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ウルルとアボリジニ #03 文化センター編

国立公園へ到着後、私たちはまずウルルのすぐ側にあるウルル・カタジュタ文化センターを訪れました。
この施設には、ウルルやアボリジニの歴史文化について学べるパネル展示、ミニシアター、アートギャラリー、そして簡単な休憩所や売店もあります。これから始まるウルルのトレッキングやキャンプに向けて、まずはここで学びを深め、英気を養うのです。


「地球のへそ」などとも呼ばれるウルルは、ここノーザンテリトリー州、ウルル・カタジュタ国立公園内に存在する巨大な一枚岩です。
1873年に当時オーストラリアを植民地支配していたイギリス人の探検家によって発見された後は、長い間「エアーズロック」の名称で知られてきました。(当時の植民地総督ヘンリー・エアーズにちなんで名付けられたそう)
しかし、1987年に世界自然遺産、1994年に世界文化遺産に登録されたことなどを機に、現在はこの地の原住民・アボリジニの言葉である「ウルル」を正式な名称として採用する動きが主流になっています。古来よりここを聖地として生活する彼らに敬意をあらわすためです。

またそういった歴史背景から、この地域に住むアボリジニ・アナグル族と政府との間では、長い間ウルルの所有権や管理権を巡る争いも行われてきました。
その結果、現在は一度権利を奪われたアナグル族が所有者として再度認められ、政府にリースするという形態をとっています。
こうして「国立公園」として、先住民族と政府の協力のもとウルルは維持されているのです。


そんなアボリジニには、様々なおとぎ話も語り継がれています。その1つが「セブンシスターズ/七人姉妹の物語」、星空にちなんだお話です。
昔、伝説と言われる時代に、ある7人の美しい姉妹が暮らしていました。彼女たちはある日、オリオン座から来た男性たちに求婚され、それを受け入れます。そして「プレアデス星団」の星々に姿を変え、天上界で暮らすようになったのです。
この2つの星座、プレアデスがオリオンよりも1時間ほど早く西の空に沈んでしまう位置関係にありますが、その物語としての解釈はアボリジニの中でも地域によって異なります。なかでもメジャーなのは、彼女たちはいつも一足先に帰宅し、オリオンの夫たちが狩猟から帰ってくる時を食事の支度をしながら待っているというもの。
古来より多くのアボリジニが星空を見上げては、この健気で美しい7姉妹に想いを馳せていたようです。




さて、このように文化センター内で多くの展示などから学びを得ていると、屋外に繋がる中庭のような空間にたどり着きました。
そこから外を眺めていると、少し先からアボリジニの子供が2人、こちらをじっと見つめていることに気付づかされます。背丈や顔つきから想像するに4-5歳くらいでしょうか、ぱっちりと大きな瞳が印象的な、まだ幼い姉弟です。

2人の振る舞いや笑顔はまさに愛嬌そのもので、私たち観光客の後ろに付いてきては一緒に遊ぼうと言わんばかりにケラケラと笑い声をあげていました。一方の観光客にとっても、アボリジニの子ども達と触れ合うことは貴重な機会で、多くの人が次から次へと2人へ笑いかけ、ハグをし、インカメで写真を撮り始めます。こうしてこの可愛らしい姉弟は、たちまち人気者になったのです。


そんななか当の私はというと、どうしてもこの場でこの幼い2人に対し、他の観光客と同じような接し方をすることはできませんでした。
この前日、アリススプリングスでアボリジニの方から「NO PICTURE 」と言われていたこともありますが、正直この姉弟、私には悪い意味で人懐っこすぎるように感じられていたのです。
特にこの2人の目。くりくりと可愛らしいことは確かですが、私にはどこかで見覚えがありました。
それはきっと、マレーシアの市場で器を手に「money money」と寄ってきた少女の目、カンボジアのアンコールワットで首からブラックボードを下げ安いマグネットを売っていた少年等の目、ネパールの道端でキックボードに寝そべり漕ぎながら後をつけてきた片足のない少年の目。
現にこの2人も、一通り愛想を振り撒いた後は写真を撮られた観光客を中心ににお金をせがみ始めていたのでした。


こういう時、目の前の子どもにどういった対応をするのが正解なのでしょうか。
大学一年生の頃、マレーシア・コタキナバルの奥地にあるジャングルで一夏を過ごすプログラムに参加したことがありました。そこで出会った今でも大切な仲間たちと、竹が組まれたバンブーハウスで語り合った夜を思い出します。
「ここでお金をあげることは本当の意味での支援になっていないと思う。あの子たちは本来物乞いするべきじゃないのに、俺らがお金を渡すことでそれを助長させてしまう」
「でもあの子たち、もしかしたら明日食べるものもないのかもしれないよ。命が差し迫っている場合、お金を渡さないと本当に未来を無くしてしまうんじゃない」
「中には物乞いのためのレンタルチルドレンと呼ばれる子どももいるみたい。私たちは子どもにせがまれるとついお金を渡してしまうから、その心理を悪い大人たちが利用して、子どもを都合よく使うの。酷い場合、あえて障害をもった子供が見世物にされたり、同情を買いやすくするために健常な子どもが無理矢理障害を負わせられたりするケースもあるって」
「俺等が渡すお金も、その先では誰の手に渡っているか分からないってことか。それでも自分は、よく理解していない団体に寄付するよりは、目の前の個人にお金を渡してあげたい」
「じゃあ相手が子供じゃなくて大人だった場合はどうなの」



帰り道、列の一番後ろを歩いていた私に例の弟が寄ってきます。ちょうどあまりの暑さに売店で買ったグレープ味のアイスキャンディーの袋を開けたところでした。
まだいたのねと振り返る私に、1口だけちょうだいとしつこくおねだりしてくる弟。流石子どもはこういった大人の隙を見逃さないのですね。そして希望が叶うまでは可笑しいくらいにその場を離れようとしません。私は仕方なく、まだ口をつける前のアイスを食べさせてあげることにしました。

感心することに、彼はアイスを1口かじると、約束通り私に返してくれました。そしてありがとうと言うように、にこっと満面の笑みを浮かべます。その素直さと嬉しそうな表情に、私もつい笑みが溢れてきました。いや、あの時の私はきちんと笑えていたでしょうか。
実はその時大きな口を開けて笑った彼、何と言いますか、歯が全部真っ黒に溶けてしまっていたのです。もちろん文化や生活環境の違いはありますし理解できます。そういった事情も含めて私は彼らに寄り添っていたいと思っています。
でも、歯磨きが大好きな私にとってはそれがあまりにも衝撃的で、先ほどあれだけ考えを巡らせた貧困の問題などは一旦傍に置いておいても、アイスキャンディーは全て姉弟に差し上げることにしたのでした。


ウルル・カタジュタ文化センターに別れを告げ、いよいよウルルの周りを一周できるトレッキングを始めます。
天気は快晴。日差しはジリジリと容赦なく照りつけますが、水分補給さえ気にかけておけば絶好のトレッキング日和です。
この続きはまた次の投稿で。

快晴
道端に咲いていた花

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