出産の記録

7月末に次男を出産する予定なので、4年前の長男の出産について思い出して書き留めておきたいと思う。

出産3日前

27週から切迫早産で自宅安静(寝たきり&入浴は3日に一回)だった割に予定日一週間前になってもおしるしも無ければ前駆陣痛もよくわからない感じ。
「こんなことならそこまで厳重に安静にしなくても良かったのでは?」と思う。
世の中には出産に関して色々とジンクスがある。
エナジードリンクを飲むと産まれるとか焼き肉を食べると産気づくとか。
出産したらどうせゆっくり焼き肉なんか行けないだろうと、夫と2人で近所の牛角で夕食。
確か、ちょっといいお肉を食べた気がする。壺カルビとか。

出産2日前

昨日焼き肉を食べたが何の予兆もない。
昼前から散歩に出て、一駅歩いて昼食を買って家に戻る。
往復2時間ほど歩いた。
自宅安静で寝たきりだったせいか、ちょっと歩くとすぐに疲れる。
妊婦が2時間も歩いたらそれだけで疲れるような気もするが。
その日は確か腰や下半身が鈍く痛かったような気がする。

出産前日

朝7時、耳元で突然高めの子どもの声で「いっくよー!!」という掛け声がする。
ほぼ同時に「プツン」とお臍の下辺りで何かが弾けるような音がした。
「夢か!」と思って起き上がる。
特に何も変化はない。
とりあえずトイレにいくと、なんとなく尿ではない何かが漏れている感覚がある。
ちょろちょろレベルだけど止めようと思っても止まらない。
トイレットペーパーで拭いて匂いを確認すると嗅いだことのない生臭い匂いがした。
「破水や。」
隣で寝ている夫を起こす。
「破水したっぽいし病院行くから着替えて。とりあえず病院に電話する。」
この日は平日だったので夫は出勤予定だが、休んで付きそうことに。
病院に破水したっぽいと電話をかけると、とりあえず入院グッズを持って来院の指示。
ナプキンをあてて入院グッズを再確認し、車で2分ほどの産院に向かう。
8時過ぎには病院に到着。

内診で確認すると、やはり破水。
そのまま抗生物質の点滴を付けて入院が決定。
陣痛が来るまで個室の病室で様子を見ることになった。

12時、お腹の張りはあるものの30分以上間隔が開くなど全然陣痛らしき痛みはない。手につけた点滴が邪魔だなーと思いながら病院で昼食。
夫は一旦家に帰って洗濯物や自分のご飯の買い出し、ペットボトル飲料を追加で用意するなどしていた。
私は実母に連絡。仕事が終わり次第産院で合流するとの返事。

17時、この辺りから腰や尾てい骨が痛むような陣痛が始まる。
陣痛の合間にご飯を食べる。
まだ喋る余裕はある。
陣痛中は痛い。テニスボールをあてて押してもらったりするが痛い。

18時、陣痛の感覚は5分。
痛くて陣痛中は話すのが苦痛。
しかし陣痛が収まると会話できる。
常時痛いわけではないのが不思議な感覚。
時々助産師さんが内診しに来てくれるが、まだ子宮口3〜4cmくらいとのこと。

22時、状況変わらず。
この辺で確か促進剤を点滴した。
もう結構疲れてきている。
仕事を終え、家で夕食を済ませた母が軽食を持って合流。
夫は一度帰ってご飯を食べてシャワーを浴びることに。
交代して母に腰を押して貰う。
夫より母の方が力加減が強く、押す場所が的確なように思う。

23時、ようやく子宮口7cmといわれLDR(分娩室)へ。
日付は変わるけど夜中のうちには産めるかな?
あと2時間くらいかななどと思いつつ陣痛に耐えていた。
※今アプリの記録を見ると、この段階でも4〜7分間隔の陣痛

分娩室で担当になってくれた助産師さんはものすごく冷静な人で、
「うーん、まだまだかな。」
「はい、いきまないで。息吸って、吐いてー。」
と、痛みでぎゃあぎゃあ騒ぎ立てている私とは対象的に感情の波が全くなかった。

出産当日


0時を回った頃に時計を見て、「おいおい全然進んでないやないか!!!」と絶望しそうになる。
陣痛の間隔は2分。
陣痛の合間に必死に息を吸うがうまく入ってこない。
夫がうちわで仰ぎ、母が腰を押すなどしてくれる。

「頑張って!」
「お母さんになるんでしょ!」
という母の言葉に対して
「もう十分頑張ってる!!!!もっと褒めて!!!!」と大声で叫ぶ私。
クールな助産師さんがちょっと笑う。

「すごい上手に逃せてるよ!」
「初めてとは思えない!」
など、よくわからない言葉で褒め始める夫と母。
飲んだポカリスエットが飲み込めず吐いていると、
「この機械(NST)高いから、吐くなら袋にねー。」とクールな助産師さんから注意される。
「この人毎日こんな修羅場くぐってるのか?!目の前でこんなに悶え苦しんで吐きながら喚いている人間に冷静に指示が出せるメンタル凄すぎる。」
そんなことを思いながら助産師さんが一番頼りになるなと感じ始める。
夫も母も疲れ始めていた。

最後の陣痛アプリの記録は3時17分。
この頃にはもう子宮口は全開になっていたはずだ。
LDRの時計が3時を回っているのを見て、「分娩室に入ったらすぐ産まれるんじゃなかったのか!」とまたもや絶望した気持ちになったのを覚えている。
1〜2分間隔で休みなく絶え間なく容赦なく襲ってくる陣痛。
それに合わせながら何度もいきんでと言われていきむ。
NSTで次の張りがいつ来るかわかるようになり、最初はその波に合わせていきむことが出来ていたが、段々と体力が奪われて意識が朦朧としてくる。

今50万払ったら、一度陣痛を止めてゆっくり寝てご飯を食べてお風呂に入る時間を買えると言われたら即座にYESと答えるだろう。
お願いだから一回休ませてほしい。
拷問って眠らせずに絶えず痛みを与えるらしいけど、まさしくそんな感じ。
身体を右に向けても体勢を変えてもどんなにいきんでも全然出てくる気配がない。
この辺で一度失禁して尿道カテーテルを入れられる。
もう恐怖が全身を支配している。
夫も5時を回った辺りから、このままだと何をしても産まれないんじゃないかと思っていたらしい。

「もう切ってー、出してー。」と断末魔のように叫ぶ。
「大丈夫大丈夫。切ったらもっと大変だよー。頑張ろ。」クールな助産師さんの名古屋弁のようなイントネーションの励ましに涙がボロボロ溢れる。
だってこんなにいきんでいるのに全然産まれない。
ずっと痛い、苦しい、股が熱くて裂けそう。
もう何時間これをやっているのか!?気が狂いそうだ。

今書きながら、あの時の陣痛の壮絶な痛みを思い出すことができない。
もう二度と産むものかと思った、あの痛み。
4年経つと忘れてしまう。
忘れていないのだけど、リアリティを持って思い出すことができない。
そのくらい人生で味わったことのない異様な痛み。
ハンマーで腰を殴られて何度も砕かれながら、内臓を象に踏み潰されているような痛み。
陣痛そのものの痛みも壮絶なのだけど、お産が全然進んでいないこと、出口が全く感じられないことが私を精神的に追い詰めていた。
いきまないと産まれない。
いきまなくてものたうち回るように痛い。
陣痛が来るのが怖い。
もう耐えられない。
私が泣く気力もなくした頃、分娩室の扉が開いて白衣の先生が入ってきた。
外は明るくなっていて、先生がぼやーと光っていて後光が射しているように見えた。

吸引分娩

7時、「赤ちゃんの心音が弱ってきているので、吸引しましょう。」
先生が助産師さんと私に話かけ吸引分娩の準備が始まったようだった。
その間も陣痛はやってくる。
吸引という言葉を聞いて「もうなんでもいいから早く出してくれ。」としか思えなかった私の精神がほんの少しだけ息を吹き返す。
「吸引ができる位置まで赤ちゃんを降ろさないといけないから、頑張っていきもう。」助産師さんが励ましてくれる。
最後の力を振り絞って、もう本当に雑巾だったらカラッカラに干からびているような雑巾から最後の一滴を絞り出すような気持ちでいきむ。
3回ほどいきんだところで、会陰切開をされる。
何の痛みも感じない。
一度目の吸引では出ない。
助産師さん2人に「乗って!」と先生が叫んでいる。
まるで白昼夢のようだ。全く現実味がない。スローモーションの世界。
見たことないけど走馬灯のよう。
私とは全然違う視点から景色が見えているような気がする。
人間が2人がかりで上に乗って下からバキュームみたいな器具で引っ張られて、本当にこんなことがあるのか?
朦朧とした意識の中で、「出たよ。」という助産師さんの声が聞こえた。

出産

7時20分、3204gの男の子を出産。
そう母子手帳の記録にある。
とりあげられた赤ちゃんが泣いているらしいのだが、全然声が聞こえない。
「ガタン!」と後ろ側で大きな音がした。
「旦那さん、大丈夫ですか?」
どうやら夫が壁際でへたり込んで立てなくなったようだ。
私は出産できたことの安堵よりも、陣痛の恐怖と吸引分娩の影響でパニックのようになって、ずっと泣いていた。
写真にも赤ちゃんを抱く夫と母の後ろでわんわんと泣いている姿が写っている。
母はひと晩中お産に付き添ってくれたにも関わらず、7時45分の電車に乗って出勤した。(母が一番化け物並の体力じゃない??)
来ないでと言っていたのに産まれたという連絡を受けて父が産院に来てしまい、本当は立ち入れないはずの分娩室に入ってきて呑気に赤ちゃんと写真を撮影して帰っていった。(デリカシーなさすぎじゃない??)
私はこの辺りのことを一切覚えていない。
ただただ泣いていた。
達成感など感じることなく、早く産めなかったことと恐怖と痛みでひたすらネガティブな気持ちだった。
幸せなお産とか納得のいくお産なんてものとはほど遠くて、自分の思い描いていたお産との落差が大きすぎて気持ちが全然ついていけなかった。

振り返ってみて

お産が進まなかったのは、息子がたすき掛け二重でへその緒を巻いていたことが原因だったそうだ。
頭もちょっと大きめらしかった。
助産師さん曰く「あと1時間いきめたら吸引しなくても産めたかもしれないけど、イナバさんの身体がもたなかっただろうね。」とのこと。
江戸時代とかで吸引分娩や帝王切開の技術がない時代だったら母子ともに死んでいる案件なのでは?
現代の日本の医療レベルに感謝。

バースプランに、へその緒は夫に切ってほしいとか胎盤が見てみたいなどと書いていたのだけど、まぁ一切何もできなかったよね。
というか無事に出産できることが本当に奇跡的。
水中出産とか自宅分娩とか、医療行為が必要なく産める人だけができることで危険だなと思うようになった。
どんなに頑張っても努力しても外部の力でへその緒を外すことはできなかっただろう。
”安産は勝ち取るもの”というスローガンが産院のパンフレットにあったけど、どんなに準備して会陰マッサージや呼吸法を練習していても、自分の力や努力ではどうにもならない理不尽なことがたくさんあると思い知る。

あの金髪のギャルもこんな痛みに耐えたのか。
赤ちゃんをベビーカーに乗せている人、子どもを連れている人を見るとそう思うようになった。
母もこの痛みに耐えて、私含め3人も子どもを産んだのだ。
私の誕生日は母がこの痛みに耐えた日なのだ。
誕生日に祝うべき相手は母なのではないか?
そんな風に思うようになった。

子どもいる人の大半がこの壮絶な痛みを耐えて出産している。
出産した人全員にマジで1億円配るくらいのことをしてもいい。
全然割に合わない痛み。
でも分娩時間17時間はほぼ標準。
友人で36時間陣痛に耐えた子とか、本当に偉人列伝に載せたいわ。

こんな感じで出産がトラウマになった私。
もう産まないと思ってマタニティグッズやパジャマはすぐにメルカリで売り払ったのに、あと二週間以内にまたあの痛みを味わうことになるなんて。
人間ってすごいな。


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