ひとり

この文章を下書きしたのいつだったろう。先月かな。吐き出しておかないと、今書きたいことが書けなくなるから、今日ここに。少し長くてごめんなさい。
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煮えたぎる不安に蓋をして眠り、自棄的に過ごす。そんな日々を経て、感傷的な朝。BUMP OF CHICKENの飴玉の唄を聴きたくなってorbital periodを再生し始めてからようやく体を起こした。このアルバムは自分にとってのバイブルで良くも悪くもこれに生かされてる。藤原基央を「自然発生的ブッダ」だと解説する記事をちょうど読んだばかりなんだけれど、論理的にも経験的にも説得力があった。

ただね、「見えない神様に僕らは祈らない」ように、彼そのものを神様だと思いたいんではなくてね、信じられる人を見えるところに持ってこそ、自分が生きてることを知れる。それを彼から教わったと言いたいんだ。

でもね、それを実践できているかと言われると疑問符だよ。疑問文どころか否定文だよ。本当に信じられる人を遠ざけて、だからといって自分自身を信じられるわけでもなくて。変わっていくには絶対的な何かを以てして自分を相対化するしないんだけれど、それがないから停滞する。向上心がなくてね、変わりたくもないし誰かを変えたいとも思わない。

いつからやろうね、自分から誰かを誘うということをしなくなったのは。思い出せるのは、向かいの家の男の子にサッカーしよう?って言いにいったこととか、好きかもしれない女の子にご飯行こう?ってメールしたこととか。男の子は照れ臭そうに、ボールを持って出てきてくれたし、女の子にはそういう気持ちにはなれないとかなんとかで断られたよ。何年前の話をいつまで覚えてるんだか。

自分から滅多に誘わないくせにこの人生、そんなに寂しいと思ったことがないのは、とても恵まれているし、コミュニティの選択を間違わずに来れたと思う。出会って去って群れて離れて、結局その繰り返し。

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