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コロナ禍と鴨長明『方丈記』

戦争を描いた作品に触れる度に「その時代に生まれたことの悲劇」をぼくはぼんやり考えていた。

その点では太平洋戦争も百姓一揆も鴨長明『方丈記』もあまり変わりはない。

ぼくのような多くの名も無き人々が有無を言わさずに巻き込まれる「時代」だったのだ。

そう考えていた。

そんなぼくが今、新型コロナウイルスを前に、初めて「こういうことだったのか」と実感している。

鴨長明『方丈記』といえば、無常の悟りを得たような出だしの文章があまりにも有名だけれども

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

以前読んだときに、この流麗な名文よりも、ぼくは下記のいくつかの表現に強く手触りを感じた。

都の大火(安元の大火)

いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で來けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつゝ(しイ)心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。七珍萬寳、さながら灰燼となりにき。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六燒けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が二(一イ)に及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ邊際を知らず。

巨大なつむじ風(治承の竜巻)

また治承四年卯月廿九日のころ、中の御門京極のほどより、大なるつじかぜ起りて、六條わたりまで、いかめしく吹きけること侍りき。三四町をかけて吹きまくるに、その中にこもれる家ども、大なるもちひさきも、一つとしてやぶれざるはなし。さながらひらにたふれたるもあり。けたはしらばかり殘れるもあり。又門の上を吹き放ちて、四五町がほど(ほかイ)に置き、又垣を吹き拂ひて、隣と一つになせり。いはむや家の内のたから、數をつくして空にあがり、ひはだぶき板のたぐひ、冬の木の葉の風に亂るゝがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたゞしくなりとよむ音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄の業風なりとも、かばかりにとぞ覺ゆる。

大地震(元暦の地震)

また元暦二年のころ、おほなゐふること侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれた(ぬイ)る間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけるとぞ覺え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみにはたけきものも耻を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。

都の大火(安元の大火)、巨大なつむじ風(治承の竜巻)、大地震(元暦の地震)による甚大な被害の描写。為す術もなく見ている鴨長明。

無常をうたう流麗な名文よりも、まるでノンフィクション作家のような生々しい災害の描写にぼくは鴨長明の体温を感じたことを覚えている。

彼はきっと何もできなかったのだ。
しかし、彼は潜り抜けた。

*  *  *  *  *

コロナ禍は乗り越えるだろう。
ただ、ぼくたちは時代の渦を潜り抜けなければいけない。

例えば太平洋戦争(1941〜45)で考えると、1920年生まれと1950年生まれでは人生が大きく違う。’20年生まれの方々は人生を大きく揺さぶられた。

ぼくは’74年生まれで、長女は’04年生まれだ。
全くの妄想だけど、たぶんぼくたち世代はこれから大きく揺さぶられる。
焼け野原を経て、次世代が主役になる。

きっと、これから大切になるのが「それでも生きていく」という気持ちなんだろう。

歴史の渦に翻弄され、「明日どうなるか分からない」「積み重ねてきたものがダメになる」という状況で(この感覚は多くの世代が初体験のはずだ)、「それでも生きていく」というマインドがとても重要になる。のだろう。

鴨長明が過ごした800年後の今、ぼくはそんな風に思っている。

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