つぶやきメモ2:『闇の経済学』があったらよいのかもしれないという話

例えば、マイケル・ルイスの『ライアーズ・ポーカー』『世紀の空売り:世界経済の破綻に賭けた男たち』『フラッシュ・ボーイズ:10億分の1秒の男たち』とか、あるいは正垣泰彦『サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』とか、経済・経営・ビジネス系の読みものに多少の関心があって、ときどき読んでいる。経済学とかの本も、少しは。

やる夫スレとかネット小説とかネット小説とかを読んでいると、意外と(?)実学っぽい方面にも関心が出てくる。そんな話はこの前に書いた。

あとは昔から横山光輝の『三国志』とか、秋本治の『こち亀』とかを読んでいたりもしたし、政治とか国家の話、ビジネスとかエンタメ産業の話などに対する関心が、たぶんそういうものでも培われていた。実のところ、児童文学版で読んだトルストイやユゴーなどから受けたりした諸々の影響もあるとは思うが、かしこまった文学の影響だけ挙げるのも事実に反する気がする。

ある程度は上の記事で挙げたようなものが自分の天下国家や経世済民の見方に影響を与えていると思う。

それで、物語ではない経済系の読みものとかだと、どんなものを読んでいたかというと、こんな感じ。

それで、結局『闇の経済学』って何かというと、こんな経済読みものの本があったらいいかもしれないな、という架空の書物で、要はポピュラー・サイエンス本みたいな意味でのポピュラー・エコノミクス本みたいなイメージの何かのことだ。

もしそんな本があったら、自分はよろこんで読むだろうし、読んでたのしみそうだな、と思う。そういえば『ヤバい経済学』『超ヤバい経済学』『ヤバすぎる経済学』という一連の翻訳本がすでにあるのだったか(いずれもスティーヴン・D・レヴィット+スティーヴン・J・ダブナー共著、望月衛訳)。

これと関連する話で言えば、2021年の頃、『闇の自己啓発』の発売に合わせたブックフェア企画で、伊神満『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』2018を紹介したことがあった。そのときの連投を発掘したのが、以下。

この本のことはすごく印象に残っていたらしく何回か投稿していた。

あと、闇の自己啓発読書会でもポピュラー経済学な感じの本を扱ったことがあった。内容的には、みんなが期待してた内容とは異なる面が多かったからミスマッチ、って感じだったりした。読書会で盛り上がれる本を選ぶのって意外と難しいものだ、と思ったりもした。

上の読書会記事、取りあげた本に対する当たりが厳し目な内容になっちゃった感じもする。ただ個人的には、同書の「超訳」者である橘玲の本に、自分は少し思い入れがあったりもする。

いろいろ振り返ってみたが、やはり『闇の経済学』って本があったら、自分はフラフラと引き寄せられて読んじゃいそうだな、という気持ちは拭えないというか、強まったかもしれない。

そういえば、経済学で「闇の…」と言えば(?)オートメーション化で超AIな加速主義の話は? というひとがいるかもしれない、と、ふと思ったので一応は関連ありそうな話も少しだけ。

個人的には、こういう主義なり思想なりは良いか悪いか、以前に、どういう流れで、ないしは、どういう下地があって、日本だとこんな感じで加速主義が捉えられるようになったのか、みたいな問いを立てることのほうに今の私の関心は向きがちで、その受容状況の現在が良いか悪いか以前に、そういう問いを立てながら昔のいろいろを振り返って眺めたらどんな景色が見えるのかに興味が湧いてきている。びっくりしたのが、加速主義や反出生主義とかを批判するぞ、ってスタンスのひとが技術で自動化してこういう主義に対抗するんだ、って感じのコメントしているのを見かけたときで、加速主義=オートメーションで未来志向、みたいな認識どころか、加速主義VS社会の各所の自動化、みたいな認識だってあるのだ、というのは、印象に残った。

加速主義の話も折々に呟いてきた気がするので、そのうち、まとめたい。

(了)

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