ある人生の充実に向けて――クソゲー・ミステリ・戦争

はじめに:人生の充実に向けて

 あるひとが、人生が充実していないというのは妙な表現だと述べていた。触発される指摘だった。たしかにそれは妙な表現だ。というのも、――そのひとの文言を借りる――「人生が人生である限り、人生は人生において充実してる」からだ(Taku(@iliya_sora) 2020年5月7日のツイート。以下、引用中の太字強調は江永による)。これは謎かけではない。むしろ、辞書的な意味に即していると言えよう。(ここでの話は引用箇所の前後の文脈に忠実なものではない。)〈人生〉とは、ひとが生きているということであり、〈充実〉とは、なかみがつまっているということだ。そして、ひとは生きている限り死んでいないはずだ。とすればひとの生は、死ぬまでのあいだ、人生でいっぱいになっているはずだ。――これが不可解に思えるとすれば、そこで何か異なる判断が働いているからだ。たぶん、人生の充実という尺度で、ある生のよしあしが測られているからだ。――充実した人生、それはよい人生のことだ。

 充実した人生にたいして、空虚な人生という言い回しがある。もっとあけすけには、人生が無だった、といった言い回しもある。これらがいいたいのは、何かよくない人生のことだろう。ここにはいささかややこしいところがある。例えば、ある人生のなかに出来事がどの程度つめこまれていたのかの評価と、その人生につめこまれた諸々の出来事の個々のよしあしの評価とは別の話だろう。わるい出来事で充実した人生というものも考えうるはずだ。しかしたいていは、よい出来事がどの程度つめこまれていたのかで、人生の充実度ないし空虚度を測ることになっているだろう。そこに何か罠がある。

 不可解なのは、人生のなかに出来事の無い空虚が存在するかのように思われがちなことだ。例えば、ただ生きているというのは、具体的にはどういう状態を指すのかを問いただす余地はあるにせよ、ともかく、出来事とはみなされない場合が多い。思えば、充実には豊かさのニュアンスもある。どうも何らかの出来事で満ちた人生であることと、豊かになる出来事が人生のなかにあることが、混同されがちであるように思われる。逆から言えば、空虚な人生という観念は、何か特筆すべき出来事に乏しい人生と、何か貧しくなる出来事で満ちた人生とを、うまく区別できていない。欠如と悪とが無分別にとらえられ、よさと同一視された充実に対置される。そこには罠がないか。

 出来事の特筆性と出来事のよしあしとの混同があるせいで、充実した人生なるものは、そもそもからしてほとんど不可能なものになってしまっているのではないか。豊かさと稀少さが同一視される限りは、特筆性がある出来事は稀少なものにならざるをえない。もちろん、稀少な出来事が人生を満たすことはありそうにない。――目標の立て方自体が、失敗を招きこんでいる。

 だから、こう考えた方がよい。あるひとの生が、稀少な出来事のみで満たされるのは、ほとんど稀なことで狙ってできることではない。またあるひとの生が、わるい出来事よりよい出来事で満たされるのも、よい出来事というのが特筆すべき出来事を指すならば、無理がある。したがって、ひとが自分の人生を充実させようと欲するのならば――それを断念するなんてとんでもない――自分の〈判断する力〉を、きたえていかなければならないだろう。

 とはいえこのような話だけでは、現状に満足するように認知を変えなさいと諭されているだけのように感じられるかもしれない。それは例えば、人生はクソゲーなのだから高望みするなといったたぐいの物言いと大差なく聴き取られてしまうだろう。そのようであるならば、この話もまた、こう言ってよければ〈効率よく〉、人生を空しくさせる機能、ひとの元気を減退させていく機能しか果たせないだろう。私が望むのは、元気を奪うことではない。

クソゲー:別の仕方で判断すること、その限界

 〈判断する力〉をきたえるとは、自分で自分に相応しい評価軸を発明するように試みることである。判断する基準を外部へと無節操に手渡さないことである。――とはいえ、全く手渡さないならば判断できることはたかが知れている。思考停止と信頼は表裏一体であり、それがあってこそ実現している協働も、少なくはない。――ともあれ良識または常識が〈わるい〉と定めるものを、〈よい〉と評価しようと試みることは――それを通して何かのよしあしをそのまま反転させる以上の達成がもたらされるならば――良識や常識にはおさまりきらない別の判断基準を探求する契機として、有用であろう。

 そうした試みの一例として、〈クソゲー〉を取り上げてみる。その年ごとの〈クソ〉な(ビデオ)ゲームに関して、参加者による討議を経て評文を集団で制作し発表する形式のユーザー主導型コンテスト、クソゲーオブザイヤー(以下KOTY)は、2010年頃に盛り上がりのピークを迎えたとされている(注1)。KOTYにおいて、クソゲーを選り分けるという営為の裏には、何がクソゲーに相当するのかという問いかけが張り付いており、そこには、各々のゲームに相応した固有の評価軸を発明しようとする意志さえ感じ取ることができる。

・元は「「買わされて腹が立った」というよりも、余りな内容で「ゲームで遊ぶ」という本来の価値以外に価値がある」ゲーム作品のことだった。
・KOTYスレにおける「クソゲー」とは「買わされて腹が立った」ゲームのことになってきている。または「選評が投げ込まれるほどのゲーム」であろうか…。
・なおクソゲーといっても内容やクソのポイントなどは千差万別ある。特に四八(仮)出現以前は明確な基準がなく、クソの基準も混乱していた。
(KOTY用語【クソゲー】2020,7.03最終閲覧 https://koty.wiki/Dic2#z4e29408 )

 ここでは「本来」的な評価基準――価格に相応の、また要求仕様を満たすプログラム製品(ゲームソフト)であるか否か――とは異なった評価基準に即する価値として「クソ」なる評言が提示されている。「クソゲー」は、たんに劣った製品ではなく、制作者の企図とは異なる仕方で価値を帯びたモノであることを期待されている。従来の序列を反転させようとするのみならず、これまでとは別の基準を打ち立てなおす意志をそこに見出す限りにおいて、KOTYは個々の判断力の洗練を促す営為の例として機能するだろう。とりわけ2007‐2012年のKOTY選評には奇妙な華やぎがある。そこでは、各大賞作品の「クソ」要素が固有な仕方で思考を強いるような独特の価値を帯びた名指し方で語りなおされているのである。範例として、2012年大賞の評を挙げる。同年大賞作は「最強」と呼ばれていた(これに関しては後述する)。

その理由はひとえに、本作が「最強」のクソゲーであったからだ。
はて、最強とはなんぞや。
歴代のKOTYを見てもわかる通り、「その年一番のクソゲー」が何かとは一口には言い切れない。
最高」、「最凶」、「全能」、「絶無」、「物理」……
大賞に選ばれた作品は、それぞれが違った形で自らの勝利を掴み取ってきた
(KOTY2012年総評 2020,7.03最終閲覧 https://koty.wiki/2012GC )

「「最高」、「最凶」、「全能」、「絶無」、「物理」」は2007‐2011年の大賞作品5つにそれぞれ対応している。ここでは「クソ」なゲームが、従来的な優劣とは別の仕方であらたな価値を与えなおされているように思える。ここではあたかも登場人物であるかのように、各作品の「クソ」さがいわばキャラ立ちする要素として名を与えられ、各々に特異さが見出されている。――ひとの生もまた、良識や常識にさおさす優劣とは別の基準で、これらのゲームのように、固有の相応しい「クソ」さにおいてよしとすることが可能なのではないか。KOTYはそうした思考を促す批評的な営為として解しうる。「クソ」を選り分ける力を持つことへの意志がそこには見出せるのである。

 「クソ」の意味は変容する。KOTYを取り上げて済むわけでなく、例えば、阿部広樹・多根清史・箭本進一の三者による「超クソゲー」シリーズなどもあるが、こうした過程を経るなかで、「クソゲー」なるもの自体が、劣った娯楽製品を超えた何かを記述する呼び水になってきたようにも感じられる。

 いまや「クソゲー」は独特の魅力を帯びたモノを指す語として用いられてもいる。例えば、小説投稿サイト「小説家になろう」にて2012年から2018年まで連載されていた長編、ウスバー『この世界がゲームだと俺だけが知っている』は作中で「今世紀最大のクソゲー」とされる架空のゲーム作品『New Communicate Online』(略称「猫耳猫」)の世界に転移した人物の物語であるが、作品の魅力は、バグ塗れの作中ゲーム「猫耳猫」の設定や、イベントの不条理さ、そしてそれに通暁し理不尽なバグさえをも利用しつつ困難を切り抜けていく主人公の姿にある。ゲームの「クソ」さは驚嘆すべき自然現象のように読者に立ち現れるし、主人公の方はその機転によって、有害なはずの現象さえをも善用し、いわば一種の探検家のように危機を乗り越えていく。

 忍刀の第13スキル、『アサシンレイジ』。
 13番目のスキルということで本来は高威力な技だったはずが、なぜかダメージ倍率にマイナスがつけられていたため、使う度に相手を回復させてしまうといういわゆる『地雷技』と認識されていたこのスキル。
 だが、闇属性攻撃力がマイナスの状態でそれを使えば、どうなるか。

[空行ママ]
 マイナスにマイナスをかけると、それはプラスになる。
 しかもそれが、マイナス390%という通常では考えられないような大きなマイナスであったなら、どうか。
[空行ママ]
 答えは明白。
 活人剣とまで揶揄されたその技は、人どころか巨人すら打倒し得る、最強の殺人剣、いや、必殺剣へと姿を変える!
(ウスバー「第五十四章 活人剣」『この世界がゲームだと俺だけが知っている』2020,7.03最終閲覧)

 同じく「小説家になろう」で2017年から連載中の硬梨菜『シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜』もまた、架空の「クソゲー」が魅力を放つ長編作品である。「クソゲーマニア」の主人公が触れるいくつもの架空のゲームは、滑稽なからくり仕掛けのコレクションのように読者に示されるが、他方そうした「クソゲー」で培った技術が本作の主要な舞台である「神ゲー」内での活躍の基礎となっており、スポーツ漫画やバトル漫画にも通ずる奇想の妙が、(実際の運動が招きうる)負傷を度外視できるゲームという舞台設定を活かす形で存分に展開されている。この小説では、超人的なアスリートめいたゲームプレイの下地をなす、奇妙な訓練所のようなものとして次々「クソゲー」が登場し、活用されているのである。

一応フルダイブゲームである便秘では既存の格ゲーの常識は全く通じない。
何せそもそもの前提である「自分が人の形をしている」という基本をぶち壊さなければならないのだから。

[空行]
そして俺がこのゲームに戻ってきたのは、巡り巡ってシャンフロのためなのだ。
(硬梨菜「肥えた価値観をクソゲーで濯ぐ」『シャングリラ・フロンティア〜クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす〜』11話 2020,7.03最終閲覧)
流石に瞬間移動と分身の術を同時にやらかすこのゲームより予想外なアクションがシャンフロで起こるとも思えない。
結構長い間フェアクソ攻略をしていたのでバカなAIを介護するプレイは上達したが、代わりに若干錆びてしまった初見殺しに対する対応の勘を取り戻したかったのだ。
(硬梨菜「共通点はセオリーにとらわれない自由な発想(遠回しな表現)」同12話 2020,7.03最終閲覧)

 ここまで見てきたように、「クソゲー」語りにおいては、別の仕方で評価することへの意志が見出されたし、Web小説では「クソゲー」自体がたんにわるい特徴の同定と批判とではなく、従来と別の評価軸において善用される特徴あるモノを登場させるための合言葉として機能しつつあるよう映った。しかし、「クソ」語りには、ある限界の存在も認められねばならないように思われる。KOTY2012の評文に戻る。2007‐2011年の大賞作品の名前が次々と挙げられたあと、「最強」の名が冠された2012年大賞作品は以下のように評されているが、そこでは「クソ」の(再)評価のリミットも示唆されている。

本作の場合、スケールの大きさ、クソ要素の多さについては先述の通りであるが、
それにもまして、もう一つの決定的な特徴があった。
とにかく、【語りにくい】のである。
「ゲー霧」の名にふさわしく、本作を言葉で捉えようとしても霧のように散り消えてしまう。
人は皆、クソゲーを掴んでしまったとき、おどけて語ることで、笑い飛ばすことで、傷を癒そうとするものだ。
それすら許さない本作は、怒りや悲しみ、苦しみを吐き出す機会さえ与えない、まさしく最強のクソゲーの一つであると言えよう。
(KOTY2012年総評 2020,7.03最終閲覧 https://koty.wiki/2012GC )

 この2012年作品は、「クソ要素」をあまた備えている。しかし、それにもかかわらずその「クソ」さを「語りにくい」。つまりそれは特筆性を欠いているのである。どのようにクソゲーを(再)評価しようとするのであれ、それに先立ってそのクソさが、特筆性のある像を結んでいなければ始まらない。そうでなければクソとして語ることさえできないのだ。評価という営為は、よしあしの際立つものを事例として要請する傾向がある。わるい特徴であれそれが同定されているならば、その特徴をよしとする観点を打ち立てることは可能だ。だから、最も評価に困るもの、善用しがたいものは、いわば特筆すべきわるさではない何かのあるものである。――ここで「ゲー霧」として辛うじて名を与えられた作品のように。――「スケールの大き」い、平凡なクソゲー、平凡なわるさの厖大な蓄積からなるモノが、逆説的に、最も強い「クソ」さ、善用不可能の「クソ」さを発揮するのである。――凡庸な悪?

 端的に言えば、平凡さは特筆性のリミットである。特異なふつうさは撞着表現だ。――思えば先ほど問題にした、充実していない空虚な人生もまた、たとえ統計的にはまれであろうとも、ごくありふれた悲惨や苦悩を伴うような生、つまり〈ふつうの/クソみたいな人生〉のことだったのではないか。――人生の充実を、判断する力の増大をほんとうに考えるのであるならば、特筆性、即ち何らかの「機会」において善用しうる可能性を欠いた、平凡な「クソ」さをこそ問題化し、吟味すべきだ。――以下でそれを試みていく。

ミステリ:事件と日常の図地反転、転換点としての死

 槇原敬之『Fall』(2014)の一節は〈平凡な人生〉の空虚感を活写している。

何時でも決まった事を一人で淡々とこなす
人が絡まない分だけ問題も起こらないけど
昨日と今日が知らずに入れ替わってたとしても
気づけないような日々
を歴史と呼べず悩んでた
(槇原敬之『Fall』2014)

 モブキャラクターのような営為、そして、交換可能な日々。――特筆性を持たないひとは、交換可能にさえ感じられてしまうような単なる生を、漫然と続けることになる。「日々」には充実が欠けており「歴史」と呼ぶことも困難であるというわけだ。この歌はその後「そんなとき君が現れてこっちへおいでと手を伸ば」してくるし、「その手に一瞬触れただけで世界が違って見え」てきたと展開していく。ここで歌い上げられている主題は、ある種のセカイ系的な(〈落ちもの〉的な)と評しうる〈出会い〉である。だから無のごとき「日々」の描写はいわばその前座にすぎない。だが、ここでは、この「歴史と呼べ」ないような「日々」にこだわってみたい。というのも、必要なのは、平凡な、特筆性なき、ある生を思考することだからだ。だが特筆性のない人生と充実また空虚の関係と、そのよしあしを、どうとらえればよいのだろうか。特徴のないふつうの生活は、どうすれば評価できるのか。ある平凡な日常は、どのようにして論の俎上に載せることができるのだろうか。

 ひとつの手がかりはミステリだろう。そこにはたいていまず日常があり、トラブルの発生と解決が引き続く(注2)。トラブルを未解決のままに留めようとする謎とともに、どうにかしてそれを解消しようとする一連の労働(捜査、推理、解明)がそこには描かれている。無論ミステリが目的と標榜するのは、平凡な日常ではなく異例な事件を描くことであろう。その意味では、日常は事件という〈図〉を際立たせる〈地〉に過ぎないはずだ。ただし、図と地を反転させ得る複雑さを探偵という役柄はしばしば帯びている。とりわけ解決済みの事件や事故とされたはずの物事に再び謎を見出し、偽りの解決に対し真の解決を提示するとき、探偵が両義的な役割を担うのは明らかだ。思えば事件の重大さと面白さを区別していた、シャーロック・ホームズの時代から(それ以前からずっと?)、探偵は、何が特筆に値する〈事件〉かを選り分けなおす動作主でもあった。探偵の仕事に着目して、日常が非特筆的で平凡な〈地〉と化す事態それ自体を特筆すべき出来事と理解する観点からの批評として、西尾維新によるミステリ作品を読解する哲学者小泉義之の「あたかも壊れた世界――犯人の逮捕と事件の逮捕」(『ユリイカ』2004年9月臨時増刊号、引用は『あたかも壊れた世界 批評的、リアリズム的』2019年より)は、参考になる。以下でかいつまんで内容を確認する。

 小泉義之は西尾維新『きみとぼくの壊れた世界』(2003年)を高く評価している。この作品は「問題解決の水準を犯人指名から犯罪事件確定へと格上げし、犯罪事件の作品を出来事の作品に転化しようと格闘している」(169頁)と小泉は評している。どういうことか。小泉は、登場人物である病院坂黒猫の言を引きつつ独特の事件観を提示している。「殺人事件とは、たんなる物理的で生理的な変化に尽きない、それ以上の何ごとかである。あるいは、それ以上の何ごとかに仕立て上げられる何ごとかである。その仕立て上げこそが事件の事件性であり、[ひとは?]そこを立証して逮捕しなければならないのである」(171頁)。小泉は、事件が何ごとかであるのはそう「仕立て上げ」られているからであると指摘している。例えば、人生の意味が出来事の数珠繋ぎによって確定されないのと同様に、事件としての犯罪の意味もそれによっては確定しえないだろう。小泉のいう「事件」の「立証」と「逮捕」は、こうした意味を発明ないし発見する営為で、探偵とはその担い手だと言えよう。

 小泉は人々の日常的な愛憎がもたらす例外的帰結としてのある殺人事件ではなく、平凡な日常こそが人の死を伴いつつ発展する構造としてあるという観点から、(物語)世界内での一部始終をひっくるめて事件として「立証」し「逮捕」することを試みる作品として、『きみとぼくの壊れた世界』をこう要約する。「六人の登場人物は、一人が引き算されることで、五人の世界へと変貌し、同時に世界の愛の総量は増加する。そんな世界こそが、どこかで人間が殺されることによって、アリバイ付きの密室として成立する「あたかも壊れた世界」なのである。それは、「複雑怪奇な、暴力的でしかもグロテスクな計算」によって成立する中産階級市民の世界にほかならない」(180‐181頁)。小泉の読解を通じ、いわば(物語)世界の構造を際立たせる鍵として(物語)世界内の殺人事件が取り上げられ世界自体の事件化が遂行されることになるのだ。高次の探偵と化した読者が、物語自体を事件として逮捕する。

 ミステリは、特筆される事件を例外としながらも、実はそれを含みこんで成立してもいる平凡な日常自体の様態を、出来事として提起する力も備えているように思える。ポー「モルグ街の殺人」(1841)に立ち戻っても、そこにある殺人がたんに愛憎の帰結というわけではなく都市のヒトやモノの流通のありようと結びついた出来事であったと、容易に示しえたことだろう。このように、ミステリをいわば転倒した観点から読解することで、平凡さを特筆性の多種多様な無化としてとらえる方途が、見い出されてくるはずだ。――日常を事件として立証し逮捕しなくてはならない。例えば制圧死を生産する日常を、収容者が死に至る日常を、そしてそんな話と共に、相応の暇潰しになり、戦慄や高揚、笑いや涙を催す文や絵や映像、コンテンツまたニュースがそこかしこから供給され、喋々喃々の対象には事欠かず、なかまづくり、チャットやゲームの場も乱立し、もちろん予定や期日に追われもし、つまるところ、一望するには余りにミクロな没入に分裂しているこの日常を(注3)。

 このような観点を、ある「青春暗黒ミステリ」作品に適用してみる(注4)。桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(2004年初版)は、語り手である中学生、山田なぎさの視点から、転校生の海野藻屑との交流を通して自分と兄の人生が変化した様子を描いた作品と言える。ミステリとは言いつつも謎解きの要素は前景化せず、冒頭にある殺人事件の報道記事や錯時法的に配置された物語から、殺されたのは藻屑であり、以前から藻屑を虐待していた父の雅愛がその下手人であることは容易に推測がつく。その意味でこの小説はサスペンスと区分した方が適切かもしれない。まずここで注目したいのは、この殺人が、なぎさによりどう意味づけられていたかである。「藻屑は親に殺されたんだ。愛して、慕って、愛情が返ってくるのを期待していた、ほんとの親に。/この世界ではときどきそういうことが起こる。砂糖でできた弾丸[ルビ:ロリポップ]では子供は世界と戦えない。/あたしの魂は、それを知っている」(204)。藻屑は自らの空想――自分は人魚である、身体にある痣は人魚の皮膚病であり、父親による虐待の痕ではない、等々――によって自身の境遇から逃避していた。しかし、それでは人生を生き抜くことはできなかった、なぎさはそう解釈しているように映る。

 実は、なぎさも藻屑同様に空想にすがっていた。父が海難事故で死亡しており、働く母がひきこもりである兄の友彦と自身を養う境遇にあったなぎさもまた、兄を「美しい生き物」または「貴族」に喩えながら、中学校卒業後になぎさ自身が自衛隊に入隊し兄を養うという「砂糖でできた弾丸」で人生を生き抜こうとしていたのである(中学校で、なぎさは兎の飼育係だった)。その空想に終止符を打った出来事が藻屑の殺される事件だった。雅愛が山に遺棄したであろう藻屑の死体を探しに行くため、藻屑は、相談した大人たちが誰も信じてくれなかった話を友彦にする。友彦は、なぎさと山に行くことを選び、外出して吐きながらもなぎさと歩き、ひきこもりからも脱することになる。この小説は、雅愛と藻屑という破滅を迎える父娘の対と、空想を脱して成長する友彦となぎさという兄妹の対を、対照的に配置しているように映る。そこにある教訓は、空想にすがり続けるものは破滅する、というものだろう(雅愛はミュージシャンという設定であり、自分で作詞作曲した歌、「人魚の骨」で知られていた。内容は途中まで人魚に一目ぼれした「ぼく」のラブソングだが、最後に人魚を刺身にして食べてしまうという猟奇的展開に至る)。空想による日常からの逃避は人生を破滅させるのであって、ひとは子供時代の空想を捨てねばならない。そういうことになるだろう。警察署の一室で藻屑が殺されたことを嘆く担任教師の姿が、なぎさの眼に次のように映っていたという描写も、こうした解釈をいっそう強めさせる。「担任教師は頭をかきむしって、苦しそうにうめいた。/「あぁ、海野、生き抜けば大人になれたのに……」/絞り出すような声。/「だけどなぁ、海野。おまえには生き抜く気、あったのか……?」」(199)。

 なぎさはこうも述懐している。「生き残った子だけが、大人になる。あの日あの警察署の一室で先生はそうつぶやいたけど、もしかしたら先生もかつてのサバイバーだったのかもしれない。生き残って大人になった先生は、今日も子供たちのために奔走し、時には成功し、時には間に合わず。そして自分の事については沈黙を守っている。/あたしもそうなるかもしれない」(203)。事件後のなぎさの人生への姿勢は、こう変わる。「あたしは高校に行く。うちは裕福じゃないからたいへんだけど、放課後にバイトをして、卒業したら就職して、なんとかなるだろう」(203)。友彦は自衛隊へと入隊して、なぎさは高校進学を決意する。空想を終わらせて生き残った子供たちに成長と日常が訪れる。そうして物語は子供の悲劇と成長物語の装いで結ばれる。

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』はこのような枠組みで解釈しやすい物語だと思える。こうまとめる限り、この小説の主眼は、日常に向き合うことを逃避する空想からいかにして脱するのかであり、出来事の一部始終は家族的なものの圏域――親子や兄妹、大人と子供、虐待と生き残り――におさまるものであるかのように映る。しかし、例えば何が藻屑の死(雅愛による殺人)をもたらしたのかを問いなおすとき、違う相貌を見出すこともできる。図地を反転させよう。この物語は、堺港市を舞台にして、山田なぎさや海野藻屑が生きた非日常な家庭で起きた事件を描いているように映ってきた。だが、堺港市の日常の側こそを、問題含みなものとして見出すことも可能なのではないか。つまり、小泉義之が西尾維新作品に見出したような、「「複雑怪奇な、暴力的でしかもグロテスクな計算」によって成立する中産階級市民の世界」のようなものを、この作品にも見出す余地があるのではないか。

 なぎさの通う中学校の担任教師は、虐待から藻屑を救おうと試み、なぎさの高校進学を支持する、まっとうな大人として描かれている。しかし作中の中学校という環境は無垢なものでは決してない。例えば、友彦のひきこもりのきっかけは、山田家に押し掛けてきた中学時代の同級生女子による性的なからかいである可能性が示唆されている。それだけではない。藻屑を殺したのは雅愛であり、雅愛を激昂させ殺人に至らしめたのは(直前にある場面の、なぎさに対する友彦の珍しく「乱暴」な反応と照応させるならば)藻屑が家庭を捨てて(なぎさといわば駆け落ち的に)日常から逃げようとしたことだったが、逃避行を試みるきっかけとなった、なぎさの「逃げようか」という発言を誘発したのは、藻屑の家だけでなく、なぎさの空想を断とうと家庭訪問にやってくるはずの担任教師の姿であり、そして同級生からのいじめが始まる予感であったのだ。藻屑と二人きりの放課後の教室で、なぎさはこんなふうに物思いにふける(窓の外では暴風雨が荒れ狂っている)。

この嵐が終わったら、藻屑はあの狂った父がいる家へ、あたしは担任教師が貴族を打倒しようとやってくる家へ、それぞれ帰らなくてはならないのだ。そして来週になったらまたこなくてはいけないこの学校という場所は、大人の知らない暗黒の社交界でもあった。黒いお祭りが始まれば死にたくなるぐらい辛い思いをさせられるに決まっている。(174頁)

 この日、次のような事件が起きていた。奇矯な態度を繰り返す藻屑のことが、気に障るようになった同級生、映子の悪口に我慢できなくなったなぎさは、そんなことして楽しいのかと映子に言い、なぎさも敵視され始める。

映子の伝令が下ったのか。無言のうちに同意したのか。わかんないけど、とにかくみんなあたしを遠巻きにしていた。今朝までとはぜんぜん空気が違う。席を立ち上がると、映子が後ろから思い切り肩をぶつけてきて、その衝撃であたしはよろけて椅子にまた座ってしまった。映子が知らんぷりして歩き過ぎていくその後姿を、あたしはあきれて見送った。教室を見回すと、息をひそめてこっちを見ていた女子が、一斉に目をそらした。/へんなお祭りが始まる直前の、不穏な空気。(158頁)

 このような学校の暗黒の圧力もまた、ついには雅愛による藻屑の殺害へと至る、その道筋を準備していたのである(もちろん、それだけでもない。飼育小屋の兎の殺害や、花名島正太となぎさと藻屑の関係性などの事柄もある)。もちろん、雅愛の罪や責任が免責されるわけではない。しかし、個人の狂気は天から降ってくるものではなく社会のうちで錬成されたものであり、凶暴性もまた野生のものではない。そもそも、堺港市は、次のような舞台であるとされていた。港町で、夏の夜の海の光景は神秘的だ。「一方、山のほうには、あたしが生まれたころにできた原発がある。ていうか、田舎に作ったほうがいいと都会の人が考えるすべてのものがこの町にある。原発。刑務所。少年院。精神病院。それから自衛隊の駐屯地。だからあたしたちはあんまり山のほうには近づかない」(19)。現実離れした戯画に対するような語り口は実は、堺港市という土地、空間を貫く権力関係を強調してもいる。なぎさは映画館の料金表に自衛隊割引の項目を発見し、こう述べてもいる。「お国のために多国籍軍に参加したりする一員になれば、映画も安く見れるのかぁ」(20)。なぎさの自衛隊への関心は明らかに境港市の地域性に根差しており、弾丸や兵士の比喩でさえ土地の身近なリアルに裏打ちされているのだ(注5)。

 境港市出身である海野雅愛を、家にひきこもってオカルトやミステリなどのカルチャーに耽る山田友彦の至りえた将来像のひとつのように捉えることさえできるかもしれない。「海野雅愛はこの日本海沿いのしょぼい港町のいちばんの有名人で、それはどうしてかというと彼が高校生の頃、地元で結成したバンドが上京してメジャーデビューしてすごく売れて、ブームが去った後もボーカルだった彼だけは俳優としてずっとテレビに出ていて、最近はVシネマでヤクザの役とかやっていて、宇宙的にピースフルにどうのとかいうおもしろ発言も海野ワールドとかいってウケてた時期もあって、だけど何年か前に大麻がどうこうで捕まって、それ以来見てなくて……」(36)。別の仕方で雅愛のようになる、将来の友彦の紋切型の像は容易に想像しうるだろう。なぎさは雅愛をこんなふうに評していた。「凶暴で、/どこか狂っていて、/だけどすごく弱い……/いやな瞳をしていた」(53)。そんな瞳になる友彦の将来さえも想像できることだろう。――例えば、サブカル的な作家として名が売れ、好評を博するも身を持ち崩し、やがて、パートナーや子供に暴力を振るい始める、未来の友彦の姿……(もちろん、友彦はそうはならず、物語の結びで自衛隊に入隊したのだった)。

 映子に話を戻そう。この登場人物は、なぎさの所属する学校の「社交界」の象徴であるような立場として造形されている。苗字すら登場しないことも加味して言えば、物語上で、個として際立つ役柄というよりは、集団の意向を代理表象するような役柄を割り振られていると見なしてよいだろう。実際に映子は藻屑がクラスに転入してきて自己紹介する場面で初めて登場する。「「ハーイ、質問!」/後ろの席の女子が、挙手した気配がした。お調子者の映子だ。きっとこの妙な転校生に助け舟を出そうとしたにちがいない。お人好しで、好奇心旺盛で、苦労知らずの、幸せなやつだ」(12)。こうして初登場した映子は、しかし藻屑には袖にされて気分を害し、また、藻屑が言動ばかりでなく父を含めて地域の評判も悪くなってくるのと連動して、態度を変えていったように映る。そして、先ほど確認したように、藻屑への悪口をとがめるなぎさへのいじめを始める。――しかし、なぎさと家を出る約束をした藻屑が殺された事件の後、映子は再びなぎさに話しかけるようになる。

十日くらい休んでから復活した学校は、へんな雰囲気だった。教室もへんに静かで、社交界も言葉少なで、あたしと花名島正太はちょっと浮いているようだった。/何日か経つと、少しずつ、映子が話しかけてくるようになった。「昨日のあれ、見た?」とかいうテレビの話のこともあれば、髪形のこととか睫毛をカールさせる方法とか、その上で睫毛の上につまようじが何本乗るかとか、つまり、どうでもいい軽い内容だった。あたしが普通に切り返すと、映子はほっとしたような表情になった。それから少し泣きそうになって、黙った。どうやら心配してくれているようだった。社交界には優しさもあった。(200-201頁)

 こうして映子は再び、なぎさとの友情を回復する。――こうして社交界は、包摂できなかった藻屑を、己が手を汚すことなく排除できたのであり、なぎさをその内側へと回収し、「優しさ」すらアピールできたのである。――堺港市のなかでは、雅愛や藻屑などを排除し、なぎさや友彦などを包摂するための、「複雑怪奇な、暴力的でしかもグロテスクな計算」が幾重にも張り巡らされていたかのようである。この物語は、自衛隊に入隊するという空想ゆえに社交界を無視していたなぎさが、藻屑と出会いそして死に別れることにより、映子ら社交界に包摂され、その一員になっていく過程を、半ば回想するようにして綴った物語であったのだとさえまとめられるのである。――いみじくも冒頭の殺人事件の報道記事には、こう書かれていた。

十月四日早朝、鳥取県境港市、蜷山の中腹で少女のバラバラ遺体が発見された。身元は市内に住む中学二年生、海野藻屑さん(一三)と判明した。藻屑さんは前日の夜から行方がわからなくなっていた。発見したのは同じ中学校に通う友人、A子さん(一三)で、警察は犯人、犯行動機を調べるとともに、A子さんが遺体発見現場である蜷山に言った理由についても詳しく聞いている……。(5頁)

 実際、この小説は、なぎさが「A子」になる物語だったのだ(マスメディアなどで少年犯罪での実名報道を避けるため使われた、アルファベットによる呼称はクリシェと化し、例えば中森明菜『少女A』1982などのように、大衆文化の中で繰り返し用いられていたのだった)。そしてなぎさは、「砂糖菓子の弾丸」から卒業し、高校進学を、就職を目指し始める……。

 ここまでの記述は、あまりにパラノイアックな読解であるかもしれない。だが、登場人物たちの意思や行為でなく、それを決定させた環境へと焦点を移すのであれば、日常の環境こそが、この物語のうちにある事件の根を胚胎していたこと、それだけではなく、その事件の勃発に乗じて、排除や包摂をうまく完遂したこと、その総体のグロテスクさが明らかになるということは示しえたように思われる。本論での立証と逮捕は不十分なものかもしれないが、このようなやり方で、様々な作品を読みなおすことの、意義や可能性は示唆できたと思いたい。

 とはいえ、ここで取り上げたミステリ作品は、人間の死の特筆性を自明視したものであったように思われる。ここでの読解では、日常の側に、非日常に割り振られるようなグロテスクな計算を伴う死が、瀰漫してもいたということを示したに過ぎない。――特筆性のない死を想像してみよう。

戦争:死者1名の光輪、目撃-数え上げのジレンマ

 死を含みこんだ日常を考えようとするならば、戦争のことを思わねばなるまい。しかし、人生はクソゲーであると呟くことや戦争はクソであると呟くことは困難ではないが、戦争はクソゲーであると呟くことにはためらいが生じる。また人生は戦争であると呟くことにも。今日では、いわゆる例外状態とグダグダな統治(こういってよければ統治におけるバグった挙動)とが紛然としており、昔ながらの構図、ゲームと戦争の区別が溶解したとの感触自体が驚くべきとされ、スペクタクルの社会やハイパーリアル化などの状況診断の下で、一種の錯乱として消費社会的なモード――当世風に言えばマインドセットだろうか――が取りざたされるといった構図は、不用意な物言いかもしれないが、手垢のついた紋切型に感じられつつあるようにも思える(注6)。

 とはいえ、生の充実につながる〈判断する力〉のトレーニングは、例えばそのような錯乱を思考しようという試みを通じてこそなされうるものであるように思われる。様々な出来事の当事者たちが抱えているはずの各々の文脈に即した歴史的な重みをさしあたり括弧に括るならば、ひとは、戦争を取り上げた記録文学(ルポルタージュ)上での、人間の尊厳の感覚とゲーム的感覚との相克を、普遍的な問いかけとして考えることができるだろう(なおゲームとはいっても、ことはビデオゲームに留まらず、古代の盤上遊戯などにまで遡りうるとみなすべきだ)。ここでは、ある文学者の手になるベトナム戦争のルポルタージュを取り上げる。――そこには、戦場と銃後の溶解した地平での、特筆性なき死の感得とそれへの瞠目とが示されているように思われる。

 その名を冠した「開高健ノンフィクション賞」(2003年‐)でも知られているであろう文学者の開高健は(大江健三郎や石原慎太郎と同様に1950年代後半に芥川賞を受賞している)、1960年代に特派員となってベトナム戦争を取材している(開高はこの体験を繰り返し作品化した)。開高のルポルタージュ、『ベトナム戦記』では、当時のベトナムで、〈死〉がいかに軽いものであるかのように感じられたのかが綴られている。――ある人間の死の重み、またある死者の尊厳が消えてしまった状況が、以下のように、活写されている。

新聞は毎朝毎朝、東西南北の戦闘と大量の死を報告するのに忙しく、記事はまるで株式相場表みたいになっているのである。戦争につきものの英雄讃美のロマンティシズムなど、爪の垢ほどもない。今週は先週に比べて死者何パーセント減、武器喪失何パーセント増、行方不明者何パーセント増といった具合である。”Kill Ratio”(殺戮比)というような言葉が使われている。戦争も死もない。ただ計算機の唸りがあるばかりなのだ。この国の空気はおそらく酸素と窒素と『死』で構成されているのだ。数字にすぎなくなった『死』で。計算機を操作する人も遭遇すればたちまち粉砕され、衰弱し、黙りこくって、まぶたひとつあげることもできなくなるであろうはずの、永遠に新鮮で強力無比な『死』が、この国では、ただ、ボタン一個のうごきに堕落しきっているのだ。 (開高健『ベトナム戦記』1965年 38頁)

 「大量の死を報告するのに忙し」い新聞記事は、「株式相場表みたいに」死者や行方不明者を数値で記していたという。この書き手にとって、それは衝撃的な事態だったようだ。それに引き続く「戦争につきものの英雄讃美のロマンティシズム」という表現が腑には落ちずとも、名前や来歴、死の経緯が物語られた人間の死と、数値で示された人間の死の質が異なるということには、おそらく首肯してもらえるだろう。「数字にすぎなくなった『死』」の、何が問題なのかといえば、そこに出来事が欠けていることである。そこでは、数え上げられているひとりひとりに備わっているはずの、多種多様な生い立ちや来し方がなおざりにされてしまうのだ。数値化は来歴を漂白し、ただ匿名的でアトム的な〈死者1名〉たちの堆積だけがのこることになる。

 だが、余計な因縁を抱かせないからこそ、数字は記号として操作できる。一般に、数字に接するとき生々しい記憶を連想しないようにひとは習慣づけられている。例えば、死者1名という報告と、名前や肖像や人柄を示唆する挿話やどうして死に至ったかの経緯が長い物語のようにして綴られた誰かの死亡記事とでは、同じ人物をめぐってであれ、その死の軽重が異なって感じられてしまうだろう(ただ、確率的挙動を考えるならば、そうした軽重の操作は避けがたく思える。集団のことを思う場合、厚い記述はときに重過ぎる)。

 ここで話は、充実した人生の問題とリンクする。数値で示される死とは、出来事が捨象された人生である。内実はどうであれ、数字で示されるのは、特筆されるべき出来事が捨象されたもの、〈空虚な人生〉である。匿名者の死や類型的な人物像の死と言ってもよいかもしれない。そうであるならば、私が死の重みや軽さという言葉で呼ぼうとしたものは、ある人生の充実度や空虚度の尺度で測られるものと通じ合っていたように思われる。

 ある充実した人生とは、いうなれば、ディテールが書き込まれた〈1名〉のことである。文学者はこうしたディテールにこだわる人物の典型に映る。出生地ロシアを追われてアメリカに亡命した詩人、ヨシフ・ブロツキイは、ノーベル文学賞受賞講演のなかで芸術の役割について述べている。全体主義的な管理の体制を翼賛する側に、つまりは「全人類の幸福の熱烈な擁護者や大衆の支配者たち」に対抗する立場から、ブロツキイはこう書いている。

全人類の幸福の熱烈な擁護者や大衆の支配者たちが小さなゼロを操ってやろうとたくらんでいるとき、芸術はそのゼロたちの中に「ピリオド、ピリオド、コンマ、マイナス」と記号を書き込んで、ゼロの一つ一つを、常に魅力的ではないにしても、ともかく人間らしい顔に変えてしまうのです。
(ヨシフ・ブロツキイ『私人』沼野充義訳 1996年 10頁)

 この引用をこれまでの話に引き付けて読むならこう言えるだろう。いわば個人をモブ化して(「小さなゼロ」として)操作しようと試みる機制に抗する営為として、芸術は没人格的な個人に人間味をあたえなおすとブロツキイは述べているのだ。「小さなゼロ」になることを拒むブロツキイと、「数字にすぎなくなった『死』」を批判する開高は、文学者として同じ事柄へ関心を向けている。そして、空虚な人生を充実させる意志もまた、「小さなゼロ」または「数字」と化した人間を顔のある個人にする意志――ナイーブに言えば、人間の尊厳を復興する意志だろうか―――と通じているのではないか。

 ミステリ作家・批評家である笠井潔が論じたいわゆる「大量死理論」も、このような観点からとらえなおせるかもしれない。そこでは(本格)探偵小説が、20世紀の世界大戦による大量死に抗するものであり、死にゆく被害者に「二重の光輪」を与えるのだと論じられている。トリックを駆使した加害者の犯行と、論を尽した探偵の推理とが、いわゆる人道主義的な作法とは別の仕方で、被害者に、人間個人としての尊厳を取り戻させるというのである。

 このように要約できるとすれば、「大量死理論」もまた(本格)探偵小説を「数字にすぎなくなった『死』」の力を取り戻す試み、そして「ゼロたちの中に「ピリオド、ピリオド、コンマ、マイナス」と記号を書き込んで、ゼロの一つ一つを、常に魅力的ではないにしても、ともかく人間らしい顔に変えてしまう」試みとして、再評価できる理論だとみなすのもそう突飛な話ではないはずだ。もちろん(本格)探偵小説が開高の言う「戦争につきものの英雄讃美のロマンティシズム」をその「光輪」によって再興していると解するのは大雑把すぎるだろう。市民を英雄にするのが重要なのではない。英雄譚であれ悲劇であれパズルであれ、書き込まれた修辞や物語や論理の質ではなくて、その書き込みにかけられた労力こそが無名の個人に「光輪」を与えるのである――探偵や加害者は被害者のためにどれほどの労力を費やすことか。人生の充実と死の重みの回復は、個々人に人間味を与えなおす試みなのだ。

 いうなれば、『ベトナム戦記』には、英雄譚的な物語も探偵小説的な論理も存在しえないようなところでのたんなる死(『死』)の、その光輪の欠如を書き込むことで、『死』に至る人々にかろうじての光輪を逆説的に見出そうとする意志を認めることができる。以下に引用する、市内の広場での市民の銃殺場面は、そうした描写として際立つ。しかし同時に、探偵でも加害者でも被害者でもない立場、即ち傍観者の立場を可視化させている点でも特異である。おそらく、大多数の「小さなゼロ」たちは実のところ〈死者1名〉ですらなく、記録に残る可能性のない読者、目撃者である。――見られることなく見る市民や、実況動画の鑑賞者に思いを馳せること。――ブロツキイや笠井潔が創作(家)の卓越した権能に、なおも賭けていると言えるとすれば、開高はただ〈見る〉ことの記述――見たままを書くのではなく、見るという出来事を書くことだ――にこそ賭けていたと言えるかもしれない。――子供(と開高の目には映っていたらしい誰か)が広場でスパイとして処刑される。

銃音がとどろいたとき、私のなかの何かが粉砕された。[……]彼の信念を支持するかしないかで、彼は《英雄》にもなれば《殺人鬼》にもなる。それが《戦争》だ。しかし、この広場には、何か《絶対の悪》と呼んでもよいものがひしめいていた。あとで私はジャングルの戦闘で何人も死者を見ることとなった。[……]けれど私は鼻先で目撃しながら、けっして汗もかかねば、吐気も起さなかった。兵。銃。密林。空。風。背後からおそう弾音。まわりではすべてのものがうごいていた。私は《見る》と同時に走らねばならなかった。体力と精神力はことごとく自分一人を防衛することに消費されたのだ。しかし、この広場では私は《見る》ことだけを強制された。私は軍用トラックのかげに佇む安全な第三者であった。機械のごとく憲兵たちは並び、膝を折り、引き金をひいて去った。子供は殺されねばならないようにして殺された。私は目撃者に過ぎず、特権者であった。私を圧倒した説明しがたいなにものかはこの儀式化された蛮行を佇んで《見る》よりほかない立場から生まれたのだ。安堵が私を粉砕したのだ。私が感じたものが《危機》であるとすると、それは安堵から生まれたのだ。[……]
 [……]子供は黒布の目隠かくしをとられ、柱からはずされ、ビニール膜を敷いた棺の中に入れられた。[……]海と空のかなたの快適な、脂っぽい、衰弱した平和を粉砕するため、アメリカ人、フランス人、イギリス人、ベトナム人のカメラ・マンたちが足音たてて殺到した。[……]彼らは棺のまわりに群れひしめいて、ファインダーの小窓を通してフィルムをまわしつづけた。死は《死》となった。セルロイドにつめられた劇となった。アナウンサーのおしつぶした感傷的独白で語られる、似ても似つかぬものとなって《死》はタン・ソン・ニュット空港から全世界に輸出されるであろう。彼らの去ったあと、消防車がきて舗石にほとばしった血を流した。[……]二十分もかからずにすべては消えた。
 (開高健『ベトナム戦記』1965年 144‐145頁)

 光景と心身のへだたり、出来事と言葉のへだたり、あるいは……。うまく言いがたい、安易に同一視するべきでないもろもろの出来事――ある子供が死ぬ、ある私が目撃する、ある死が報道される、そして引き続き起こるもろもろがある――とのあいだの、様々なへだたりというもの。開高の描写にはそうしたへだたりをないがしろにしまいとする、ある執拗さが見出される。

 生の充実と死の光輪。その表裏一体。――ここでは、戦争を記録する文学における、尊厳の感覚とゲーム的感覚の相克を取り上げた。こうまとめてもよいだろう。――〈判断する力〉は見る実践、〈書き込む力〉は芸術の実践につながる。――例えば開高のように見て、書くこと。その営為において、かろうじての光輪を与えること。だが、光輪を与える作業が、誰がその光輪に相応するのか、との選別を招きかねない危惧はなお残る。いわば光輪なき死、特筆性のない殺人をただ見る瞬間の衝撃を書こうと試みる開高もまた、あまたある特筆性を欠いた出来事のうちどれかひとつを見る(そして、書く)ことに伴う選別性のいかがわしさから逃れえたわけではないのである(注7)。

 いや、そもそも、私の立てた観点が、どこか不適切だったのではないか。――世界内に埋めこまれているはずの、自分の心身の位置取りに対して忠実であればあるほど、見るという営為は、採用する視座に基づく選別としての性格を露骨に発揮してしまうだろう。――ここでなすべきは、局限的な視座を難じて棄却することではなく、むしろいかなる視座のうちであれ、各々の尺度での充実へと至る力として、〈判断する力〉をどのように精錬し続けるのかを問うことではないのか。――では、どうすべきか。結びの話に移る。

むすびにかえて:死は日常の謎/異常存在の死

 ここまでの話を圧縮したものとして読みうるような、ベトナム戦争とその反戦運動の最盛期であると言える1968年に刊行された、あるフランスの哲学者の著作の一節を参照しておく。そこでは「小さなゼロ」に人間らしい顔を書き込むのが芸術のなすべきことだと論ずるブロツキイを彷彿とさせるような熱烈さで、日常生活に芸術を組み込むべきだという主張がなされている。

わたしたちの日常生活が、規格化され、常動症的[ステレオタイプ的]なものになって、消費物のますます加速された再生産に服従するということが明らかになればなるほど、芸術は、わたしたちの生活にとりついて、わたしたちの生活から、あの小さな差異を、すなわち、他方においてかつ同時に、反復の他の諸水準のあいだで戯れるあの小さな差異を引き抜いてやらねばならず、しかも、消費の習慣的な諸セリーの二つの極限を、破壊と死の本能的な諸セリーと共鳴させ、こうして愚劣の目録に残酷の目録を付け加え、消費の下に破瓜病[統合失調症の破瓜型、思春期から青年期に発病することが多いと言われる]患者のあごのきしむ音を発見し、そして、戦争の徹底的に卑劣な破壊の下に、さらに消費のいくつかのプロセスをも発見しなければならないのであり、たとえここやそこにあるひとつの縮約でしかない選別になろうとも、すなわちひとつの世界の終末に向かう自由でしかない選別になろうとも、このうえなく奇妙な選別を持ち込むことのできる、怒りのそれ自身反復的な威力によって、《差異》が最後に表現されるために、この文明の現実的な本質をなしているもろもろの錯覚と欺瞞とを、まさしく美学的に再生産してみせてやらねばならないのである。(ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳 2007年 下323‐324頁)

 戦争や事件とエンタメやゴシップが、表面上は目まぐるしく入り乱れ入れ替わりながら、お定まりの型を繰り返す日常。様々な境遇へと引き裂かれ、利害関心を同じくすることすら混乱な日常。その中で、ひとつの終わりへと向かうだけだとしても、この世界が現に世界であると証だてるような一切を「美学的に再生産」すること、そしてまた世界を事件として立証し逮捕すること、たとえば、現にあることのたえがたいクソさについて、たとえば戦争について、見て、書くこと。これこそが、貧弱であっても空虚でありえないもの、死であり生であるもの、すなわち、ある人生の充実の試みである。

 結びに付け加えれば、死をとらえることと特筆性に関して、考えを進めるために、デスゲームなるものの再考が、ひとつの端緒となるだろう見込みを述べておく。死が日常の謎になる、そのような作品があるかもしれない。死の一回性や重みは、すでに様々な作品で引き去られており、それでもなお、事件性が別の仕方で見出されることがある。元々デスゲームにあった、殺人としての死への関心が没落し、いわば、デスゲームの自然化とでもいうべき状況を描いた小説は現にあり、例えば以下のような評も書かれている。

 あるいは、その逆に、すべての自然死ですら事件とみること、異常存在としての死を考えることすらできるかもしれない。不死ではないことを事件として考えること。例えば、あるSCP(超自然現象や事物を収集管理する組織を中心とした、シェアワールド創作群)のTaleにおいて、死(厳密には死後の永遠の苦しみ)は、避けるべき異常として認定される。

 死なないことの発明、デスゲームの自然化。そうしたものが到来してなお構想できる人生の充実があるとすれば、どのように可能か。――このような観点において、〈非現実的な〉または〈極限の〉状況を描いた作品群に対峙して、そこから、ビジョンを得ることができるかもしれない。その実践は、別稿に譲る。

注1:KOTYの盛り上がりに関しては、科学技術社会論を専門とする研究者、吉永大祐が取材を受けた以下の2020年記事が参考になる。

 ここで上記記事を踏まえつつ、KOTYにおける「クソの基準」の普遍化への志向を強化したとされる出来事、「四八(仮)出現」に関して述べておく。これは2007年の大賞作品に選出されたゲーム『四八(仮)』のことを指す。吉永大祐は、2003‐2010年までのKOTYに関する電子掲示板のスレッドのログをテキストマイニングによって分析し、『四八(仮)』の登場がその後のKOTYに与えた衝撃を検討している。2007年における「ショック」が、KOTY共同体内での合議の傾向性(良識ないし常識)に決定的変動をもたらしたとの通説を吉永は再検討し、その変動をもたらした一因として、2006‐2008年頃の動画配信サイトの普及に着目している。ゲームのプレイ動画が容易に投稿できるような環境が整うことで「クソ」な要素として問題化される視聴覚的体験(の断片)の引用と共有が容易になったのだという指摘は興味深い。またゲーム批評に関連してKOTYを評価したものとして以下を参照。

注2:もちろん、日常それ自体が事件と切り離されてつねにすでにあるかのように構築するメカニズム自体の事件性が発見されることもあり、そうしたいわばメタ的な視点を物語世界内の水準に落とし込んだ作品もしばしば存在する。例えばここではそれを論じた。

注3:日本での制圧死に関しては例えば以下の記事を参照のこと。

矛盾した主張に思われるかもしれないが、横死が即日で報道され、その報道がすぐさま訓話や政治キャンペーンに転化することに、私は道徳的な問題性を感じている。SNSでの他人事を悼んで言葉を失う暇などないし、有益でもない(運動を立ち上げたり声を発したり、とにかく黙らない方がいい)という姿勢も理解できる。それがいつでも正しい姿勢だとはとうてい思えないが。誰かの死を事件として公共化し善用する所作を弔いや贖いと解することに、私は躊躇と迷いがある。しかし、三面記事でも異世界転生小説でも変わらずに、政治や倫理や審美や良識を語るための素材として扱えてしまうことも、知っている。まさに私が眼前で看取った人間の来歴についても第三者が憶測まじりの揶揄のために訃報などを引用してネタにできる。それが自由であり平等であるのだ。そう言わねばならないのではないかと私は懐疑している。

注4:この作品に関して以前、成熟とその拒否の観点からクィア理論を援用しつつ論じた。江永泉「少女、ノーフューチャー――桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』論」(team:Rhetorica(垣貫城二+瀬下翔太+太田知也)企画編集『Rhetorica #04 特集:棲家 ver. 0.0』2018年所収)を参照。本記事での作品読解は、ここでの議論の一部を別の角度から展開したものである。

注5:海と山という照応関係はこの物語で位相を変えながら何度も反復されている。そもそも主要な登場人物の二名が、山田なぎさと海野藻屑である。また、自衛隊描写に関連して言えば、2003年3月から開始されたイラク戦争の影響を考えることができる。自衛隊がイラクに派遣されたのは2003年12月からであり、あとがきでは桜庭により本書の執筆開始が、『GOSICK 3 青い薔薇の下で』(2004年1月)の執筆以後であると語られている。なお、同時期の自衛隊を扱った女性作家によるライトノベルとして、有川浩『塩の街 wish on my precious』(2004年)も挙げることができる。『塩の街』は、加筆修正の上で単行本化されており、『空の中』(2004初版)、『海の底』(2005初版)と合わせて自衛隊三部作として知られている。なお、これらの作品における自衛隊描写のリアリティに関しては詳らかにしない。

注6:「一種の錯乱」として念頭に置いていたのは例えば、楠見朋彦の小説『零歳の詩人』(初出1999年)である。この小説はユーゴスラヴィア紛争での残虐行為の記録とウォーゲーム的感覚やジェノサイドに直面した人々の詩的な情念などを、戦火の下での疑似家族の生成とその崩壊とを主筋として断章形式で記しており、さらに遡るならばエミール・クストリッツァ監督の映画『アンダーグラウンド』(1995年)という大作が、すでにそうした感触を準備していた。もちろん「消費社会批判の時代の気分」というならば、田中康夫『なんとなく、クリスタル』(初出1980)や村上龍『限りなく透明に近いブルー』(初出1976)、さらにそれ以前へと遡って話をするべきかもしれないし、あるいはその後の岡田利規『三月の5日間』(初演2004年)や國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(初版2011年)などへ繋げるべきかもしれない。ただ私の話が教科書的な意味で適切な基準を満たしているのか、あまり保証はできない。

注7:加えていえば、人間の尊厳を、その各々にかけられる労力で考えるという体制は、すぐさまアテンションの最適な分配という問題に置換されうるだろう。私は、ある程度ならば、そのように置換する方が望ましいとさえも思っている。一切を「小さなゼロ」として扱う態度が無情な思考停止の誹りを免れないにせよ、例えば、各々の目につく顔へと、いわば手当たり次第に人間らしさを見出そうとする態度もまたナイーブな思考停止であり、無策と大差ないだろう(例えば縁故関係で贔屓するような人道主義者すら想像できるのだ)。またいわゆる統治功利主義やリバタリアン・パターナリズムにおいては「全人類の幸福の熱烈な擁護者や大衆の支配者」たらんとして、あまりに「人間らしい顔」をむしろ「小さなゼロ」へ近づけることこそが、〈人間の魂の技師〉たちのミッションとして掲げられることになるはずだが、それを十把一絡げに拒絶する割り切りは、いまの私には持つことができない。もう少しゆっくりと見極めるための猶予が、必要であるように感じている。

[了]

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