見出し画像

「イヤダカラ、イヤダ」

いやだなあと思ったら、「なんかもういやになっちゃった」と口に出すのはけっこう大切だと思う派です。

子どもが保育園に入るときのアンケートで、親の教育方針を書く欄があったのですが、「嫌なことは『イヤだ』と言える子にしたいです」とだけ書きました。小さな子がこれから生きていく上で大切なことだと思って書いたのですが、大人になっても生きていく上で大切なことだと思っています。

「なんでいやなのか」という説明もできるなら越したことはないと思いますが、「説明できなければならない/しなければならない」ということではないと思っています。

「いやだ」という気持ちは大切な価値観だし、重要なアラートです。それにフタをして、自分が潰れてしまったら元も子もありません。「いやだ」だけで充分。

余談ですが、内田百閒の「イヤダカラ、イヤダ」はとても好きな逸話です。ぼくは20代のときにこの逸話を読んでとても勇気づけられました。百閒特有のへそ曲がりの頑固ジジイ具合が知人や門下生たちには愛されたらしいから、それもまたカッコいいのですが。

1967年12月、日本芸術院の会員候補になったことを知った百閒は、教え子多田基に小さなメモを渡し、同院の高橋誠一郎院長に伝えるよう命じた。メモには「御辞退申シタイ ナゼカ 芸術院ト云フ会ニ入ルノガイヤナノデス ナゼイヤカ 気ガ進マナイカラ ナゼ気ガススマナイカ イヤダカラ」とあった。
http://www.minazukiukon.com/hitorigoto/hitorigoto_2/iyada/iyada.htm

そういえば先日、子どもが通う小学校からのアンケートで、「学校に望む、お子さんへの対応をお選びください」との項目で、「地域の人に挨拶する子になる/ゴミを拾う子になる」など10の選択肢があったのですが、どれも別に望むことではなく、自由記入欄に下記のように書きました。

「基本的人権の大元を理解して、自分も他者も同じ権利を持って生きていくことを肌で感じてほしい。自分も他者も同じように大切な存在なんだということを日々の生活で体験してほしい」

学校側に望む、小学生への対応って、これがほとんど全てですよね。これを軸に6年間過ごせれば、あとは何とかなる。

そういえば、長男が高校入学時のPTAで各家庭の教育方針を個々に発表する場があって、あれは地獄だった…

第一子が生まれた時に妻と話し合って、親としての自分たちの方針は「18歳まで生き延びさせること」と決めてあるので、それだけ言ってダッシュで末っ子のお迎えに行きました。ポカンとされたなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?