蕎麦屋
家を出てすぐ近く、客が一人もいなさそうだが明かりの灯っている蕎麦屋に入った。いつものおっちゃん二人がマスク越しに元気な声を掛けてくれる。少し悩んでから選んだ食券を渡した。ただのチェーンの蕎麦屋なんだけれど、客との距離感が遠からず近からずちょうど良くて、この近所に密着している感じがある。密着って言葉今は不謹慎なのかな。そんなことはないな。とにかく、時間がない時よくお世話になっている。
「あい、お待たせしました!」と大して待ってもないのに言ってくれて、蕎麦を取りに行くと、お稲荷さんをサービスしてくれた。こんなときにありがとうねというお互いの気持ちが、この2つの稲荷なんだろう。有難い。蕎麦を少しすすってから稲荷を食べた。こりゃやっぱり昼営業の余り物だ。それでも有難いことに変わりはない。一瞬の役目を終えて暇を持て余したおっちゃん達が、コロナとかセンゲンとかジシュクとか、外の世界の恨み節を話し始める。それを聞いていると、なんだか世紀末の最後の隠れ家にいるような気分になってきた。こんなに明るいのに真っ暗な外からは誰も入って来やしなくて、ここは誰にも見えていないのかもしれない。その異様な感じに震えた。春なのに寒くて本当に震えた。
外食するのは躊躇われる。隠れ家的な気分になるのはそのせいもあるかもしれない。それでも今ここにいるのは、営業すると判断したお店への信頼と、こんなに人がいないなら混んでるコンビニで買うより安全だという相対的な判断の結果だ。という言い訳を見透かせば、誰かに作ってもらうということが、誰かと一瞬でも言葉を交わすということが、楽で幸せなだけだ。
冷めて固いかき揚げを頬張っていると、おっちゃんの「この店もやばいかもしんねえな」という嘆きが聞こえたもんだから、またここに来てお金を落とさねば、という気持ちにさせられる。まさかそれが狙いで話してるのかと、苦笑いしそうになった。自分ひとりの食欲じゃこの店は支えきれない。それに、あっちのラーメン屋も支えたいよ。胃袋が足りないや。 他の客が来たのは、自分が食べ終わる頃だった。ネクタイを緩めながらいつもより広い店に入ってくると、先に荷物を置いてくつろぎ始めた。ゆっくり食券を買って「カツ今から揚げるので時間かかります!すんません!」と言われても「はーい」と暢気な感じだ。ここはきっと彼にとっても隠れ家だ。おれのも揚げたてが良かったなと思いつつ、蕎麦つゆに浸したかき揚げを食べ終え、店を出る。自分の「ありがとうございました」が、いつもより店に響いて恥ずかしかった。
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