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初めてのBAR

はじめての私の職場は埼玉県和光市にあった。東京の思い出と言いつつ、のっけから埼玉県。

その時の私はSEとして客先に出向して、用があれば自分の所属する会社に寄ると言う勤務形態だった。だから、出社するのは毎回、お客さんのオフィスになる。これは向こう(関東)にいた間、ずっと同じ。

出向する客先もころころ変わる。新人だったから11ヶ月ちょっとで、和光市の現場は離任になった。それなのに、土地勘がなかった私は、東京よりも和光市に住むことを選んだ。これも最後まで変わらなかった。住まいの話は別のところでもう少し書こう。

その職場で、バーに行くと恋人ができると聞いた。
その発言を聞いた週のことだったか、金曜日、私は以前から知っていたある一つのバーを訪れる決意をした。衝動的なものだった。
きっと仕事で嫌なことがあったか、うまくいかなかったか、なんらかあったのだろう。

私はガストで夕食をとりながらそのBARについて検索してどんな店なのかを確認したのち、あるビルの6階に降り立った。
たしか季節は秋。それも始まった頃。私は半袖のチェックのワンピース(高円寺で買った)を着ていて涼しかったことを覚えている。

店内は意外と広く、混んでいた。ドアの外からではそんな気配は微塵も感じられなかった。
私はカウンターの端っこに座った。カウンターに空席はなかった。5人〜7人座れるくらいのカウンターだったかな。
私はカクテルを飲みながら、店内を観察したり、時折、バーテンダーやマスターと話をした。その時にマスターから薦められた甘くて美味しいバナナミルク。これは忘れられない。

なんだろう、何か足りない。まだ何か起きる気がする。まだ帰れない。好奇心を抑えきれずにタバコを吸ったりして過ごした。酔ってもいなかった。次の日に二日酔いもなかった。(今ではカクテルでもすごく酔う)

その時の私はタバコを吸っていた。(夏季休暇の際に吸いたくなるような出来事があった。)

私の隣が空席になった時、そこの常連の若い男性が隣に座った。いつもはカウンターに座るタイプだが、その日はテーブル席の知り合いと飲んでいたらしい。(紆余曲折の末)この男性が私の彼氏になった。ちなみに上京中にできた恋人は彼以外いない。

その日、彼は私の分の飲み代を払ってくれた。途中まで一緒に帰ることになった(家が近かった)。部署は違えど、職場も一緒だった。雨上がり、濡れた路面。もう0時すぎてますよって言われて、久々に時計を見たのを覚えている。

思い返せば、そこで出会ったもの、思い出は一つの青春だった。慣れない一人暮らしだったし、家具も家電も全然足りていないけど、充実したものを感じていた。その年の年末に帰省する時になぜだか涙が出たもんな。(札幌から和光に戻るときも泣いた)

それから私は何度かそのバーに通い、他の常連さんにも仲良くしてもらった。ダントツの最年少だったこともあり、何度も奢ってもらったり、多めに払ってもらった。タバコを買ってもらったこともある。
仕事が休みの日に呼び出しがかかり、飲んだ後に朝までカラオケ。その代金も払ってもらったんじゃなかったかな…

日曜日にキャッチボールをする会もあった。私は一回しか行ってないけどね。私が参加したら筋肉痛で歩けなくなり、マスターが車に乗せて家まで送ってくれたんだよなぁ。しかもマスター、夜遅くまで仕事あるからキャッチボールの会に来ること稀なのに来てくれて。元気かなぁ。

オーナー(女性)はサバサバした格好いい方で何度か一緒にお酒を飲んだ。バーとは別にやっているお店にも行った。そこで会えた優しいおばあさんのことも覚えている。

ボジョレーヌーボー解禁。その季節になるたびに、思い出すこともまたこのバーでの思い出。
出会いたての頃、マスターが私と彼が一緒に来れるように「○○くんのために1本取り置きします」って言ってくれた。彼にしてみれば、まだ私に気はないのに、周りから私にアピールしろって言われて迷惑してたかもしれない。
そのボジョレーヌーボーの日にビーフシチューを食べた。言い忘れていたけど、ヘッダの写真の通り、料理も美味しい。彼の同僚とも飲んだ。その人とも何度か飲みに行ったっけ。

クリスマスパーティーがあったけど、結局、参加できなかったな。

チームの二次会で、そのバーを使ったこともある。マスターが私の顔を立てるために、サービスでナッツを出してくれた。他にも見えないところでいろいろ気遣ってくれたのかも。ほんとに感謝しかない。

いろんな人に会った。私が去る頃には、みんな会えなくなってたけど。それは私と彼が内緒で付き合っていて都合が悪くなったことや、本人たちの事情による。あのバーで私に関わった人、みんな幸せでいてほしい。

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