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森田真生さんの『数学の演奏会』

数学者・森田真生さんの『数学の演奏会』に子どもと一緒に行ってきました。
端的にいって、最高に面白かったです。

「ぼくたちは世界をどうやって現出させているのか?」を基軸に、Mathematicsの由来と成り立ちから、言葉、哲学、宗教、粋と話は多岐に渡って。
すごいすごい。縦横無尽とはこのことか。

二時間ぶっ続けの話を聞きながら、この人は「世界とは何か/人間とは何か」という問いに深い深い興味を抱いているんだなあ…としみじみ思いました。

印象に残った話のひとつに「なぜ哲学者は世界を理解しようとするのか」というフレームで、「哲学者が一方的に世界を知ろうとしているのではなく、世界が哲学者を魅了してくるからです。空海には世界がそう見えたんですね」(意訳)といった内容があって。
それを聞いたときに、とても腑に落ちたと同時に、これって森田さんのことでもあるよなあと可笑しかったのでした。

世界の媚態にぞっこんになって、その人のことばかり考えて、冷たくあしらわれてもそれでも考えて。
交わることのない永遠の平行線も理解した上で、それでも考えて、関わって、親密になって。
平行線の上で死ぬまで遊ぶ。
遊びだから楽しい。遊びだから終わらない。

今日は中一長男と小三末っ子も連れていき、長男はまだしも末っ子は二時間は辛いかもと心配していましたが、途中ゆらゆらしているところはあるものの総じて面白かったようです。
へええと意外だったけれど、それはそうだ。
目の前ですごーく楽しそうに遊んでいる人が情熱的に話しているんだもの。こんなに説得力のあることもそうない。

「話している内容はよく分からなくても、楽しさや熱意は伝わるものだ」と前々から思っていることが目の前で起きて、個人的にも嬉しい出来事でした。
末っ子は終わった後のアンケートもぎっしり書き込んでいて感心しました(ぼくはアンケート苦手なのです…)。
たぶん人生初アンケートなんだろうな。

怒濤の二時間が終わって、中一長男に「すごかったね。面白かった」と話すと、頷きつつも「量が多くてふらふらする」と。
確かにすごい情報量だったので、「本一冊が猛スピードで頭の中に入ってきたみたいだったね」と返すと、しばし考えた末に、「手塚治虫の『火の鳥』と『ブッダ』を一気に読んだみたい」との返事。

「おお…。それはぼく的に今日一番のレビューだ…!」と感心しながら、親子三人、若干ふらふらしながら帰路についたのでした。

(帰りに本屋で『数学する身体』を買い求めました。わくわく)

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