは別の話だけど。

太田光はプレイヤーである自分を全うしたのだろうし、全うすればそうなる。それが嫌なら太田光の位置にはプレイヤーではなく、ファシリテーターを置くべきで。それはキャスティングの話であり、番組の制作方針の話になる。

「太田光が不快だ」と批判するのは分からなくもないけれど、そもそも彼はそういう人物であり、彼の特性でもある。「リンゴが赤い」と批判する奇妙さがそこにはある。

「リンゴが赤い」の批判が成立するとしたら、相応しくない席にリンゴを置いたプロデューサーが悪い。今も昔もリンゴは赤いし、これからも赤い。

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