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虚しく飛び交う鬼退治、トランプ、ワクチン、戦争とSNS[demon / 作品解説]

今年はフェスでもイマーシブシアターでもない短めの体験作品を逃げBarで何本か作っていこうと思っていて、前回「Known」に続く第二弾となる体験作品「demon」を3/14に発表しました。

(上記はknownの映像)

(上記はdemonの映像Short ver / Full verは本記事最下部へ)

自分の作品解説するのはちょっとなぁと気が引けつつも、体験作品は一瞬のうちに過ぎ去ってしまい再生することもできないので「あれはなんだったの」ということもあるだろうから、今回から解説記事を書こうと思います。

企画背景

demonはよく天国と形容されがちな逃げBarの空間を賽の河原に見立てて、賽の河原地蔵和讃の物語をアレンジする形で展開しました。テーマは「鬼は人の写し鏡」です。非常にシンプル、というか飲み込みやすいかなぁと思います。およそいくつかのアニメや映画作品で描かれてきたことですし、鬼滅で散々リマインドされている事柄でもあります。

それでもこのテーマを扱って体験を作ったのは、昨今のウクライナ事変において自分にできることは何かを考えていた結果でした。緊迫した情勢の直接の支援にはなり得ないですが、そもそもこの戦争を未然に防ぐためにはどうすれば良かったのかを共に考えられればと思いました。

課題と解決の因果が人の手に負えないほど複雑だから戦争が立ち現れるのであって、今回現した1手で予防ができるほど単純なものでないことは承知の上ですが、例えばSNS上で、職場で、家庭で日々起こる小さな戦争が火種となり大きな戦争へ発展していくこともあるのでしょうから、そういった小さな火種が生まれる前に立ち現れてくれる体験になればと思い、作りました。

ましてや先日の震災然り、疫病の禍、世界的不景気の最中、火種になり得る外部環境はいくらでもあります。だからこそいつにもまして火の用心するために、今このタイミングで急遽製作した次第です。

体験設計

上図のように11段階、3sceneの体験を経て問いに繋げます。
今回はWhite Out Festivalという毎年White Dayに逃げBar White Outで催しているフェスティバルの最終演目として発表したので、そのシチュエーションや前の時間からの流れも利用しました。

White Out Festivalの模様

Scene1では刺激的な導入とユーモラスな入り口から共犯へ誘い、Scene2でコアメッセージを発信し、Scene3で日常へ戻し問いへ繋げていく、という設計です。

今回、冒頭の台詞で体験のクライマックスまでを(メタ表現を用いて)ネタバレさせてしまうということをしていたのですが、このメタ表現がやや分かりづらかったかなと思うので、次にこの辺を解説していきます。

demonのメタファー

まず、冒頭のセリフはこちらです。

鏡に映る、消せど消えぬ鬼の面
拭った手は白く汚れた
自律神経ホワイトアウト
淡い焦点に浮かぶ鬼の像
積めない雪は水と流るる
見えない人は朝まで眠る

意訳

鏡を見ると鬼の姿をしていた。消そうと思っても消えはしない。
鬼の面を拭った手は白く汚れていて、頭が真っ白になった。
鬼はぼんやりした視点の集合地に立ち現れるのだろう。
これまで積み重ねてきたものは水となり溶けてしまった。
視点もおぼつかない私はもう朝まで眠ろう。

1つずつ解説していきます。

”鏡に映る、消せど消えぬ鬼の面”

鬼は人の写し鏡であり、それは消すことができない側面です。
鬼が見えた時、それは同時に私(台詞を読む主体)の心が投影されています。

”拭った手は白く汚れた”

白と汚れは一般的に逆の意味を持ちますが、ここでは逃げBar White Outのコンセプトにあわせて「白=潔白、清潔」という印象にアナーキーな立場をとります。ここでいう「白」は私の心の中の正義や、正しいと信じていることを表しており、私はそれに気づきます。

”自律神経ホワイトアウト”

ホワイトアウトとは吹雪で前も見えない状態を表します。前述の気づきからコントロールできない自動的な神経の正義の暴走と、それに連なる全体の雪合戦状態に気づきます。(演目中では鬼に投げる玉が飛び交うシーンを表す)ここで飛び交っている雪玉は賽の河原で積んでいるように「誰かのため」とこしらえたものであり、材料となった紙粘土の軽さと脆さは虚無を表します。

雪合戦はSNS上でトランプ〜ワクチン 〜ウクライナと今でも続いている陰謀論とその他の対立であったり、SDGs的啓蒙や社会化された幸福論、多くの人が「誰かのため」と思ってプレゼントしたつもりで投げている危うい正義のことを指しています。

”積めない雪は、水と流るる”

災害や疫病や戦争を通して投影される私たちの中の鬼。鬼は今世でそれぞれ丁寧に積み上げてきた石(意志)をいとも簡単に崩していきます。積み上げきれなかった私たちは怒りを淡い焦点に映る鬼の像にぶつけます。だけどそれは蜃気楼のようなもので、鬼は実在しません。投げた石は鬼を通り抜けて誰かに当たります。当たった誰かは鬼に投げられたと思い投げ返します。すると別の誰かがまた投げます。存在しない鬼はどんどん巨大になっていきます。それがこのホワイトアウトした世界の幻想です。

忍耐しきれなかった怒りはやがれ血となり流れるでしょう。

"醒めない人は、朝まで眠る。”

この白昼夢に気づかなければ、人類は滅ぶだろう。

劇中ではAIと子どもだけが鬼の所在を知っていて、手元の懐中電灯で鬼の入った棺桶を照らし「朝だよ、起きて」と声をかけます。鬼(私)はホワイトアウトした白昼夢が解け、人に戻り一夜の夢の如く入り口(現実)に帰っていきました。


という戦争メタファーな作品でした。

Act by Hiromi Sakamoto / Sayako Shiratori / Eva ebaco


「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。