シッダールタ

『ぼうずまるぼうず』男性編の稽古を一度だけ観せてもらった。おかしくもかみ合わない対話の中に透かし絵のように何かがあるようで面白かった(哲郎さんが哲郎さんで非常に面白かった)。まだ台詞も覚えきれてない段階だったから、あれが本番ではどこまでいってるだろう。ぼくはどんな透かし絵を見るんだろう。楽しみ。

稽古見学帰りに古本屋をのぞいていたら、ヘッセの『シッダールタ』が目にとまった。脚本・演出の柴さんがせっかく善光寺の地でやるんだからということと、以前から原始仏教に興味があったということで『ぼうずまるぼうず』の戯曲を書き下ろしたと何かのインタビューで言っていたのを思い出す。ヘッセは十代のときに『車輪の下』を読んで暗いなあと思った記憶しかないけれど、こういう偶然は素直に従うことにしている。

本はとてもよかった。高校生の自分は何を読んでいたんだろうと思うくらいよかった。求道者の物語であり、宗教的体験の告白であり、何よりまっすぐな青春譚だった。切実で、手触りがあって、美しくて、愚かで、シンプルで、猥雑で、大きな円を描いて。

求道者は捨てる人だ。家族を、友人を、自分を捨てる。大いなる悟りを得るために。それはとてもエゴイスティックな振る舞いでもある。

解脱するために、悟りの境地に達するためになすべきことがまずはエゴイスティックな振る舞いになることが、ぼくはとても好きだ。そこには何かしらの二律背反性がある。奇妙にねじれた。

『ぼうずまるぼうず』での主人公とコンビニの店長との対話をぼくは愛する。あそこにある衝動と誠実さと利己的な振る舞い。ぼくは彼が好きだ。家族は本当に大変だろうけれど。

「彼は見た。この水は流れ、流れ、絶えず流れて、しかも常にそこに存在し、常にあり、終始同一であり、しかも瞬間瞬間に新たであった! ああ、これをとらえ、理解するものがあったら! 彼はそれを理解し、とらえはしなかった。ほのかな感じ、はるかな記憶、神々しい声が動くのを感じるばかりだった」
ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』


20151025

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