見出し画像

情報を発信すること、受け取ること

私が制作を担当する生活情報紙は、

1)情報を収集

2)今、それを載せなければならない&載せたい特別な理由がある、読者に有益な情報かを選別

3)当初流れて来た情報に、プラス記者目線、あるいは媒体(情報紙)独自目線の情報をもらう(取材、写真撮影)

4)読者のだれもが分かりやすく読める記事を書き、見やすいよう、あるいは人目を引くよう見栄えよくレイアウト

5)編集長のチェック&指摘された部分を修正

6)取材先に記事校正を送り、書いた情報が間違っていないかどうかチェックしてもらい、何度か修正をした後(もちろん、一発OKの場合もある)、校了をもらう

7)ページ全体を組んで、何人かのチェックを経た後、ようやく校了(それでもミスはある時はある)

8)印刷

9)配布され、読者の手元に届く

ネット(SNSもしかり)のスピード感には全く追いつけないのは、いたしかたがないのだが、決定的な違いは、読者の手元に届けられる情報が、精査され、確実に裏を取った情報だということ(時々ミスってしまうことがあったとしても)。そもそも、媒体そのものが明確なコンプライアンス(法や倫理的なルールを守ること)を持って運営されている限り、1)情報収集にあたって、載せてはいけない情報が上がることはない。

新聞もチェックがあるにもかかわらず、取材し原稿を書く記者と見出し(タイトル)をつける担当者が違い、取材先の校正(チェック)もないため、時々、取材先が意図しなかったようなタイトルがついて酷い誤解をされた、というケースはよく耳にする。

また、書き手がどんなに分かりやすく書いたとしても、読み手側の受け取り方は人それぞれで、誤解が生じてもしかたない部分も当然ある。それを見越して書き方を常に試行錯誤しているのだ。(特に、プレゼント応募一つとっても、簡単な指示通りにしない人が必ずいる)

ネットは、手軽にだれもが簡単に、スピーディーに情報を流せる便利さがある。大きな印刷機を持たなくても、会社組織にしなくても、しかも大した費用もかけずに、数秒後には自分の言いたかったことを世界中に発信できる。裏を返せば、公に流して良い情報か否かの訓練を何も受けていない人が流した、全く誰のチェックも受けていない、なんのウラも取れていない、そんな情報が氾濫しているのだ、恐ろしいことに。

また、情報を受け取る側の読む力も低下しているとか、衰えているとか言われている。それによって、意図しなかったように捉えられることもある。(政治家は、よくそれを言い訳に使うけど、それとはまた違う)

だからネットを信用してはいけない、というのではない。利用する際は、ネットはそういう無法地帯だということを改めて理解しておく必要があるし、何が正しくて、何が違うのかを嗅ぎ分ける力は、備えていたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?